街を歩きながら、窓の装飾を観察するわけー小文字のデザインを身近にしておく。
最近、ミラノの街を歩きながら建物の窓や外壁の装飾を観察しています。そして、気になる窓や配置をスマホで撮影して、ツイッターに投稿しています。
どうして、このようなことに関心を持ち始めたのかの理由を書いておきたいと思います。イタリア語のパッセジャータ(散策)のニュアンスがどのくらいあるかは分かりませんが・・・。
トリノに住んでいた頃、街を眺めながら「バロック」の意味を悟った。
古い話になるのですが、イタリアで最初に住んだ街はトリノです。文字通り右も左も分からず、言葉もよく理解できないなか、トリノの街を歩き、バールでビールを飲みながら街の風景をひたすら眺めていました。
当時、ぼくはイタリアという国が好きではなかったし、バロック様式の建物が碁盤の目に立ち並ぶ、山に囲まれたトリノという街も苦手でしたーたまたま、弟子入りしたいと思う事業家がトリノにいたのです。
バロックは重々しく大げさで、さらにビルとビルの間に隙間がない都市構造に圧倒される息苦さがありました。
しかし、住み始めてから半年ほど経た頃、ある日、バロック様式とは「内部に詰まった情念のようなものが、外にいや応なしに流れ出したものではないか」と思い至ります。建築や美術の本を読むのでもなく、日々の都市経験がそのような結論を導いたのです。
その時からです、イタリアが好きになり始めたのは。それから沼に足をとられるように、ここの国の文化に徐々に惹かれるようになりました。それから30年近くを経て『「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか? 世界を魅了する「意味」の戦略的デザイン』という本まで書いてしまいました。
だから、街をよく観察することは、自らの人生を大きく左右するかもしれない行為であると、ぼくは心のどこかで認識しているところがあります。
(蛇足ながら、大学の卒論はフランスの小説を社会学的見地から分析したのですが、その小説は主人公が見知らぬ都市にどう馴染んだか?のプロセスを描いたものでした)
歴史のある街の散歩でアイデアを得る、とデザイナーが語った。
7-8年ほど前、あるイタリア人のデザイナーと話していたとき、彼は「山や海といった場所に出かけるのは、あくまでも気分転換のためだ。デザインのコンセプトのヒントは歴史ある街並みを歩くことで掴む」と語りました。
これが話題になったのは、日本のデザイナーが複数、自然の豊かなところで自然にあるものの形状がヒントになる、と話していたのをぼくが思い出したからです。「で、君はどう?」と聞いたわけです。
彼の回答は、ぼくのその後の行動パターンに多大な影響を与えます。
というのは、イタリアでは、建築家であれデザイナーであれ、歴史的な流れをよく読み込み、そのうえで現代の1ページをどう加えるのか?が大きなテーマであり、それを訓練されます。したがって、その文脈において、彼の言葉はまったく意外感がない。
しかし、彼はカーデザイナーなのです。
都市環境と自動車のデザインの調和という次元を超えて、彼はデザイン活動において歴史ある街の散策を必須項目にしていたのです。
その後、ぼくも、この行動パターンを真似ることになりますが、いったい都市の何に目を配ると良いのだろう?とずっと思い続けてきました。
建築家って何をみるのか?
輸入食材の店が多ければ移民が多い地域である。歴史的中心地区は高所得者が多く住む。地区によってこうした住民の傾向があります。職人の工房などが多かった地区に、今は建築事務所やデザイン事務所が増え、トレンディな飲食ゾーンになるとのパターンもあります。
ただ、そういった大雑把な把握をするだけでは、どうも都市を理解している気になれなかったのです。件のカーデザイナーは、どこか別のポイントに目がいっているはずだ、と想像しました。
あるとき、ある建築家にこう聞いたことがあります。「ミラノの街を歩きながら、この建物は何年代のものって、すぐわかるもの?」と。すると「それを専門に勉強している人ならわかるけど、そう簡単ではない」とのコメントがありました。
確かにルネサンス期、あるいは20世紀でも有名な建築家の設計の建物の前には、解説が記してあるパネルが立っています。
しかし、19世紀初頭なのか、20世紀初頭なのかの判断を素人はしづらい(要は、様式だけではコピー版なのかが分からない)。ファシズム時代の建物は比較的分かりやすく、第二次大戦後にできた石造りの建物もあまりなさそう程度しか勘がつかない。
そして1950年代以後の建物はそれまでとまったく別物になったし、今世紀に入ってからの建築はリアルに見ているので、それはかなり判断がつきます。
こうして考えると、建設時を推測するより、実際の意匠に焦点をおいた方が面白いと思ったのですね(ミラノの建築案内の本はありますが、トリノのケースと同じく、そうした資料を見ないで自分なりの把握をする力を養うのを優先します)。圧倒的に窓や外壁の装飾に見るべきものがあります
大文字のデザインと小文字のデザイン
この半世紀、デザインの対象が大いに拡大し、そのためにデザインの考え方自体もそうとうに変わってきました。このあたりのことはよく書いていますが、ダイヤモンドオンラインに連載している「『意味のイノベーション』で社会はどう変わるのか」が、特に大文字のデザインー対象を社会におくーについて色々なアングルから迫っています。
先月、アップした『ミラノの刑務所に入ってみたーミラノデザインウィーク(前半)」も、大文字のデザインの起点の一つの例として書きました。しかし、こうした大文字のデザインに注力をすればするほど、小文字のデザインを見過ごさない習慣がぼくにとって必要だと思えてきます。
ぼく自身、トリノにきてカーデザインの世界にいたくらいなので、クルマのデザインを見る習慣は長い間もってきました。ただし、この20年ほど、カーデザインはどんどんと世界でローカル性を失ってきます。かつてのシトロエンDSにあったような「フランス風のクルマ」など存在しません。誰もが同じデザイン学校で学び、世界のカーメーカーに散らばっていき、似たような外観のSUVをデザインしているーーー。ただ真っ黒な液晶画面のスマホしかり、です。
こうした推移のなかで、ぼくが定点観測する対象が減ってきたのは確かです。クルマなら街を歩きながら観察できますが、家電のような小さな工業製品はネット以外なら店舗に入らないといけません。それは面倒だ、と思うわけです。もちろん、インテリア商品などは定期的にショールームで見たりしますが、そう頻繁である必要もないです。日常的な習慣に観察を組み込みたいとなると、街の散策中にみる対象に絞ることだと思いました。
こうして窓をみはじめたのですが、そうすると、上の写真にある一見規則性から外れたような窓の配置も気になります。そして、この一つ上にあるジオ・ポンティの建築にある窓の配置も「幾何学的に遊んでいる」ことを思い出します。もしかしたら、ジオ・ポンティの設計がどこかにヒントになっているかもしれない、とぼくは想像するわけです(前述したように、今の段階では、一切、あえて資料でそうした確認はしません)。
・・・と、こうした経験を積み重ねると、カーデザイナーが歴史ある街でヒントを掴もうとする真意がちょっぴりと見えてくる気がします。この先、何が語れ、何が語れないのか、が分かってくるはずです。
なにより、こんな風に頭を抱えた人を見ると、楽しくなってくるし 笑。
トップの写真のみ©Ken Anzai