ソロだけど言いたい! #保育士さんありがとう!
大津市の交差点で5月8日に起きた、保育園児2人が亡くなった痛ましい事故。記者会見で、保育園側の過失を責めているような記者の質問には批判が集まりました。
あの事故に関して、保育士さんたちに責任を押し付けるのは筋が違うし、何より保育士さんたちが自責してしまうことになってはならないと思います。
そんな中、ツイッターでは「#保育士さんありがとう」のハッシュタグとともに感謝の気持ちをツイートする声が湧きあがっています。
テレ朝「駆け込み結婚相談所」で共演させていただいた犬山紙子さんもこんなツイートをしています。
とはいえ、僕はソロですし、子どもがいません。子どもを育てたこともありません。保育士さんとの接点など何一つないような僕でさえ、保育士さんに感謝したいことがあるんです。そんな話をします。
僕の家の近所には大きな公園があります。通勤するためには、その大きな公園を突っ切って行きます。満員電車通勤なんてお断りなので、いつもちょっと遅めの朝にそこを通ります。
すると、大体近所の保育園か幼稚園の子どもが、保育士さんたちに連れられて公園に遊びにやってくる一団に遭遇します。
子どもたちは二人ずつ手を握って、二列縦隊でやってきます。前後左右は保育士さんたちが守っています。
公園の前には信号のない小さな横断歩道がありますが、そこを渡る時も、保育士さんたちは一旦子どもたちを停止させて(たとえ車が一台も通っていなくても)、左右確認の上、手をあげて横断歩道を渡らせています。
何より、僕がその一団とすれ違う時には、先頭の保育士さんが僕に「おはようございます」と声を掛けます。僕とその保育士さんとは、別に知り合いでもなんでもありません。最初はびっくりしましたが、保育士さんはすれ違う人たち、全員にそう言うのです。
「おはようございます…」
あたふたしながら、小声でそう返すと、後ろに続く子どもたちは元気に
「おはようございまーす!」
とみんながいって通り過ぎて行きます。
こんなん、笑顔にならないわけがない。
毎朝のそんな何気ないふれあいに癒されている独身男がここにいます。僕誰じゃない。多分、挨拶された人のほぼ全員がそう思うでしょう。
そして、何よりこの保育士さんの行動は、癒し以上に大きな気付きを僕たちに与えてくれる。
繰り返しますが、僕はソロですし、子どもがいません。子どもを育てたこともありません。でも、この保育士さんの挨拶ひとつで、不思議なことに、子どもたちを慈しむ気持ちが芽生えます。
挨拶ひとつだけでも、これもひとつの人と人とのつながりです。単に、子どもたちの歩くさまを客観的に見ているだけと違って、挨拶ひとつで子どもたちとの心理的な距離が縮まるのです。自分事化するのです。
「知らないおじちゃんは危険だから無視しましょう。たとえ同じマンションに住んでいても挨拶しちゃいけません」という向きもあるけど、挨拶ひとつで知らなくなくなる。
子どもたちを慈しみ守り育てる役割を担うのは、親だけでもないし、保育士さんだけでもない。社会全体がその役割を果たす必要がある。結婚していようがいまいが、子がいようがいまいが、皆がそういう意識を持った方がいい。今後進むソロ社会化、子どもたちを守り、育てるのは全ての大人たちだ。僕はこの保育士さんからそういうことを教えられた気がしています。
だから、この名前も知らないこの保育士さんのことを、僕は尊敬するし、感謝しています。
そして、あんな痛ましい事故が起きないよう、大人たち誰もが気を付けるようになってほしいと思いますし、気を付けようという精神論だけではなく、そうした人為的なミスが発生しないように、自動運転などテクノロジーの進化を完成させていくことも、大人たちの責務だと思います。