喋らなくなった人たち—シチリア島で考えたこと(上)
その店に特別の予約席がある。テーブルに予約席のカードが置かれている。開店時に、レストラン入口の奥まった席に、年配のお爺さんがひとり座わっている。サラダを食べ、ワインを一杯飲んで、料金とチップをテーブルに置き、店が混むまでに帰られる。その席は、奥様に先立たれたお爺さんの席。イタリアのレストランでよく見る風景だという
人々がマスクをしなくなったイタリアのシチリア島を、伝説のイタリア料理人に案内いただきながら、コロナ禍前とコロナ禍の3年とコロナ禍後の時の流れをシチリア島で考えた。3回シリーズで書く
1 喋らなくなったイタリア人
陽気だったイタリア人が喋らなくなった
永松さんは、今回のイタリアの旅をそう振り返った
コロナ禍の影響だろうか?マスク姿の人はほとんどいなかったが、街は閑散としていた。 観光客がまだコロナ禍前に戻っていないこともある、冬だったこともあるが、街に活気がなく、お喋りなイタリア人をあまり見かけなかった
経済的な理由によるものだろうか?EU統合によって、ドイツやフランスなどのEU大国企業やアメリカ企業のイタリアへの進出という構造的な影響が広がるなかで、コロナ禍を契機とした消費経済の停滞、ウクライナ紛争に伴うサプライチェーンの破綻に伴うエネルギー・食料等の価格高騰によって、イタリア経済に余裕がなくなったのか。永松さんのイタリアの友人はこう呟いた
毎日、エスプレッソコーヒーを
7杯飲んでいたが、今は3杯になった
物価は軒並み上がり、ガソリン価格はレギュラーで1ℓ 280円となっている。ガソリンを満タンに入れるのは経済的に苦しいので、無くなりそうになったら、10ユーロ・20ユーロ単位で継ぎ足す。街には失業者が溢れ、若者は生活保護を貰いながら遊ぶ日々だ、とフィレンチェのレストランで一緒に働いた79歳の友人は嘆いていた。高齢問題のみならず、少子化問題もイタリアでも深刻、イタリア初の女性首相ジョルジャ・メローニの手腕を見守っている
3年ぶりのイタリアで、特に高いと感じたのは野菜の値段。今までイタリアで見たことがない値段だった。燃料費、人件費、肥料などの高騰によるものだろうが、一方でbiological(100%有機の原材料によって生産された無添加オーガニックな食品)の売り場面積が倍増している。環境を意識した食品が受けいれられ、高額でも売れている。二極化が広がっている
2 アルコールを飲まなくなった若者
イタリア人は、毎朝にミオ・バール(わたしのバール)に行きエスプレッソコーヒーを飲んで友だちと喋る。夕方にミオ・バールに寄ってワインを飲んで友だちと喋ることが日課で、それがイタリア人のライフスタイルであり、Well‐Being(佳き生き方)だった
それが1日7杯飲んでいたエスプレッソコーヒーが3杯になった。ミオ・バールで語り合うイタリア人の姿がぐんと減った。そしてもうひとつ
若者はワインを飲まなくなっている
英国やフランスやスペインでも、日本と同じくアルコールの消費量が減り、ノンアルコールを飲む若者が増えている。アルコール度数の低い若者向けのワインも開発されている。お酒に弱くなった人が増えたのか?そうではない
ミオ・バールに行って
友だちとコミュニケーションをとることが
人生に必要とは思わない人が増えた
だからバールに行かなくなったのか。イタリアでの夕方の過ごし方として、バールに行って時間を過ごすよりも、スマホとすごすほうが良いと考える若者たちが増えたのか
人々の交流の場であったバールなど街のなかでのコミュニケーションが減り、喋らなくなったイタリア人が増えつつある。コロナ禍になったからそうなったのではない、コロナ禍前からの構造変化が進んでいた
3 常連のお爺さんの予約席
冒頭のお爺さんは、開店前に来られる。その常連のお爺さんを店に迎い入れる。お爺さんは、従業員の食事が終わって店が開くまで、静かに待つ。開店しても、お店はオーダーも訊かない。食べられるのはいつも同じなので、お爺さんの好きなサラダが席に置かれる。お爺さんは、そのサラダを黙々と食べて、好きなワインを一杯飲んで、帰られる
一人だけでなく、何人も、そんなお爺さんがおられる。イタリア料理はマンマの料理だといわれるが、地域のお店は地域の人とともにある。親子3代がその店に通うという地域のお店も多い。高齢単身者にとっての大切なデイナーを地域の店が担う。地域の店はWell‐Being(佳き生き方)において重要な場である。日本に、このような地域のお店とお客さまの関係があった。取り戻すべき場と関係性があるのではないだろうか?