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東大生とポリアモリーについて話したこと(後編)。

ポリアモリーについて発信をしていたら大学生(主に文化人類学系のゼミ)から取材を受けることが多くなった。

それも東大をはじめとする優秀な学生ばかり。

ポリアモリーとはお互い合意の上で複数の人と同時に恋人的な関係を築く恋愛スタイル。これまでのシリーズはこちら

前編では学生からの質問の中で多い「Q.今、付き合ってる人は何人いますか?」に対する返答を紹介した。

今日はその後編として2つの質問について書こうと思う。まずはコチラ。

Q.ポリアモリーに対してどんな批判の声がありますか?

ちょっと待って。
なんで批判されている前提で話しているの?

なんて意地悪な返しはしないが、やはり「ポリアモリー = 世間から受け入れられないもの」というイメージで質問されることは多い。

この質問に対して僕はいつもこう答える。

「批判の声はほとんどありません」

これ、強がりではなく本当にそうだ。

嫌われる勇気クソリプ上等くらいの気持ちではじめたポリアモリー宣言だったが、拍子抜けするくらい批判が来ない。ブログとしては賛否両論あるくらいがいいのだろうが(そう言った意味では)どうもうまくいかない。

おそらく要因は、僕が構造化して話してしまうから

僕はポリアモリーを語る時、常に1対1の関係をベースにするようにしている。

冒頭にもあるようにポリアモリーとは「お互い合意の上で複数の人と同時に恋人的な関係を築くこと」なので、基本は1対1の関係で完結する話だ。

言ってしまえば「お互いがいいならいいんじゃない?」で終えられるのがポリアモリーの話。しかしそれが家族や恋人のイメージや倫理観の話を巻き込みはじめた時に議論が生まれる。

しかも本当は「家族の話」と言っても血縁の話、制度の話、イメージの話に分けられるし、「倫理観の話」と言っても人としての道徳観の話か、信仰からくる倫理観の話かも分けて考える必要がある。

イメージとしてはこんな感じ。

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もちろんこれらは連動しているものの、今自分がどこの話をしているのかを整理して話さないと↓の図のような噛み合わない議論になってしまう。

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自分は1対1の関係性について話しているつもりが、相手が勝手に家族観や恋愛観と結びつけて話をはじめてしまうと会話が成立しない。いわゆるクソリプはこうして生まれる。

だからこそ自分が話しているのはイマココと俯瞰して話すことが重要だ。これをすることで一定の批判は避けることができる。

ちなみにこれは持論だが人は「わからない」という感情が怒りにつながりやすい。

「なんで××するんだ!」
「マジで意味わかんない!」

など、理解不能=怒りになることが多いので、そう言った意味でもわかりやすく説明することは大切だ。(たまにわかりやすくしようとした努力を「バカにされている」と捉えてまた怒る人もいるが、、、)

それでは次の質問。

Q.ポリーラウンジの研究を教授が受け入れてくれません。どうしたらいいですか?

最後にご紹介するのはこんな質問。

「私はポリアモリーの人たちが話し合うポリーラウンジの研究をしたいけど、教授がそれをよく思ってくれない」ということを打ち明けられたことがあった。

聞けばその教授曰く「ポリーラウンジはポリアモリーの人が傷を舐め合っているだけ。閉じたコミュニティーであれば、大きなムーブメントにはならないから研究に値しない」とのこと。

確かにポリアモリーの中には「自分たちの権利を勝ち取ろう!」と活動的と言うか、血の気が多い人もいる。そんな人たちが一致団結して社会に訴えかければそれは教授にとって研究に値するものになるのかもしれない。

しかし僕は勝ち取るのではなく、紐解くことや緊張をほぐすことがポリアモリーの浸透に寄与するし、社会を変えることにもなると考えている。また、ポリーラウンジはそのための場所だとも思っている。

と言うのも、今の恋愛は複雑になり過ぎている。前述のように、1対1の関係性の話が常に家族や文化、歴史や宗教をごちゃまぜになってしまう。

キリスト教式の結婚式をしたいから結婚したい。
だから恋人が欲しい。

みたいな感じだ。

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だからそれらを丁寧に紐解いていくこと、ほどいていくことがポリアモリーの理解に繋がる。「権利を勝ち取ろう!」ではなく「元々あった権利を明らかにしよう」という感覚の方が近い。

僕自身も「ポリアモリーになるぞ!」と思ったのではなく、複雑に絡み合った糸を丁寧に紐解いていった先にあったのがポリアモリーだった、という感覚の方が近い。

そう言った意味では確かにポリアモリーは研究に値するようなものではない。だって普通の話をしているだけなのだから。

だから僕はポリアモリーの研究をする学生たちには「私たちとは違うポリアモリーの人たちの研究」ではなく「私たちの中にあるポリアモリー性の研究」をしてほしい思う。

と、短いインタビューの中ではそこまで整理して伝えきれなかったかもしれないので、今日はこのnoteで整理をさせてもった。

そんな学生たちの最終的な論文を楽しみにしている。

サポートいただけたらグリーンラベルを買います。飲むと筆が進みます。