SXSWの雰囲気に感じたこと
先日、Austinで行われたSXSW(South by SouthWest)に武蔵野大学アントレプレナーシップ学部(武蔵野EMC)の学生を連れて行ってきた。
僕らの視察のメインはBostonで、アントレプレナーシップ教育全米No1であるBABSON COLLEGEに訪問し授業を見学したり、CIC Cambridge にお邪魔し、ベンチャーカフェというイベントに出席したり(ちなみに僕はCIC Tokyoに入居しており、ベンチャーカフェにも時々登壇していて、その違いが楽しめた)していたので、SXSWはその後、2日間のみで楽しむスケジュールであったし、僕自身は、日本での仕事が入っていた関係で1日先に帰国したので、フルには1日のみ参加、しかもまだ展示は準備中だったので、正直、「これからお祭りが始まるぞ!」というのを街中の(夜の)あの感じと、ピッチや対談から感じ取ったくらいだ。
メインのAIとESGが中心だった、ということだが、そこを実感できるほど見れたわけではない。
しかし、9年ぶりのSXSWは、それだけでも、新しい気づきに満ちていた。確かに9年前もそんな感じではあった。しかし、自分の感覚がついていっていなかったのだろう。
特に、日本と米国の違い、という観点での気づきがあった。
まず、「町全体が、SXSWを盛り上げる空気に満ちていること」だ。
日本では、こうしたイベントが行われる時、イベントはイベント、街は誰もそのイベントが行われていることを知らず、しらけている、ということが起きがちだ。もちろん日本でも、仙台で行われている定禅寺ストリートジャズフェスティバルなど、なんとなく街全体がフィールドになっているお祭りもあるが、しかしテック系のイベントで、街とイベントが一体化している。この「街をあげてのポジティブさ」はすごいなと感じた。
日本だと、「テクノロジーのイベント?私にゃあ関係ないわ」となったりする。でもSXSWでは違う。生活とテクノロジーが密着している、そこに壁がない、ということなのだと思う。
そして、「ダイバーシティ&インクルージョンでフラットであること」。
人種、国籍、ジェンダー、年齢など、もう本当に、様々な人が参加し、それをみんなが当然のように受け入れている雰囲気。オーディエンスがどんな人であっても、誰も何も気にしないで参加している。米国では当たり前の光景なのだと思うが、特にSXSWはその最前線にあるように感じた。
日本ではどうかといえば、このイベントはビジネスパーソン向け、あのフェスは若者向け、というように参加者の属性が分断されがちである。強いて言えば、日本でダイバーシティを感じるのは、「サザンオールスターズのコンサート」。親子孫三代、性別かかわらず楽しめるコンサートだと感じたことがあるが、そんな場所が日本では少ないように思う。
さらに、「参加しているみんなが、思い思いに楽しんでいること」。
このエネルギーがまさに米国だ。みんな、本当に楽しそうに参加し、楽しそうに歩き、楽しそうに飲み食いしている。ワールドカップでの渋谷ハチ公前交差点のようにバカ騒ぎして自分の存在を誇示するのを楽しむのと勘違いする、ということではなく、その場の空気、そのセッション、その時間をじっくり味わいながら楽しんでいるように感じられた。
一言で言えば、SXSWは僕が目指している”Free Flat Fun"な場所だった。そして、それは、マインドフルネス、「今ここを集中して楽しむ」という共通理解が浸透しているからこそ生まれているのかな、と感じた。これこそが世界の潮流を生み出してきた米国のアントレプレナーシップの源であるのかなと。
日本もこの雰囲気をもてるといいのだよな。
コンテンツではなく、雰囲気からも、学びは大きかった。