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欠乏感とは所得の多寡ではなく「どれだけ取られたか」で決まる

「モノより思い出」という名コピーの広告があった。1999年の日産セレナの広告である。

1999年といえば、すでにバブルが崩壊して時がたち、直前に銀行や証券会社も破綻して、不景気まっしぐらと突き進む入口であり、若者にとっては氷河期と真ん中でもあった。

が、その頃はまだ国民全体に「モノより思い出」に共感できる心の余裕があった。

今、20-50代の現役世代は、心の豊かさより物の豊かさを重視するようになってしまっている。

なぜか?
そんな記事を書きました。ぜひお読みください。

記事にも書いた通り、欠乏感は人間の行動を抑制する。心の欠乏感というものは所得の多寡ではなく、どれだけぶん取られているかによって決まる。
思えば「モノより思い出」なんて広告が流れていた頃は、まだ国民負担率がそんなに高くなかった分だけ今より心に余裕があったということ。
今の若い人には信じられないかもだが、当時はボーナスからは社会保険料は引かれなかった。

政府は所得倍増とか賃上げとかばかり言うけど、可処分所得増や手取り増とは言わない。なぜなら、賃上げの目的がそれによる税収増と社会保険料増だから。税も社会保険料も料率だからあがればあがるほど税収は増えるからね。
つまり、賃上げしても上がった分はそっくり持っていくつもり。国の税収増と国民から巻き上げることしか考えてない。


まるで「百姓なんてしぼればしぼるほどいいんだ」なんてことをほざいた江戸時代の緊縮バカ勘定奉行のようだ。

内閣府世論調査によれば、90年代に30%台だった「20代の将来の経済的不安」が2022年には倍の67%にまで上昇しています。
本来、お金の心配などせずに好きな事ややりたい事に挑戦すべき年代が「お金がないから何も行動できない」という状態に陥っているわけで本末転倒。

行動できないと諦めている中に、恋愛や結婚も含まれます。そして、当たり前ですが、経済的不安が高まれば高まるほど婚姻数も出生数も下がるという完全な負の相関があります。

そして、なんで若者がそんなに不安になるかといえば、今の若者の親世代である40-50代の氷河期世代の国民負担率が異常にあがっているからでもある。
彼らは自身の就職期に氷河期で苦しい目にあったばかりでなく、その後も増え続ける負担に苦しめられ、さらに教育コストなどは高騰し続けていて、その親世代を見ている子の若者が不安を覚えるのも当然でしょう。

まさに「失われた30年」の悪循環。


さて、そんな中での総選挙がいよいよ今度の日曜である。

自公の過半数割れは必至のようだが、まあ当然。

自民党もないが、さりとて政治とカネとか政権交代とかそんなことしか言わない立憲民主党とか共産党も話にならない。

そんな政局のことしかいわない政党や政治家より、以下に張り付けた動画のような、こう言う政治家の数を今より少しでも増やして、「おいおい、そうは言うけどよ」という勢力を一定数確保しておくことが重要になる。若者だけではなく全ての現役世代にとって。

極端になんでもかんでも積極財政し続けろとはいわないが、経済は生き物である以上メリハリとタイミングが重要である。

日本は絶対的貧困が多いわけでは決してないが、かつて国の経済を支えていた中間層の現役世代が、税金や社会保険料の増額によって、「中間層なのに全然余裕がない」という状況に追い込まれている。

中間層が元気を失った国は本当に終わる。

高齢者との世代間格差みたいなことで不毛な対立をする界隈もいるが、まず中間層の現役世代が終われば、未来を担う子どもも産まれてこないし、同時に今の高齢者も、これから高齢者になる者だって無事ではいられないのであって、そこは運命共同体でもある。

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荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。