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本屋は無駄を売っている

なぜ、人は余計な本を買っちゃったって嬉そうに話すのか?

日経新聞の記事によると、アメリカでリアル書店復活の兆しがあるんだとか。ちょっと、嬉しいニュースです。リアル書店の価値は「買うつもりのなかった本を買ってしまうこと」。本屋に入った時は買うつもりのなかった本を、レジに並んでいるときに手にしているって経験、みなさんにもありますよね。

人はいろんな欲望を持つけれども、不器用だからその欲望を自分で言語化することができない生き物です。そして自分の欲望は、自分で気づくより、他人に教えられることが多いんです。本屋は自分の欲望(自分の好奇心といってもいいかと思います)に気づかせてくれる場所としてはかなり優れています。そして人は自分の新たな好奇心に気づくことを気持ちよく感じる生き物でもあります。「なんだか知らないけど、この本屋に来ると、ついつい買うつもりのない本を買っちゃうんだよね」って言ってる人はたいてい嬉しそうでしょ?

本屋が知られざる自分の好奇心を発見する場所として機能するのは、その一覧性によると思います。本屋では平積みされた本のタイトル、大量に並んだ背表紙のタイトルを一気に目にすることができます。街の本屋なら、数分で店内を歩き回ることができますが、そこにはビジネス、スポーツ、食、歴史・・・と様々なジャンルの本が置かれているわけです。短時間で世界を構成する全ての要素を一覧できる。そうすると、あ、自分はこのテーマにも好奇心があるかも・・って気づきが生まれるんです。ネットではなかなかそういう体験は難しい。メタバース空間が進化すると状況は変わってくるでしょうね。

そんな本屋ですが、僕は、本屋は無駄を売るビジネスをしていると思っています。なぜなら、本は読んでみるまで、その人にとって役に立つか、無駄になるかわからないから。なんだそりゃ!って思う方もいらっしゃるかもしれませんが、無駄を売る仕事って、かなりラグジュアリーな仕事なんじゃないかって思うんです。無くても生きていけるけど、あったらいいかもしれない。そういうものを楽しめるのが人間の特権だと思うんです。ブライアン・イーノも「アートとはこの世にある別にやらなくてもいいことの全て」って言ってます。これ、余計な本を買っちゃったと喜ぶ心理と近いものがあるでしょ。

読書も「二刀流」で

ところが、平成以降の30年で、本の読まれ方がかなり変わってきてしまったのではと感じています。ネタバレ消費の浸透です。

本を読む前に、その本の効果効能について知ろうとする人が明らかに増えたと感じます。なんらかの目的を設定してから本を買う人が増えたのではないでしょうか。「泣ける本が読みたい」とか、「資産を増やすための本が読みたい」とか、「アイデアが思いつく本が読みたい」などなど。

コンテンツの消費全般にその傾向が見られるようになりました。レストランに行く前に口コミサイトで点数やレビュワーの評判を確認してから出かける。映画を見る前にSNSや映画サイトで事前に評判をチェックする。口コミサイトで集合知がスコア化され、SNSのハッシュタグが流通する環境がそういう行動を促進させていますね。損をしたくない、時間を無駄にしたくないと思う気持ちもそういう行動の中でじわじわ浸透した印象があります。

事前に内容を確認した上でのコンテンツ消費って楽しいんでしょうか? そんなふうに本を読むと、読書が答え合わせになってしまいますよね。そして自分がすでに意識している範囲の中の本しか選べなくなってしまい、世界を広げることができなくってしまいます。

もちろん、答え合わせの読書だって、知らないことは知れるし、なんらかの目的達成のための手助けになることは間違いありません。でも、ブライアン・イーノ的な読書もたまには楽しめる余裕がほしいですよね。

何が書いてあるかわからない本を読んでみる。そうすると、本を読んでみてなるほど!って思ったり、仕事に役に立つこともあるかもしれないけれど、全く役に立たない本に出会うこともあるかもしれません。完全な時間の無駄になるかもしれません。でも、その本に書いてあることが10年後に分かるかもしれない。今すぐに役に立つことと、いつ役にたつかわからないこと。「両利きの経営」における深化と探索。読書もこの“二刀流”で行きたいなと思うのです。

旅にでると、すごく素敵な体験もできるかもしれないし、下手をすると酷い目にあうこともあるかもしれない。そんな読書はとてもラグジュアリーなんじゃないかと思うのです。そんなわけで、この週末は本屋にぶらりと立ち寄って、自分の興味を引く、でも何が書いてあるかわからない本を手に取ってみてください。東京では今週末までは桜がみれますかね?

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