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混沌とした時代には現れるウザいソクラテスたち

ソクラテスという名前を知らない人はあまりいないだろう。が、何をした人なのかは正確に言える人も少ないだろう。

実際、彼は孔子と同様一冊の著作も残していないし、弟子や後世の人間が「こんな」ことを言っていた」としか伝わっていない。

「無知の知と言った人だ」という人もいるかもしれないが、そもそもあれは日本語訳の誤訳である。

ソクラテスが言ったのは「不知の自覚」である。

「不知」と「無知」は違う。不知とは「知らない」ということだが、「無知」は「知らないということすらも自覚していない最悪の状態=知が無い」で、決して「無知であることを知っている」というのではない。無知ならばそもそも無知であることも知りえないからだ。

これだけでもなんだか面倒くさいと思うかもしれないが、「知らないという不知の状態に自分があることを自覚してはじめて知ることに進める」と言えばいいだろうか。
「おいらは無知でーす。無知であると知っているので(無知の知)賢いでーす。だから無知のままでいいでーす。なので知りたいとも思いませーん、だって無知なんだから」ではない。

ところで、ソクラテスは、70歳で刑死したが、ずっと哲学者として生きたわけではない。そもそも本業は石工業で、アテナイには彼が彫った像が残っているとかいないとか。
特段、貧困だったわけでもなく、普通の所得のある市民で、市民の義務としての戦争にも行っている。当時の戦争は武器や鎧の調達などは手弁当なので、貧困であれば戦争の義務すら果たせなかったから。
彼は、少なくとも記録に残る範囲で、37歳、45歳、47歳の時に出兵している。この45歳で2回目の戦争に行く前に、すでにアテナイでは広場で誰かと対話するという形で問答をしていたようだ。奇人としても有名で、アリストファネスはその頃のソクラテスを揶揄した喜劇「雲」を書いている。

誤解をおそれずにいえば、今でいう「ウザい論破おじさん」と見られていた。

当時、アテナイではソフィスト(知者)らによる知識商売が流行っていて、いろんな知識を教えたり、弁論方法を教えたりして金を稼ぐ商売だ。今でいえば情報商材屋のようなもの。

ソクラテスはそうしたしたり顔のソフィストにも「私は知らないので教えてほしんだが、貴殿の言う○○とは何か?」と問いかける。すると「○○とは▲▲である」とソフィストは答えると、また「▲▲とは何か?」と永遠に終わらない問いを続け、そのうち答えられない部分に行きつくと「なあんだ、あんた、知ってるといったけど何も知らないじゃないか」という。もしくは、繰り返される問いの中で、最初に言ったことと最後に言ったことで矛盾が生じた場合もそこを突っ込む。
ソクラテスは「不知の自覚」が目的だからそれでいいのだが、それをやられた方は知者として商売している以上赤っ恥である。

この論駁の無敵なところは、ソクラテス自身は「知らない」という前提で来るので負けない。いつまでも問いを続ければいいだけ。いわば「無敵のなぜ?」である。

とはいえ、実際にいたら、実にうざい爺さんである。Xの中にもそういう類の人間はたくさんいる。

そもそも彼自身も知者として知れていたわけだから、「あいつ、本当は知ってるくせに知らないフリして議論をふっかけて、ただ相手を打ち負かして喜んでいるだけの性格悪い奴」と見えたかもしれない。実際、嫌われた。

しかし、反面、若者でも労働者でも娼婦でも、身分貧富年齢わけへだてなく対話をするためにソフィスト以外には人気があった。儲けるためのソフィストとは違い、ソクラテスは無報酬だった。

若者などそもそも不知である者に対しては、相手から「教えてくれ」と言われても「あんたはどう思うかね?」と必ず問いに変換して話を進める。わからないなりに何かを言えば、「それはどういうことかね?」「なんでそう思ったのかね?」と問いは続く。もし答えに窮するようならば、その相手の身近な話題に変換して、「これとあれとはどっちがいいと思うかね?」とすれば対話は継続できる。

そうやって問われて、自分の頭で考えて、連続する問いに対応して言葉を発するうちに、企図せず思わぬ言葉が発せられたり、途中で頭に電球が灯ったように「なんか感じる」部分というものがある。

