ドイツ連銀は宗旨替えしたのか?【中央銀行と環境対応】
平時を感じさせる中銀の環境対応
6月18日に行われた日銀金融政策決定会合は現状維持を決定する一方、気候変動対応に係る金融機関の投融資を後押しする新たな資金供給策の検討を明らかにしました。例えば、脱炭素を企図した企業の設備投資をサポートすることなどが想定されます:
資金使途を想定してオペを組むこと自体は目新しいことではなく、例えば期待成長の高い分野に対するオペ(成長基盤オペ)もそうですし、震災やコロナからの復興を支えるオペも広義にはそうです。今回はそれが気候変動対応という壮大な大義に置き換わっただけとも言えますが、「世界的な潮流に乗った」という大きな目線が付加されることでも注目されます。7月会合で骨子が決まり、年内に運用が始まるようです。
この類の決定に踏み込めること自体、コロナ禍の落ち着きを感じさせるものです。1年前の中銀には地球環境を考えて動く余裕などなかった。コロナショック以前のゴルディロックスと呼ばれた地合いでもこの種の議論は盛り上がりました。環境対応は平時の象徴とも言える中銀の挙動に感じます。
環境対応は「欧米の潮流」というより「欧州の潮流」
今回の日銀の挙動をどう評価すべきでしょうか。報道を見ていると、中銀の環境対応は「欧米の潮流」かのように指摘されていますが、その実は欧州に由来した動きという印象が強いものです。例えばラガルドECB総裁に交代してからのECBは気候変動問題について頻繁に言及するようになり、年内発表予定の新たな金融政策戦略には気候変動対応を義務として練り込むと言われています。イングランド銀行(BOE)は今年3月、既存の2%の物価安定目標に加えて、温室効果ガス排出量の実質ゼロへの移行が新目標として既に義務付けられています。こうした環境対応を公式に目標化した中銀は世界でもBOEが初です。片や、FRBはECBやBOEほど極端な動きを見せていません。確かに、バイデン政権への移行に伴って中銀も格差や環境の問題に関与すべきという雰囲気は強まっている様子はあり、今年3月には気候変動問題をウォール街監督の柱に位置付ける計画がブレイナードFRB理事によって明らかにされています。しかし、あくまで銀行監督政策の一環であり、金融政策とは別次元の話です。今回の日銀決定は「欧米の潮流」というよりも「欧州の潮流」に合流したという方が実態に近いでしょう。
「欧州の潮流」を感じさせるバイトマン独連銀総裁の変節
実際、「欧州の潮流」は目を引く動きを示しています。既に一部報道でも言及が見られていますが、6月2日から4日まで3日間開催された国際決済銀行(BIS)などが主催する「グリーンスワン会議(the Green Swan 2021)」(オンライン)ではBIS議長も兼ねるバイトマン独連銀(ブンデスバンク)総裁の変節が目に付きました。以下の記事はそこに着目しています:
同総裁はかつて「気候変動問題の対策を打ち出すのは選挙民によって選ばれた政府の仕事で、中銀が環境政策を推進する民主的な正当性はない」などと述べ、「中銀は環境対応と距離を取るべき」という論陣の代表的な人物でした。今回の会議における講演も「中銀と政治の責任の所在に関し、境界線を曖昧にすべきではない。中銀が出来ること、出来ないことを明確にする必要がある」と今まで通りのバイトマン節で始まっていますがが、これは前口上であり、その後は「しかし、気候変動はインフレ、経済、金利に影響する」と口火を切り、総じて「しかし、中銀としてできることもある」という姿勢を露わにしています。講演原稿は以下です:
主張を曲げることが殆どない印象のブンデスバンク総裁がここまで変節するのは珍しく、こうしたドイツの変節も日銀の決定を後押ししたのではないかとの見方を上記の記事ではしていました以下ではバイトマン総裁の当該講演を紹介したいと思います。やや多いが、いずれも重要で興味深い発言と考えられます(※紙幅に鑑み、全訳ではなく筆者による抄訳):
