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パラレルワークは本当に先進的か?むき出しになる個人が考えなきゃいけないこと。

元旦から日本経済新聞で始まった特集「逆襲の資本主義」の中で、パラレルワーカー(記事中ではギグワーカーと呼ばれている)の一例として、私の働き方―昨年暮れのあわただしい1日の様子が紹介された。

当初は、担当記者にパラレルワーク、フリーランスなどの働き方に関する情報提供を行っていたのだが、その中で「あなたの働き方を取材させてもらいたい」となって密着され、その様子が動画化されたのだ。

▼働き方縛るモノ作りの残像 労働の「賞味期限」長く
https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/new-capitalism/272272/

記事では「定年制はもはや時代遅れ」で、時間に比例して生産高と賃金が決まる”モノ作り”を前提としたこれまでとは違い、個々が「時間や肉体ではなく知で勝負する時代」になると説いている。自分の身を守る術を自分で用意する、という時代に突入したということだろう。

正月早々、スマホを開いたら私の動画が流れてきて面喰らったという知り合いたちから連絡を頂戴し、「結局、どんな働き方をしてるんだ?」というお声をいただいた。この機会に、今の働き方と、ここに至った経緯や取材を経て感じたことを書き留めておこう。

パラレルワークの実態

まずはパラレルワークとして紹介された私の働き方について、より詳しく紹介したい。

私は自分の時間の使い方を「ライスワーク」と「ライフワーク」を半分ずつのバランスで保っている。「ライスワーク」はいわゆるコンサルティングワーク。主にスタートアップを対象に、広報やマーケティングのアドバイスをすることが多い。「ライフワーク」は、一般社団法人での活動や地域に関する仕事、広報に関する啓発セミナーなど、社会的意義と自分の興味が合致する領域で、営利を目的とせずに活動している。

いつからこのような活動を始めたのか、そもそもなぜ始めたのか。そう聞かれることも多いが、これらは学生時代の働き方の延長線上。当時はホームページを作ったり、企業のIT導入支援が中心であったが、好きな事をやって学び、それがきっかけで仕事にありつき、仕事の評判で新しい仕事がやってくる。時折、自分の趣味的なプロジェクトに顔を出したり、新しい世界に首をつっこむのである。

そんな経緯もあって、私は今のパラレルな働き方は特に目新しくないと思っている。当時から、周囲には同じような動き方をする同世代や先輩クリエイターたちがいたものだ。

これからはパラレルワークも広がっていくのかもしれないが、だからといってむやみに煽ったり背中を押すつもりはない、という事を強調したい。いまだ不安定であり、常に自分で設計したり支えていかねばならないことには変わらないからだ。

「時間に比例する賃金体系」は本当に崩壊するのか?

次に、パラレルワークと反対のものとして語られた「時間に比例する賃金体系」について。記事内ではこれを「モノ作り時代の残像」と表現したが、実際のところどうだろうか。

現在は時間が労働の尺度とはならない世界で働いている私だが、20代ではIT企業に務めたり、システム開発会社を経営してたので、人月換算の仕事の構造はよく分かるし、その管理のしやすさも分かる。

「そうでない仕事」が増えていくのも当然の流れだが、一方で、今後も一定の仕事は時間比例での計算が続いて行くだろうと思う。なぜなら、「対価を測定しにくい」という苦労は、一生解決しないんじゃないか、と考えているからだ。

パラレルワークの業界でもそうでなくても、時間に代わる対価の測定方法はまだ発明されていない。

定量的に測定しやすい業務や、機能的に定義しやすいモノを作り上げる仕事ならまだ評価しやすいのだが、コンサルティングや企画など、アウトプットが目に見えにくい業務になると、発注元と請け手の合意に委ねることが多く。交渉力によって成果の定義が左右されることになる。そうなると、、極端な言い方かもしれないが、情弱なクライアントに対してに対する「目くらまし」が上手な人が生き残る場面もちらほら。裏を返せば、価値がある仕事をしても「プレゼン力」「交渉力」がないと対価を得られない。

――それは本当に「時間給」より幸せなんだろうか。

僕は、交渉やプレゼンをするのに萎えてしまうこともしばしばで、「営業」「交渉」を任せられるパートナーが欲しいと思うことがある。

「知の価値」に基づく労働の脆さ

懸念は、価値の算定をしにくいだけでない。

変化の激しい世の中で、変化に対応する術としての知が価値を持つのは納得である。企業としては、常に知を仕入れる仕組み造りが必要であろう。では、知を提供する側の視点ではどうか。

記事内では、『労働政策研究・研修機構の浜口桂一郎所長は「デジタル時代はスキルの陳腐化が格段に早まり、労働者の安定性が揺らぐ」』と触れられている。ここで指摘される「スキルの陳腐化」と同様もしくはそれ以上に、知もすぐにコモデティ化し、陳腐化する。

一時的に「知の供給者」たる個人が、時間ベースの成果以上の価値をもたらし、儲けることは可能だ。

しかしその先には、常に知をアップデートを続けるか、「寿命の長い知」を扱うか、もしくは「手垢のついた知」をありがたがってくれる市場を探し続ける必要がある。

知の供給者も油断はできない。学び続けなければならないのだ。

むき出しの個人

記事では触れてないが、パラレルワーカーは社会保障や瑕疵担保など、社員であれば会社に守られていたリスクに対して、自分で担保しないといけない。

これは独立して会社を離れた人がまず最初に直面し、焦る部分かもしれない。一方で、その不安に応えるべく、フリーランス協会やいくつかの復業紹介系のプラットフォームでは、このような負担を軽減するサービスが出てきているし、今後も増えていくだろう。


ちょっと後ろ向きな事ばかり書いたかもしれないが、“新しい働き方”には懸念もあるという事は明白だ。でも悲観して立ち止まっているわけにもいかない。いたずらに煽ることなく、きちんと課題には目を向けて向かい合い、一つずつ解決して進んでいくことが求められてると思うし、先駆者や課題に気づいた人たちは、課題をビジネスチャンスと捉えて、新サービスなり提言なりをしていくことが求められているんだろう。

自分も一翼を担えたらとも思うし、各プレイヤーの動きを期待しながら見守り、支援していきたいと思いますよ。


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