足の痛みに悶絶しながら、あまりに悔しいので無理矢理学びを考えてみた
約1ヶ月前のことである。
左足ひざのお皿が痛くなった。
正確には違和感と痛みの中間くらいの感覚で、歩く時はそこを保護するような挙動になった。
♪グルグルグルグルグルコサ
などというフレーズが頭をよぎり、ちょっとググってみればひざの症状は不可逆である、などと不穏な文字が踊る。
不安。治ったら心を入れ替えて運動しよう、という決意。
そうこうしているうちに、ひざは何ともなくなった。あれれ、不可逆じゃなかったんだ。
しかし、その代わり、ふくらはぎや太ももの裏側が痛くなった。
なるほど、膝を庇って不自然な力の入れ方をしていたので、筋肉痛の状態になった、という訳か。
痛みがひざから筋肉に移ったみたいだ、と思った。
そして一昨日。
寝る前にふと気づいてみると、今度は左足首が痛い。
痛みがだんだん下に降りてきてるなー、このまま足の裏から抜けちゃえ!などということを思いながら、床についた。
昨日。
仕事で出かけてみると、どうも左足首の違和感が強くなっている気がする。
そこで不穏な考えが頭をよぎった。
「もしかして、これ、痛風じゃないか?」
読者の多くもご経験がおありだと思うが、痛風発作はめちゃくちゃに痛い。
現在52歳の筆者は、35歳頃からこのヤンチャ坊主と付き合っているが、最初の発作の時は文字通りこの世の終わりかと思った。
あの時は右足親指の付け根に違和感を感じ始め、だんだん痛みが強くなった。最初の違和感から2日経った後にたまらず医者に行ったら、待合で待っている間もどんどん痛くなる。
筆者の横に座っていた小さな子供が、何気なく一枚のティッシュペーパーを落とした。
ひらひらと白い物体が足に着地したとき、筆者はスクランブル交差点の騒音に匹敵する悲鳴を待ち合いに轟かせた。
子供は驚き、泣き出した。
「何を大袈裟な。もしかしてこの男は子供に恨みでもあるのか?」
ご両親も、不審者でもみるような視線を筆者に向ける。
そりゃそうだろう。ティッシュを落としたくらいで悶絶する、などということは、普通の人のメンタルモデルには記述されていない。
分単位で増す痛みと冷たい視線に耐え、診察・投薬してもらい、帰宅し、ベッドに横になるがどうにもならない。
何しろ、シーツだろうがなんだろうが、何かが右足に触れると飛び上がるように痛いのだ。
結局足を引き引き歩けるようになるまで1週間くらい、完治するまでにはひと月以上かかった。
その後の勉強によれば、発作時に服用する薬「コルヒチン」は、早いうちに飲むと非常によく効くが、時間が経つとどんどん効果が薄れるとのこと。
なるほど、痛みから2日経って病院に行き、さらに混み混みの待合室で無為の時間を過ごす、などというのは、最悪の判断だった、という訳だ。
それからというものの、筆者はコルヒチンを常備し、少しでも右足に違和感を覚えた時は、痛風ではないかもしれないが、とりあえず服用することにしていた。
これにより、多分発作であると思われた時も、歩けなくなるような事態は回避できており、筆者は痛風との付き合い方を覚えた、と悦に入った。
話を昨日の朝に戻そう。
これまで違和感を感じたり、痛くなったりしたのは、必ず右足親指だったので、左足首の痛み=痛風という連想が全く働いていなかったが、そういえば、痛風は右足親指以外にも好発部位がある、と大昔に読んだ記憶が蘇ってきた。
そこで、21世紀に生きる人類の特典を活かし、路上検索を試みたところ、なんと足首は2番目の好発部位、と書いてある。
なんたる不覚、昨夜のうちに気づき、コルヒチンを飲んでおけば、今頃は痛みとおさらばできていたのに。
そして、背中には冷や汗が流れる。
場面は外出先、コルヒチンを持っていただろうか?
持っていたとして、今から飲んで間に合うだろうか?
カバンを漁ると、幸いなことにコルヒチンは一錠だけあった。だいぶ前に忍ばせてあったのがまだ残っていたのだ。
近くのスタバに飛び込み、アイスコーヒーを注文し、コルヒチンと共に胃の腑に流し込んだ。
その後も痛みは少しずつ増し、不安を抱えながら一夜が明ける。
ティッシュペーパーに触れて阿鼻叫喚、というような状態ではない。
ほっと胸を撫で下ろす。
次に、立ち上がってみる。
・・・左足首の痛みに思わず叫んだ。
親指であれば、最悪、かかとで歩けば、痛いところに体重をかけずに済むが、足首だとそうはいかない。
つまり、歩こうとすると、どのようにしても痛いところに負荷をかけることになるのだ。
かくして52歳の中年が、4つ足ハイハイの手習をしている週末の朝である。
痛みにうんうん言いながら、悔しいので無理矢理学びを考えてみた
(1)痛みがだんだん降りてくる、などというめちゃくちゃな解釈を、案外人は飲み込んでしまう
人には「前後即因果の誤謬」という性質がある。これは、前後関係で発生した事象に、そうでなくても因果関係を見出してしまう、という人のバイアスのことである。膝を庇って歩いたら、筋肉痛になった、というところは、もしかしたら因果関係があるかもしれないが、その後の足首のところに関連づけてしまうのは、後から考えてみればめちゃくちゃである。しかし、なんとなくの流れでそれを行なってしまい、痛風かもしれない、という気づきを逸した。
(2)判断や解釈の元になるのは、知識<経験である
筆者は、痛風は右足親指以外で発症することもある、という知識は持っていたにもかかわらず、そこ以外での発症経験がなかったために、また、前項で書いた非論理的な思い込みもあり、足首の痛みが痛風である、という連想をするのが遅くなり、服薬の最適タイミングを逃してしまった。
さらに痛恨なのは、筆者はこの種のバイアスや行動科学を好み、書籍を著したり、講演のテーマにしたりしているにもかかわらず、自分もこのバイアスにずっぽりハマってしまったことである。
(3)備えあれば、憂いなし
たまたま前に準備したものが残っていただけではあるが、筆者のカバンにはコルヒチンが一錠入っていて、最適タイミングではなかったものの、服用することができた。
もしこれがなく、病院に行き、待合で唸っている間にどんどん痛くなり、今頃ティッシュペーパーにも恐れを抱いていたかもしれない、と考えると、つくづく幸運であった。
痛風の発作は何年かに一度、という頻度の稀なことではあるけれども、ちゃんと備えておいて本当によかった。カバンにコルヒチン、補充しておかなくちゃ。
というわけで、せっかく梅雨明けしたのに足が痛くてろくすっぽ動けない悔し紛れに、駄文をしたためてみました。
お楽しみいただけたら、幸いです&読者の皆さんは、痛風に気をつけて!