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一命を取り留めたジョンソン首相と英国の進路

一命をとりとめたジョンソン首相
ICUに入っていたジョンソン英首相の容態は安定に向かい、昨日、ICUから出ることになったという朗報がありました。本当に良かったと思います。破天荒なキャラクターで知られ英国のトランプとも言われる同氏ですが、今回の一件で「意外に日本でも愛されている」ということが分かりました。

とはいえ、ジョンソン首相が直ぐに現場復帰できるとは思えず、現状ではラーブ外務大臣が首相代行に就いています。しかし、あくまで代行であり、重要な意思決定は閣内の意見を集約した上でくだす必要があるようです。この辺りが国難状況にある英国政治の挙動を遅滞させるようなことがないか不安視されるところです。ちなみに、英政権ではジョンソン氏と同日にハンコック保健相が感染を公表したほか、ゴーブ内閣府担当相も7日、家族に新型コロナウィルスの症状が出たため、自主隔離しながらの公務という状況にあります。国難に直面している時にリーダーシップを発揮できる人物がいないことで、重要な意思決定への影響が懸念されるところです。

コロナ以前から課題はある
重要な意思決定という意味では英国は今年、元々大きな課題を抱えていました。それはEUとの間で行われる「将来の関係」交渉の行方です。コロナショックないしジョンソン首相の感染有無にかかわらず、この論点は年央にかけて問題になると言われていましたが、一連の混乱もあってその処遇をいよいよ考えるべき状況に差し掛かっていると言えます。


現状を整理しておきましょう。英国は今年1月末をもってEUを離脱したものの、自由貿易協定(FTA)を筆頭として「将来の関係」が定まっていない中で2020年中は現行の経済関係を継続する移行期間として激変緩和措置が講じられています。これによって英国とEUの間にはまだ関税・非関税障壁が発生せずに済んでいます。即ち、「名目的にはEUではないが、実質的にはEU」という名実の齟齬が生じています。この点、コロナショック以前から存在した争点は「2020年末で終了する移行期間を延長するかどうか」です。延長は2020年6月末までに双方合意の上で決断することになっており、1回限りで最長2年まで可能という取り決めになっています。

仮に、延長合意せずに2020年末までに「将来の関係」について合意形成できない場合、2021年以降はWTOルールに基づく単なる隣国関係になり下がることになり、関税も復活します。回避されたはずの「ノーディール離脱」と同じ状態が発生することになり、コロナショックで深手を負っている実体経済に追い打ちとなります。


なお、2020年末で移行期間が終了するとはいえ、各国議会の批准に要する時間を差し引けば12月31日ぎりぎりまで交渉を続けて合意というわけにはいきません。どんなに遅くとも11月末には合意が必要というのが実情です。すなわち本稿執筆時点で交渉期間は8か月を切っているわけです。これまでEUが取りまとめてきたFTAは合意・発効に至るまで5年前後の年月がかかってきたことを思えば、これが如何に無理筋な状況か想像に難くないでしょう。だからこそEU側の交渉を仕切る欧州委員会も、ジョンソン政権の「移行期間の延長はしない」という方針に懸念を示してきたのです。ここまでがコロナショックや首相の感染発覚以前からあった不安です。

協議はもう物理的に難しい
 結論から言えば、移行期間の延長は不可避ではないかと想像します。まずもって、物理的に交渉が進めづらくなっています。周知の通り、新型コロナウィルスの感染拡大を受けて大人数が集まる対面での会議が制限されています。外出制限や移動手段の規制もかかっているので、そもそも大人数でなくとも普通に集うことすら困難な状況と言えます。もちろん、ビデオや電話を通じた会議によって交渉はある程度は進むでしょう。しかし、事は英国とEUの「将来の関係」を詰める重要な協議です。高官だけが意見集約をすれば済むという話ではないはずです。各種業界団体との調整、経済的な影響ならびに法的な問題の検証は必要でしょうし、実のところ通商面以外でも安全保障面に与える課題も争点となってきます。こうした広範な論点と共にステークホルダーも非常に多いことは想像に難くありません。


現に3月18日に予定されていた第二回会合(開催地ロンドン)は感染拡大を理由に中止(延期)されました。しかも、翌19日にはEU側のミシェル・バルニエ首席交渉官が新型コロナウィルスについての自身の検査結果が「陽性」であったことを明らかにしています。かかる状況下、欧州委員会は今後の協議はテレビ会議形式を含めて代替手法による協議継続を模索する方針を示していますが、そもそも「全く時間が足りない」と言われていたところにこうした事態が圧し掛かっていることを再確認すべきでしょう。どう考えても年内合意を詰めるのは難しい状況に見えます。また後述するように、この交渉に政治資源を投下する状況なのかという根本的な疑義もあるはずです。既に以下の記事に見るように懸念は出ています。

今後、月1~2回程度の協議が対面協議以外の方法で開催されるはずですが、これと並行して行われる政治家以外のステークホルダーとの協議が首尾よく進むのか定かではありません。「たった8か月未満」という残された時間と感染拡大に歯止めがかからない現状があまりにも噛み合っていないように見えます。

英世論の本音は「今は一旦忘れてくれ」ではないのか
そもそも根本的な問題として今、「将来の関係」交渉に政治資源を割くべきかという疑問はあるはずです。現状、英国は「感染拡大を理由として移行期間の延長を決断することはない」というのが公式の立場ですが、既に英国の経済界や市民においては延長を求める声が高まっていることが報じられています。以下の日経記事が参考になります:

上記の記事にも見られるように「将来の関係」交渉に関しては、もはや「移行期間を延長してくれ」というよりも「今は一旦忘れてくれ」という方が英国社会の本音に近いと推測されます。既に移行期間が予定通り終了することを支持する世論は少数派になっていることは容易に想像がつきます。コロナショックが実体経済にもたらすダメージが深くなり、可視化されるほどこうした世論は一段と高まるでしょう。


今は世界中が新型コロナウィルス対策に政治・経済の資源を集中投下しています。確かに強硬なEU離脱路線がジョンソン政権の強力な支持基盤となってきたのは間違いありませんが、もはや状況は変わっており、対EUの強硬路線は逆に支持を損なう雰囲気もあります。世論に押される格好で延長を決断するという展開が最も公算が大きいと考えたいところです。人智を超えた混乱によって来月の経済状況すら分からない中で、政治家の手で止めることができる年末の混乱を放置するのは愚行と言わざるを得ません

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