プラハ

 最近、プラハとウイーンを訪問する機会があった。いずれも人類の知が一大発展した場所である。
 プラハは、科学という概念自体の始まりに大きな役割を果たした場所である。占星術と天文学の区別がまだ明らかでなかった16世紀に、ティコ・ブラーエは、大規模に天体の観測データを蓄積していた。ブラーエの急逝後、その大量のデータがヨハネス・ケプラーに渡り、ケプラーは、いわゆる惑星の運動に関するケプラーの法則が見つけたのである。
 ここで重要なのは、惑星の運動が、それまで考えられていたように、完全な形状である円ではなく、円に比べて不完全と考えられていた楕円であると考えないと、観測データが説明できなかった点である。ここで、解釈の分かりやすさよりも、データを矛盾なく説明できることが優先されたのである。このデータへの誠実さこそ、占星術と天文学との袂をその後分かった点になった。人類は、これを契機として、観測に基づきデータを蓄積し、常にこのデータに誠実で、恣意的に解釈しないことの重要さに確信を深めていくのである。
 このプラハから300kmしか離れていないところに、旧オーストリア=ハンガリー帝国の首都、ウイーンは位置する。ウイーンは、ある意味で、プラハ以上に現代科学の重要な発見が行われた場所である。ウイーンの知の中心、ウイーン大学の回廊には、歴代のウイーン大学の科学者の胸像が多数飾られている。ここで、物理学者のボルツマン、動物学者のローレンツ、科学哲学者のポパー、経済学者のハイエクなど錚々たる人物にならび、一人だけ他の科学者と異質な胸像がある。
 それが、エルビン・シュレディンガーの胸像である。というのも、この胸像には、「ihΨ=HΨ」といういわゆる「シュレディンガー方程式」が刻まれているのである。この式は、実は大変異常な式である。まずこの式は、万物のあらゆる現象の基本法則を表すものなので、人類にとって最も重要な式にちがいない。自然現象も肉体現象も心理現象も社会現象も、この方程式に従わざるを得ない。ここで驚くべきことは、この方程式の左辺に、「虚数」(あるいは複素数)を表す記号 "i" が入っていることである。この世の万物を表す式は、なんと実数ではなく、複素数だというのである。これほどまでに直観に反し、分かりにくいことはない。
 それでも、この直観に反することを我々が認めているのは、こうしないと観測データが説明できないからである。観測データに対する誠実さからなのである。虚数や複素数を使って表現することでしか、電子などの基本粒子が同時に波の性質をも併せ持つという観測データが説明できなかったのである。このことにシュレディンガーは気づき、この観測に一貫して誠実であった(実はこのような観測データによる反証可能性と科学との関係を明確化したのも、やはりウイーン大学の科学哲学者であるカール・ポパーであり、シュレディンガーの近くにやはり胸像が建てられている)。
 プラハとウイーンは、我々の科学的な思想の中核が生まれた場所であるが、いずれもこの意味で、観測データへの一貫した誠実さが際立っている場所でもある。

 現代の我々は、ケプラーやシュレディンガーの時代とは桁違いのデータを取得している。その蓄積のスピードは、過去のいかなる時代とも比較にならない。この中には、従来の科学の対象を超えて、社会の動向や政策の影響などに関するデータも含まれる。
 ここで我々は、この観測データへの誠実さを持ち合わせているだろうか。これこそが今我々が問うべきことだと思う。むしろ、我々は、ともすれば安易にわかりやすく解釈することが多いのではないだろうか。メディアには常に分かりやすいストーリーを恣意的につくる傾向がある。むしろメディアの関係者は、それがよいこととさえ考えているかもしれない。
 しかし、データへの誠実さを持ち合わせなければただの独善や扇動になってしまう。「わかりやすさ」と「データへの誠実さ」とは多くの場合相容れないからである。上記のように、重要な真実は、多くの場合、わかりにくいものである。
 我々は、今一度、事実とデータに誠実になる必要があると思う。

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