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ベキネバからの解脱 中世の多進法から学ぶ

中世の多進法

中世社会では桝(一合)の容量が一定ではなかったそうです。これって、ちょっとすごいことですよね。一合の量が、あちらとこちらでは違うということ。それって、量れないということですよね。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/sehs/76/4/76_KJ00007943783/_pdf

さらに、十合=一升、十升=一斗と十進法の我々にとってはあたりまえのことも、中世社会においては十三合や八合で一升とする(十三進法や八進法)というようなものもあったそうです。もはや、なんの基準にも使えないんじゃないかと、混乱してきます。

一合の量も違えば、何合で一升になるかも、まちまち。あまりにも多様性にすぎると驚きます。

現代のバラツキ

しかし、『室町は今日もハードボイルド 日本中世のアナーキーな世界』では、現代でもコーヒーのSサイズの容量には違いがあったり、洋服のSMLサイズにもメーカーによってばらついている、との記載がありました。

全ての規格が統一されているのが当たり前という思い込み自体が、現代人の思い上がりなのかもしれません。

ベキネバからの離脱

量を測るということの話ではありましたが、なんというか、こうじゃないとダメじゃないか、というような感覚が根深く自分にあることに気付かされました。

こうあるべき、こうでなければならない、という「ベキネバ」から距離を置きたくて、これまで様々な岐路で選択してきたのですが、いつの間にか「ベキネバ」に絡め取られている自分に気づくこともあります。

意識して、肩の力を抜くのも大事かなと思います。

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