世界経済の復調と円相場見通し
違和感のない雇用統計と為替の動き
2月3日に公表された米1月雇用統計は非農業部門雇用者数(NFP)変化に関し、前月比+51.7万人と市場予想の中心(同+18.8万人)と比較して3倍近い増勢を示しました。失業率も3.5%から3.4%へ低下する一方、注目される平均時給は前年比+4.8%から同+4.4%へ減速していますが、これも市場予想の中心(同+4.3%)よりは強い内容でした:
もっとも、FRBは従前からインフレ高進について予断を許さない状況にあると訴え続けており、本欄もこの見方に沿って「そう簡単にドル安(円高)になるとは思えない」と主張し続けてきました。もともと強まっていた年内利下げ観測はあくまで市場の勝手な希望であり、FRBの情報発信との間に横たわる深い「溝」は相場変動の種になることが必然でした。ようやく早期利下げ観測は大幅に後退し、ドル/円が130円台に復帰したのは必然の帰結です。
葛藤混じりのIMF上方修正
関連するトピックとして1月30日に公表されたIMF世界経済見通し(WEO)が前向きな内容であったことについて、筆者なりの所感を示しておきたいと思います:
今回のWEOは「ポジティブサプライズと多くの地域における予想以上の回復力(reflecting positive surprises and greater-than-expected resilience in numerous economies)」を踏まえ、2023年の世界経済の実質GDP成長率見通しが+2.7%から+2.9%へ+0.2%ポイント引き上げられています。これにより2022年2月のウクライナ危機勃発以降で続いてきたWEOの下方修正は3回(2022年4月・7月・10月)で止まり、1年ぶりの上方修正ということになります。世界経済全体では中国が+0.8%ポイントも引き上げられて+5.2%になったことの寄与度が大きいと言えますが、先進国に限って言えば、変化が目立つのはドイツと英国でしょう。暖冬を背景にドイツを筆頭とするユーロ圏の復調が特筆されることは過去のnoteでも議論しましたが、ドイツやイタリアは過去3か月間でリセッション予想が覆っています:
対照的に英国は昨年10月、トラス政権が発足直後に金融市場の反感を買って瓦解するという状況に直面し、拡張財政路線の撤回を強いられた経緯があります。同じ頃のユーロ圏がエネルギー価格の高騰に対して各種抑制策を議論し、その実行を経て現在に至っていることを踏まえれば、その差がはっきりと成長率の格差に出ています。
過去1年間、世界経済を苦しめる高インフレに関しては84%の国が2022年よりも2023年は減速するとされ、世界経済全体で見ても2022年の+8.8%から+6.6%へ顕著に低下する予想が示されています。
もっとも、2024年までの時間軸で見た場合、総合ベースでは82%、コアベースでは86%の国々がパンデミック以前よりも高いインフレ率を強いられる状況が続くという指摘もあり、2023年中にインフレとの戦いが収束するという印象までは至りません。なお、「コアベースよりも総合ベースの騰勢の方が強い」という構図は既にユーロ圏で問題化しており、2月3日の政策理事会でも再三取り上げられた論点でした。エネルギーからエネルギー以外の財・サービスへインフレが波及している恐れを示唆するものとして中央銀行にとってはかなり重い現象ではあります。この状況でFRBを筆頭とする中央銀行がハト派転換するとは元より考えにくく、冒頭で言及した米1月雇用統計は現実に目覚める良い契機になったのではないか。インフレとの戦いは23年も引き続きテーマになりそうです。
WEOの示す「景気の底打ち確認」は世界経済にとって朗報に違いありませんが、インフレの絶対水準が未だ高い以上、政策当局者からすれば葛藤を覚える事実でもあり、株式を筆頭とするリスク資産価格にとっては基本悪材料と整理するのが妥当に感じられます。
円相場見通しへの影響は?
今回のWEO上方修正を受けて「為替見通しに影響はあるか」という照会も複数頂戴します。結論から言えば、今回のWEOは筆者が従前より抱く円安を想定した基本シナリオを固める材料と考えます。
インフレがピークアウトし、それゆえにスタグフレーション気味にあった世界経済が復調に向かうという事実は金利・為替市場にとって2つのシナリオの可能性を提示します。それは①インフレ抑制のための金融引き締めが不要になるので米金利低下とドル安・円高傾向が加速する、もしくは②堅調な実体経済が再びインフレを引き起こさないように金融引き締めは継続され米金利上昇(少なくとも横ばい)とドル高・円安傾向が加速する、の2つです。
つまり、WEOの底打ち予測についてインフレピークアウトを重く見るのか、それとも成長率底打ちを重く見るのか、という考え方の違いです。
筆者は②寄りの立場です。「寄りの」と付けるのは①も部分的には賛成できるからです。というのも、①で想定するような「金融引き締めが不要」という判断に至る展開は早ければ3月、遅くとも5月までには起きると思っています。だが、「金融引き締めが不要」は一足飛びに「利下げ」を意味せず「現状維持」を意味するはずです。5月までにFF金利が5%近傍まで引き上げられたとして、その後に「金融引き締めが不要」という判断に移っても、それは金利水準の維持であって引き下げではありません。FRBが様子見姿勢を定着させる中、金融政策の不透明性が後退し、ボラティリティは低下、内外金利差が残ることから円キャリー取引(円安ドル高)が誘発されるというのが筆者の基本認識です。そこまでの意図を含むのであれば①も誤りではないと思います。
ですが、①が一足飛びの利下げまで想定するものであった場合、筆者は賛同できません。本稿執筆時点の消費者物価指数(CPI)はピークアウトが鮮明とはいえ、米国で+6%台、ユーロ圏で+8%台と目標の+2%を大幅に超過しています。実体経済の仕上がりが想定以上に好調だとすれば、利下げの議論はいよいよ出にくいと考えるべきでしょう。
政策金利水準の「現状維持」は「引き締め」路線と同義
むしろ、FRBは高止まりするインフレ率を憂慮しながら、政策金利水準の「現状維持」を「引き締め」路線の継続と主張するというのが2023年で一番ありそうな展開でしょう。その意味で②の方が筆者の認識に近いと言えます。利上げ効果が半年~1年で顕現化するという考え方を踏まえれば、尚の事、2023年は「2022年の利上げ効果をウォッチする年」になるというのが筆者の基本認識です。
以上のように、①・②のいずれを辿るにせよ円相場への含意は「FRBが高い政策金利を維持し、円キャリー取引が誘発されやすい」という展開です。もちろん、②のケースには「インフレの芽を完全に摘むために5月以降も利上げが続く」という可能性も含まれます(これは年内に145円を突破も否定できないアップサイドリスクと考えます)。
逆に、FRBの利下げ期待が明確に高まるような状況(例えば雇用統計の前月比マイナスやCPIの2%割れなど)に至れば想定以上の円高に至る必要がありそうですが、好調なWEOや米1月雇用統計を見る限り、それは今のところリスクシナリオの域を出ないと考えます。