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「翼よ! あれが巴里の灯だ」
昔、はじめてパリの上空を飛んだとき、ビリー・ワイルダー監督の映画タイトル『翼よ! あれが巴里の灯だ』を思い出しました。1927年、リンドバーグがニューヨークから大西洋を横断してパリまで飛んだ偉業が題材です。
なぜ、あのタイトルを思い起こしたのか?
言うまでもなく、飛行機の窓からみるパリの都市計画に沿って綺麗に連なるオレンジ色の灯が、息をのむほどに印象的だったのです。そりゃあ、リンドバーグもああいうセリフを吐くだろう、と思うに相応しい景観だったわけです。
その後、数知れずヨーロッパの空を飛んでいますが、オレンジ色の地上の風景にヨーロッパだなあと感じます。
それに対して、日本の風景は白色です。特にそれを感じるのは、空港から都心に高速道路などで向かう時、集合住宅の各戸から漏れる蛍光灯の明かりを眺める時です。
日本に戻ったとあの光の色で確認するのです。
そういうわけですから、イタリアで生活するようになって明るさに対する感覚の違いには戸惑うことが多かったです。
よく知られた話ですが、オフィスで仕事をしていると、夕方、そろそろ照明をオンにしようかなと思う頃、イタリア人は暗いまま仕事を続けています。
これは目の構造的問題であるとの説明があります。ヨーロッパ人がサングラスを必要とする理由ともかかわりる、と。
一時は納得したのですが、それ、本当かな?と思い始めます。我々日本人夫婦の間に生まれ、ミラノで育ってきた息子がいつも暗いのを好むのですね。「そんな明るくしなくていいじゃない」と言われます。
およそ、この話題になると必ずといってよいほどに引用される谷崎潤一郎『陰翳礼讃』で語られる日本の室内は薄暗い。1933年出版の本です。蛍光灯以前の空間の話だからとも言い切れない背景を想像します(ウィキをみると日本での蛍光灯の初めての市場投入は1939年)。
日本の人だって、やや暗めの雰囲気に浸りたかったに違いない。オフィスのような環境が住環境には相応しくないと感じる人は少なくないのでしょう。
ーーーそこに世の中にはLED(発光ダイオード)を導入されてきています。これによりクルマの運転は格段に楽になり、危険性減少に貢献しています。ヨーロッパの街の灯もかつてのようなオレンジ色が減り、クリスマスに街を飾る光も白くなりつつあります。
ただ、一律に同じ白なのではなく調整が可能になっているので、かつてであれば商業空間にしかないような赤や青の灯が一般の住宅でも可能になり、道を歩いていると、やばさを感じる赤く染まった部屋などが見えるわけですーはい、例えば我が息子の部屋です 苦笑。
LEDで光のバリエーションができたがゆえに、上述のような灯に対する傾向差が地域文化ではなく、個人の好みと目的に影響を受けるようになってきたと言えます。
この変化についていろいろなアングルから書いているのが、次の記事です。
生活においても、雰囲気ある光に出合う機会が増えている。音楽と食事を楽しめるブルーノート・プレイス(東京・渋谷)。空間を引き立てるのが、卓上のライトだ。ポータブル照明のブランド、アンビエンテック(横浜市)の「ターン」。音楽に没入できる穏やかな光だが「食事をする手元はしっかり照らせる。ライブと食事を一緒に楽しめる空間をつくれる」と、ブルーノート・ジャパン(東京・港)取締役の松内孝憲さんは話す。
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今はストックホルム経済大学で教える経営学者ロベルト・ベルガンティの『突破するデザイン』には、ろうそくの意味のイノベーションが語られています。電灯のなかった時代、ろうそくは手元を明るくする機能的な製品としてあった。
しかし、電灯の普及でろうそくは山の家や停電の時にしか使われないものになりましたが、そのままろうそく市場が衰退することはなく、ろうそく市場は復活します。精神的によりリラックスする空間を演出者としてのろうそくが求められるようになったのです。
これが意味のイノベーションです。
さらに、今度は電灯の意味のイノベーションが生じているー機能的な電灯から情緒性の高い電灯へ。
上の写真にあるアンビエンテックの「ターン」についての説明に加え、ろうそくの意味のイノベーションに通じることを社長の久野義憲さんが話しています。
ぼくが太字にした部分に注目してください。
ニューヨークを拠点に活躍するデザイナーの田村奈穂さんが手がけ、ステンレスや真ちゅうなどの金属の塊からパーツごとに削り出して作られている。天面をとんとんと触ることで4段階の調光ができ、照明そのものだけでなく、調光する人のしぐさも美しい。
LEDに加え、USBやリチウムイオン電池の進化によって、充電式のコードレス照明が普及してきた。アンビエンテックにはボトル形やクリスタルガラス素材など13種類があるが「明るい照明は作っていないんです」と、同社社長の久野義憲さん。「日本は夜に昼間のような空間をつくろうとしがち」と感じているという。「夜として感じられる雰囲気、心地よい空間になるための明かりを目指している」。光の色は「世の中にベストなものがなかった」とオリジナルのろうそく色だ。天井の照明を消し、ポータブルライトだけをつければ「昼間の緊張が和らいだり、何かに集中したりできる」。
電灯の新しいテクノロジーによって、一時日本で失われた心地よい灯への希求が現実的である、と認識されるようになったのです。テクノロジーは利便性の向上に貢献すると見られやすいですが、それがすべてではないーーというのがよく分かる事例がLEDの照明なわけです。
テクノロジーの(今からすれば)未熟さが1933年の『陰翳礼讃』にある美的感覚を長い間、ノスタルジックなものにしていた、と書いて良いのでしょうか?
どなたか、専門の方、教えてください。
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冒頭の写真はフランスとある地方都市。©Ken Anzai