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今までの人生、順風満帆で過ごしてきたおじさんが陥りやすい「終末孤立」の正体

日経BP社の日経xwoman「ARIA」にインタビューされた記事が公開されました。「地元コミュニティの築き方」という6月前半の特集のひとつとして取り上げていただきました。

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全部で7つの記事らしいのですが、他の記事は、「地元・世田谷で困ったときに助けてもらえる人になる」「日本一住みたい団地の自治会改革術」「迷い猫が見つかる恵比寿新聞 大都会に共同体を育む」など、基本的に、従来の地域のコミュニティをベースとした記事内容になっています。

江戸時代の農村や長屋、昭和時代の回覧板コミュニティなど、かつて重要な役割を果たした地域コミュニティは、都会では特に徐々に影が薄くなり、隣に誰が住んでいるのか知らない状況の人も多いと思います。そして、それが快適であるという人も多いでしょう。

この特集は、そんな消滅しつつあると言われる地域や地元のコミュニティであっても、今もなおそこにいる人と人とのつながりを大切にしているところもあるし、それもまたいいよね、という話なんだと思います(すみません、僕自身が有料会員ではないので他の記事読めていません)。

その中で唯一異彩を放っているのが僕の記事でしょう。

地域のコミュニティを大切にしませんか?という趣旨の今回の特集に対して、「コミュニティに所属していれば安心だ、なんて考えがそもそも間違い」と最初から一刀両断しています。

編集部の方もよく僕にインタビューしようとしたと思いますが…。

ただ、最後まで読んでいただければ、僕のいうコミュニティの重要性はご理解いただけるかと思います。コミュニティっていうけど、果たして居場所を求めることだけが解決策なのか?という問いは重要だと思います。

というわけでご興味ありましたら、ご一読ください。有料記事ですが…。


有料記事なので、ここで内容を暴露するわけにはいかないのですが、このnoteをいつもご覧いただいている方はピンときたと思います。「ははあ、あの話だな」と。

そうです。いつも言ってる「所属するコミュニティから、接続するコミュニティ」の話です。つい先日も、古い過去記事が、noteおすすめ記事になってたくさんの方に読まれました。

世間の関心の高まりか、最近、この手の話題での取材依頼が多くなりました。

6/5に発売された「月刊潮」でも、医師で作家の鎌田實さんと対談した記事が掲載されているのですが、ここでも「接続するコミュニティ」の話をしています。

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「接続するコミュニティ」を説明する方法はいろいろありますが、これからは、いやおうなく「個人化する社会」へと向かう中で「他人と接続することでの自己の多人化が重要になる」という言い方をしています。

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多重人格化ではなく「多人化」です。自分をたくさん作り出すってことです。

基本的に、自分というものは他者との関係性の中からしか生まれてこない。裏返せば、他者との関係性に応じて自分は生まれてくるということです。自分の中に唯一無二の自分しか存在しないなんて幻想です。そんなものに囚われるからやがて孤独が苦痛とか言い出すわけで、そういう話をしたら、鎌田さんから「それカズオ・イシグロの『クララとお日さま』でもテーマになっていることですね」と言われて嬉しかったです。カズオ・イシグロと対談したい!


この感覚は、わかる人には秒で通じるんですが、わからない人にはどれだけ説明してもわかってもらえない。わからない人に多いのは、意外と今までの人生、子どもの頃は勉強もできて、一流大学出て、一流企業に入って、結婚もして、子どもいて、そこそこの地位についているおっさんに多いです。要するに、今まで順風満帆だった人。多分、政治家にも多いと思う。

「俺は俺である。ブレない軸がある。それを貫いてきた。だから現在の自分があるのだ」と自信満々なのですが、まあ、それはいいとして、そういう人は大抵寂しがり屋です。ランチを一人で食べることができなくて、必ず誰かを誘ってしまったりしているはずです。一人でやる趣味やスポーツは苦手で、ゴルフや草野球やフットサルを好みます。学生時代に、集団チームスポーツの部活をやっていた人間も多い。

確固たる唯一無二のアイデンティティの確立が大事だと思っているんですね。そういう人は、老人になって孤独感に苦しむと思いますよ。

会社を退職すればいままでの部下はあなたの事なんか相手にしません。相手されていたのは、あなたではなく、あなたの持つ評価権や人事権だったからです。

妻だって、働くのをやめたあなたを支えてくれるという保証はありません。今まで支えていたのは、あなたの持ってくるお給料があったからです。

子どもだって面倒みてくれるとは限りません。自分たちの生活で精一杯かもしれないのですから。

会社も妻も子どももいなくなった時、あなたの周りには誰がいますか?近所付き合いなんてほとんどしていないでしょ?親戚付き合いもしてませんよね?利害関係のない友達なんていますか?そもそも趣味ありますか?

ないんです。何もない。空っぽです。それが「自己の多人化」できていない人が陥る末路です。

晩年、セルフネグレクト状態になり、ゴミ屋敷みたいなところに住んで、孤独死で発見されるのはほぼ高齢者の元既婚男性です。案外、配偶者と死別した人はまだ耐えられて、ダメなのが離婚した夫ですね。僕のよくいう「唯一依存症のなれの果て」です。会社だけ、妻だけ、子どもだけというものにしか依存できないとそうなります。

コミュニティは何も自分の外側だけに築くものではありません。外側に築き、同時に、自分の内側にも築く。自分の内側にコミュニティを作るということは、自分の中に自分をたくさん作るということです。自分の中に自分をたくさん生み出して、それぞれの自分と時と場合によって向き合う。それこそが自己の客観視になります。

たった一人の自分しかいない人。俺はアイデンティティを確立しているとドヤ顔している場合じゃないんです。誰にも頼らず自分の足で立っているなどと自慢したいのかもしりませんが、自分の中にたった一人の自分しかいないことは「自立ではなく、それを孤立」というのです。

そういう意味では、僕の記事は「地元コミュニティの築き方」というより「自元(自分の足元)コミュニティの築き方」のお話といっていいかもしれません。

所属ではない、居場所探しではない。接続して、自分を生み出すこと。自分の外側だけに唯一依存しないこと。大事です。それができないと、周りを人で囲まれていても寂しさから抜けられません。


長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。