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象がいなくなる世界―コロナ禍、これからどうなる④

高速道路のサービスエリアやパーキングエリアは、車が停められないくらい。高速道路を走るトラックが増えつづけている。コロナ禍で、ありとあらゆるモノでのネット通販が広がり、物流量が激増。従来の商流以外の商流が一気に増えている。なにがおころうとしているのか。

1.流通システムが大きく変わった

高速道路を走るトラックのナンバープレートは北海道から九州まで全国区となりロングが多い。コロナ禍で、オンラインでモノを注文する人が増え、全国各地から全国の人にモノを発送する企業や人が増える。

コロナ禍が進むなか、それまでの地域圏内の物流中心から、広域圏の物流が増えつづけている。年末の歳暮シーズンに入り、積み残しが発生し、時間指定ができなくなるほど、爆発的な物流量となっている。
情報ネットワークは目に見えないが、物流ネットワークは目に見えるので、モノの動きが日ごと増えているのを実感する。コロナ禍での人の動きは制限されているので、モノが人に代わって動く。モノは行動制限されていないので、激しく動く。

コロナ禍は、売り買いの中心を「売り場」から「買い場」に変えつつある。人が店に行ってモノを買う購買スタイルから、人がオンラインという場でクリックしたらモノが届くという購買スタイルへと、意識・行動様式が変わった。コロナ禍がつづくなか、モノが激しく動く。こうしてこれまでの流通体系が崩れていく。

卸が製造元から仕入れ、小売店にはこび、お店に来ていただいたお客さまに販売するという生産・消費のカタチが大きく崩れる。次々と、これまでの流通がなくなっていく。

2.大都会が上で、地方は下という錯覚

コロナ禍のなか、いろいろなモノやコトが全国でうまれだされている。
優れたモノ、凄いモノがあるのは大都会。流行り物は大都会にあり、流行は大都会から地方に分配される。なんでもかんでも、大都市が上で、地方が下だと思い込まされてきた。そういうふうに思いこまされているうちに、本当にそうなってしまった。とりわけ東京集中が格段と進み、地方が弱まった。それが、コロナ禍で物理的に人が地方から大都会に移動できなくなり、地方が地方の意思で動き出しはじめている。

新たな動きは、大都会ではなく地方で動きだす。新たなモノやコトが次から次へにあらわれ、試行錯誤のなか、市場に受け入れられていく。それらが積み重なると、コロナ禍後、一気に風景が変わる。

コロナ禍はリセットである。コロナ禍後は、コロナ禍前に戻らない。
コロナ禍で、これまでの「集中の社会・経済原理」が成り立たなくなり、社会的価値観が変わり、これまでのライフとワークの意味が変わる。リモート・オンラインが本格的になり、都会から地方・郊外へ、自分にとって最適だと思う「ワークとライフ」を融合した場所を求めて、人々は移動しつつある。この流れは一時的にはならない。

しかし問題がある。密な東京にはこれ以上住んでいられないと地方に移るが、東京帰りの人々が地方で東京アーバンライフをしようとしたり、洒落たカフェや北欧系のカントリーの店など東京で流行っていたような店を開いたりもしようとする。しかし大抵はうまくいかない。東京で流行っているから地方でもうまくいくと考えて、東京流で展開しようとする。東京のような「ベース需要」がないことを理解せず、一部の人の一瞬の盛り上がりだけでは長つづきせず、失敗する。要は、その土地ならではのモノやコトという必然性を踏まえなければ、その土地を本拠とするビジネスして成り立たない。なぜそこにいてそれをしているのかが大切である。

3.柔よく剛を制す時代に

日本的モノづくり

これまで地方が失敗してきたのは、このことが大きい。地方にある魅力・強みを消して、東京でうまくいっているモノやコトを地方で横展開しようとして、失敗した。東京にいる専門家といわれる有識者やコンサルの提案をそのまま受け入れ導入して失敗した事例は枚挙にいとまがない。

地方のことは地方の人がいちばんよく知っている。日本は「郷に入っては郷に従え」と伝えつづけてきた。地方が伝えつづけてきた精神性を内蔵した「地域性」を掘りおこし、洗練させ、多様化するモノやコトは、どう転んでも東京ではつくれない。にもかかわらず、地方はそれをしなくなった。東京のようなモノやコトを真似してつくり、失敗した。

なぜか。地方独自のいいモノやコトができても、地方の商圏だけでは事業性が成り立たない、経済的に成り立たないと「東京」の識者に思い込まされた。ましてや、地方の人ですら、地方のモノを買わず、東京のモノを買った。これでは地域の経済が回らない。地方経済を悪化させたのは、地方の人でもあった。

それが変わろうとしている。コロナ禍による社会的価値観の変化とオンラインショッピングと物流システムが、地方独自の物語である「地方性」を成立させることとなった。今まで地域のなかでしか成り立たないと思い込まされてきた「地方性」のマーケットを、情報システムと物流システムが大きく広げつづけている。さらに「近所」の再認識が「地域性」に目を向ける人々を増やしている。

その地方ならではの文脈・背景を持つ「地域性」のあるモノやコトを磨いて、適切に情報を発信できれば、全国および世界にもリーチできる。コロナ禍前でもできたのに一部の取り組みにとどまっていたものが、コロナ禍のなか、地方から全国・世界への発信・流通が本格的に動きはじめた。それを長距離トラックが運んでいる。

図2

たとえ小さなモノやコトや取り組みでも数多く集めたら、すごい量になる。これまで象が支配した世界に、決して大きくはないが独創的なモノやコトがあらわれだしている。これまで大きな象に踏みつぶされたり、うまくいかなかったりしたこともあったが、次から次に、象が真似できない、新たなすごいモノやコトがあらわれだしている。

そういう地域性をもつモノやコトが増え、評判が広がり、ネットでの注文が増えて、物流が増えていくと、マスを前提とした「大量生産・大量消費」産である象は体制を維持できなくなる。そして「象」に依存して仕事をしてきたところも、存続できなくなる。こうして「柔よく剛を制する」が各地でおこる。いやおこさないといけない。

日本の企業経営者や企業受けの講演でよく使われている”ダーウィンの進化論”

「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか?そうではない。最も頭のいいものか? そうでもない。それは変化に対応できる生き物である」

この有名なメッセージはダーウィンの著作を独自解釈した米国経営学者レオン・メギンソン氏の言葉であるが、企業は「時流適合業」であることは真実。時流を読み、事業を柔軟に組みかえていくことが企業経営の基本であるが、時流を読めない企業人が多い。

コロナ禍のなかで重点化されているオンラインやDXや物流は、大都会や大企業だから有利というわけではない。地方でも小組織でも個人でも、ネット・物流は使える。お客さまは、いつでもどこからでも、注文ができ、手にすることができる。良いモノや魅力的なコトならば、地方も小組織は大都市や大企業に負けない。

コロナ禍で、モノづくりや売り場・買い場の「場所性」が崩れ、モノやコトの独自性・必然性という「場所性」が高まる。コンテンツだけでなく、その地方の「文脈・背景(コンテクスト)」が大切になっていく。柔よく剛を制する時代が再起動しはじめている。

小さなことから、始める。うまくいくことも、うまくいかないこともある。小さなチャレンジがうまれては消え、消えてはうまれてくる。試行錯誤していくなかで、輝くものがあらわれる。そしてそれが一気に伸長し広がる。そういう社会に、コロナ禍後になっていけないだろうか。


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