中銀は(気候変動が持つ)物価安定や金融政策への含意を理解すべきであり、それに合わせて分析ツールも拡大すべきである。その上で金融システムのグリーン化を支援する上でも重要な役割を果たせる。金融システム安定の庇護者として、金融機関が気候変動関連のリスクを適切に織り込むことの一助になれる。
それだけでは不十分だ。民間金融機関同様、中銀自身が保有する資産も気候変動関連のリスクが影響する。物価安定のために使われる中銀バランスシートが毀損するかもしれない。ゆえに中銀もそのリスクを適切に織り込むべきだ。社債購入などに起因するリスクを懸念する。
ユーロシステム(≒ECB)としては、気候変動関連のリスクに関して透明度を高める行為が“正当な利益(legitimate interest)”を持つと考える。将来的には、ユーロシステムとして購入したり、担保として受け容れたりする有価証券は一定水準の気候変動関連の報告義務を負っている発行体に限定することなどを推奨したい。また、気候変動に関する金融リスクを適切かつ透明に反映する格付けを使うべきだろう。
そうした対応は金融政策の構成を変えるが、直ぐに導入されるものではない。発行体も格付け機関も準備のために相応の時間が必要である。とりわけ気候変動のような数十年(multidecade)に及ぶ時間軸を加味することについて格付け機関は苦心するだろう。十分な解決策が見つからないようならば、ユーロシステムとして別のリスク管理手法を検討しなければならない。例えば特定産業ないし発行体の社債保有を量や年限に関して制限するようなことも考えられる。こうした手法によって企業や金融機関が政治的理由で操作されていると混乱されるようなことがあってはならない。適切かつ透明性の高い尺度(yardstick)が必要である。
これらの言動は、これまでの同総裁の言動と比較するとかなり姿勢の変化を感じるものです。今回の日銀決定はコロナ関連オペの期限切れなどを見据え、その後継スキームを金融機関向けに用意する必要があったという見方もありますが(多分現実的な理由はそれです)、バイトマン総裁講演などから「欧州の潮流」の熱量を日銀が汲み取り、気候変動対応の必要性を悟ったとしても、さほど不思議なことではありません。
もう1つの読み方:BIS議長として
しかし、バイトマン総裁は依然疑問も抱いているように見えました。というのも、講演最後には「気候変動関連のリスクに関し、透明性を高めるためのカタリスト(a catalyst:触媒)であるという姿勢を持つことで、ユーロシステムの責務を過剰に拡大(overstretch)せずに、気候変動と戦うことができる。これは政治家や規制当局の積極的な行動と代わるものではない」と締めています。中銀は変化を促進する「触媒」であって、主体にはならないという立場です。また、わざわざ「責務を過剰に拡大せずに」と述べていることから、恐らく現在ECB内部で行われている金融政策戦略の見直し議論において気候変動対応を明記することにも反対なのではないかと察します(ラガルド総裁はやる気満々であるが)。
さらに、上の引用で見たように「企業や金融機関が政治的理由で操作されていると混乱されるようなことがあってはならない」と釘を刺しており、そのための手段についても確証を持っていないように見受けられます。現状、「深く踏み込むのは危険」という警戒心は変わっていないのではないでしょうか。また、引用はしませんでしたが、経済・金融情勢が正常化に向かえば「中銀としての資産購入(QE)は縮小に向かうが、政治としての気候変動対応は当然続く」といった趣旨の言及もしていました。気候変動対応に普遍的価値を認めればこそ、QE終了と共にその貢献がなくなるといのもおかしな話です。こうした見方に基づけば、恐らくはグリーンボンドばかりを買い集めるような「グリーンQE」のような政策をバイトマン総裁は快く思っていない可能性も見えてきます。
冷静に考えれば、中銀のサロンであるBISが開催する環境テーマの会議で、しかも自分が議長を務めているのに「中銀にできることはない」と言うわけにもいかないでしょう。苦心の末、「ブンデスバンク総裁ではなくBIS議長として言えることを言った」という部分もあるでしょうから、ある程度は割り引いてみる必要もあると思います。