ChatGPTの評価の前に、AIを仕事に活かす方法を先に考えよう
ChatGPTという流行に、汚染されていない?
いや、コロナ感染症が広まり始めた、2020年に、日本人の多くは、日本がデジタル後進国であることを実感した。
日本人の中にはは、台湾のようにスムーズにマスクの購入ができずに、マスクの購入のためにドラッグストアーに並ばないといけなか人もいた。そして、感染爆発初期に、とても有効か感染者の追跡や、感染者との接触可能を通知するアプリが、他の国では、素早く公開されたが、かなり遅れて公開された日本のコロナ接触者アプリは、多くの人がその有用さを実感することなく、いつの間にか、厚生労働省のこのアプリサービスは終了した。
このように、コロナ禍に、日本のデジタル力不足や、日本の中のデジタル浸透度の低さなどを感じ、何となく私は、デジタルに関して、日本の敗北感味わった。
そして今、その敗北感が癒えないまま、日本は、ChatGPTという、デジタル技術の進化の「AI祭り」が、開催されている。また、AIに関しても、敗北感に直面しないか、とても心配であるが。
上記の日本経済新聞のChatGPTの記事のリストを見てもわかるように、CHatGPTの話題が日本で登場しない週はない。そして、私たち
日本人は、いつしか1億総AI批評家になり、「ChatGPTは使える」、「いやまだまだ」などと感想を述べている。この2年間、日本のデジタル活用度やデジタルの本質的理解は、それほど急速に広まったと思えないのであるが。
私だけだろうか。ChatGPTって、新しいClubhouse(クラブハウス)ではと思っているのは。
流行に乗るのも良い。ソフトの批評をするのも良い。でも、大事なことは、そこから、「何を学び」「何を準備する」のかということではないだろうか?
ChatGPTの国会答弁を想像すると、AIと私たち仕事の関係が整理できる
生成系AIと言われる、AI(人工知能)を私たちが活用できるかの思考に良いテーマがあります。それが、以下の2023年の4月21日の西村大臣の問いかけである。
この問いかけは、実に良問です。国会答弁を、「人」のみで生成(失礼、用意)する場合と、「人」と「AI」で生成する場合を、少し整理してみ見よう。今の国会答弁にAIを導入するほうが、「創作時間(失礼、思考時間)」が増加する気がしてくる。そこで、私の想像の、国会答弁が「人」のみで作られるまでと、「人+AI」で作られる場合の、ストーリーを紹介しよう。
「人」のみの国会答弁生成
A大臣が、事前通告の質問を受けて、B官僚に国会答弁を用意する事例を考えてみよう。本当は、もっとたくさんの登場人物が出てくると思うが、ここでは、簡易にするために、答弁者と答弁準備者の2人にして考えてみよう。
A大臣→B官僚への指示
まずは、答弁準備の指示が官僚にでます。この時に、B官僚は、A大臣にいくつか確認をするでしょう。「肯定的な回答」を用意するか、「否定的な回答」を用意するかを必要に応じて確認するでしょう。この確認がなくても、B官僚はA大臣の方向性を理解しており、その理解にそった準備をします。
この準備の段階で、B官僚は趣旨にそった過去の省内の事例、回答例、国会答弁を検索します。そして、それらを組み合わせて、省内の考えと矛盾がないか、A大臣の期待値に近いのかを検討して、回答を用意します。
B完了→A大臣への提示
そして、A大臣に国会答弁案を提示し、最後の確認作業を行います。多くの場合、A大臣は、用意された答弁を了解し、そのまま使える状態になります。
「人とAI」で国会答弁生成
A大臣→B官僚へ指示→AIに答弁作成依頼
AIを使う場合、国会答弁作成は、きわめて高速です。そして、大臣の気持ちや方向性も考えず、すべての省内の文章、過去の国会答弁からデータを検索して、回答案を作ります。
AI答弁→B官僚確認
AIの答弁は、データの高速検索や整理により、本当にもれなく過去の文章から回答案を作成します。
時に、回答が両論併記だったり、大臣の方向と異なる回答も作成されます。そこで、B官僚はこの文章をもとに答弁書を作成しなおします。しかし、ここからが問題です。このAI答弁システムは、国会議員なら誰でも利用可能になっており、過去の矛盾答弁があれば、他の国会議員も国会の議場で、リアルタイムに確認できる制度になっているからです。
B官僚は、A大臣の方向に沿った形で、ガラス細工のような答弁文を用意します。
B官僚→A大臣への提示
やっとできたガラス細工の答弁書を、A大臣のもとに持参します。まず、A大臣は、答弁書を読み、内容を確認します。そして、内容が良いことを確認したら、国会議員の好きな「世論予測AI」ツールに文章を入れて、国民から支持されやすい文章か確認します。そして、B官僚に、細かな「語彙」の変更や、文章の順序の変更の指示をします。
A大臣は、文章の意味変更はないとの指示ですが、B官僚は、念のため、「省内答弁文章確認AI」に大臣に指示した文章を入れて、確認作業を行います。
実は、大事なのはAIをなんのために導入するかの議論
上記の小説いかがだっただろうか。なぜか、AIを国会答弁に導入した時の方が、仕事が重たくなっているような気がしないだろうか。
その理由は明確である。AIのような技術は1か所のみで応用されるのではなく、技術の普及により、ありとあらゆるところに、導入されることを私たちは、忘れがちになるからである。さらに重要なコトは、Before AIの仕事の手法と、After AIの仕事の手法は、異なるべきで、Before AIの仕事に、単にAIを組み込んでもうまくいかないのである。
似た事例は、現在50歳代の人は、会社の旅費精算で経験済みだ。現在、50歳代の会社員は、20歳代の時の旅費精算は、「紙」での提出だったはずだ。会社で決められた書式に、手書きで行程と旅費の金額を書き、必要な領収書を添付して、会計に提出する。30歳代の時に、ここに不思議なデジタル化が導入される、「紙」の提出を、「エクセル・ファイル」の提出に変更になった人がいると思う。この「エクセル・ファイル」の提出は、実に不思議なデジタル化だった。手書きの代わりに、エクセル・ファイルに、記入して出すのである。そして、さらに不思議なことが起こる。エクセルを使って出しているのに、旅費の請求書の金額合計にミスが発生するのである。当時の多くのエクセルは、「紙」が「エクセルのシート」になっただけであり、旅費を請求するためにエクセルでできる、「検算」や「該当旅費の自動検索」などの機能はないのであった。
このようなことが、日本が苦手な現象が、今も続いている。それが、デジタル・トランスフォーメーション(DX)の取組みの遅れである。この理由は、Before Digitalの仕事の手法に、「Digital」を組み込めば、After Digitalになり、DXが完成すると思っている誤解が、最大の理由であり、唯一の理由であると言ってもよい。
今回のAIも、同じことが起きそうだ。私たちは、AIのソフトの批評よりも、After AIの仕事の手法を考えるべきである。それは、ビジネス・パーソンの仕事だ。AIのソフトは、プログラマーやITエンジニアの仕事なのだから。