理論体系化された正解があるのではなく、一人一人考え方や生活環境が違うわけで、その対話相手にとっての「気づき」のきっかけを与えるということだろう。

この対話を通じて相手の持つ考え方に疑問を投げかける問答法により「知らないことの自覚→知る」という対話相手が自分の中で新しい知識を作り出すことを助けるということで「産婆術(助産術)」と呼ばれている。自分が産むのではなく、相手の知を産むを助けるということ。

これは、人とのつながり(仕事や遊びや会話など)で自分の中に新しい自分が生まれてくるという私の提唱と主客を逆転した同様のことでもある。


しかし、情報商材屋のソフィストたちにとっては商売の邪魔であり、むかつく存在でもあった。また、目の前の現実的な社会生活を運営する優先する「大人な」人々にとっては、一見現実社会に直接役立ちそうもない重箱の隅をつつくような思索を延々と続けるソクラテスを「子供じみた」奴と蔑み、自分らの子どもたちに悪影響を及ぼす危険思想家とも映っただろう。このあたり、「それってあなたの感想ですよね」のひろゆきが子どもたちに人気を博したことを親が苦々しく思う現代の話とも通じる。

あの当時のアテナイの置かれた時代環境は、最盛期から没落期へ向かう状況で、経済的に豊かな者と苦しむ者との格差も激しくなり、民主政の悪い部分が露呈した時代(衆愚政治化)でもある。
元々、多神教の神話や伝統に依拠した保守的なアテナイに、いわば黒船として辺境からソフィストなどの思想科学や無神論なども流入し、ある意味で知的思考のグローバリズムの時代でもあった。
そんな思想混沌状態は、さしずめ今の情報社会で、テレビ・新聞などのオールドメディアの中にSNSなどのネット情報が混じれ込み、どっちが正しい、新しいとかやりあっている状況とも酷似する。
 
その中で、ソクラテスはむしろ思想的な保守でも革新でもなく、双方から距離を置いた。どんな思想も意見も不知や思い込みによるものを内包しているんだから、そういうものに正しいとか間違いとかすぐ安易に巻き込まれるのではなく、徹底的に客観せよ、メタ認知せよといっているようなもの。
彼の言葉とされる「汝を知れ」とは、そういうメタ認知の先にあるものなのだろう。

しかし、そうした二極のどちらに組しない考え方というのは民主政とは相性が悪い。多数決で白黒つけるのが当時のアテナイの民主政だから。

結局、若者には人気があっても、大多数の両極の大人たちから嫌われたソクラテスは、民衆の多数決による裁判で死刑になる。皮肉なのは、ソクラテスを訴追した知識人もその後死刑にされていること。フランス革命のときのようだ。

ちなみに、彼の言葉としてもうひとつ有名な「悪法も法なり」なんてことも彼は言ってないらしい。

その後、アテナイは、ものすごく経済力が豊かで、知的能力が高かったにもかかわらず、鎖国し貧乏で脳筋といわれた対極的なスパルタに負けて没落することになる。

で、結局、ソクラテスってなんか偉業を達成したの?と言われれば、よくわからない。最後、死刑を受け入れたことによって…伝説化し、弟子たちそれぞれが虚構としての師匠像を作り出し、それがある意味で神格化したようなものかもしれない。何も書物を残さず死んだことで伝説化・神格化に拍車がかかる。孔子しかり、釈迦しかり。

もうひとつ、ソクラテスで有名なのは、彼の妻クサンティッペが悪妻と言われていたことだ。とはいえ、悪妻ぶりもいつもガミガミと怒っているとかいうレベルのものであり、それくらい別に普通じゃないかと思うが、それは仕事もしないで毎日広場でだべっているだけだったからじゃないのか、という気もする。

お得意の弁論法も妻には通用しなかったのだろう。
そらそうだ。
怒っている妻に「一体何に怒っているのかね?」なんて冷静に問うなんて火に油のごとき愚策中の愚策だ。

死刑が確定した時も妻は「無実の罪で死ぬなんて」と嘆いたらしく、それに対してソクラテスは「じゃあ僕が有罪で死んだほうがよかったのかい?」といったといわれる。そら妻でなくても「そういうことじゃねえだろが!」と怒りたくなるだろう。

本当にソクラテスは今のXにいるクソリパーみたいだ。


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荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。