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ハンコは「文化」として楽しむ、ということでいかがでしょうか?

政府から緊急事態宣言が出されたことに伴い、多くの企業が勤務形態を見直し、できる限り在宅勤務を導入しています。それでも出勤せざるを得ない方も多く、出勤途中の方を捕まえてはインタビューするニュース番組でも、「職場に行かないと仕事が進まないので」というため息交じりの声をよく耳にします。

でも、その理由が「ハンコを押さなければいけないから」だとしたら?
さすがに「それはおかしい」という思いを皆さんお持ちなのでしょう。日経は「ハンコ押すため出社…契約書類、在宅勤務の壁」という記事を4月2日に掲載していますし、「在宅勤務なのにハンコを押すために出社」というNHKニュースは、NewsPicksで830を超える方にPickされています(4月24日時点)

#COMEMO #NIKKEI

こうなると一気にハンコは悪者として批判の対象にされる訳ですが、私は、ハンコは「象徴」であり、デジタル化・効率化していない日本社会の仕事のやり方を見直さなければならないのだと思っています。
本当にその書類は必要か。本当に原本を出してもらうことが必要か。本当にそこに押印をしてもらうことが必要か。
そういう目で見直すと、「前からこうやっているから」という、ただの慣習・文化でやっていたことが多いことに気がつくのではないでしょうか。これを機に自分たちで見直しを進めていけば良いですよね。無意識にやっている仕事というか、自分たちの不作為で自縄自縛になっていることと言うのは多いと思います。

なお、しばらく前に、ハンコのデジタル化を問われたIT担当大臣が「しょせんは民民の話」と発言したとして、批判の嵐でしたが、コメントの全文書きおこしを見ると、「民・民の取引で支障になっているケースが多い。」から始まって、「(筆者補:民間企業の間で)そういう話が進むようにこちらも配慮してというようなことはやることあればやりたいと思っておりますけども、しょせんは民・民の話なので。」ということでした。
「しょせん」という言葉でなくて、「最終的な判断としては民間企業がなさることなので」と言うべきだったとは思いますが、この報道も一部を切り取って批判を作り出そうとしていないだろうかと疑問を持ちました。

とはいえ、民間企業同士の書類がデジタル化しづらい背景に、規制の存在があることもあるので、「民民の話」としてしまった大臣のご認識も甘いところがあるのではと思います。
規制の存在として例えば、ハンコ問題の前に書面に拘る手続きについてですが「下請代金支払遅延等防止法」(通称:下請法)の第3条が定める書面(いわゆる“3条書面”。親事業者が下請事業者に対して交付する書面)について、電磁的な方法で交付することも認められているものの、下請事業者の事前の承諾などについて細かい規定があり使いづらいという指摘もあります。
こうした細かい規定が伏兵となって、書面やハンコの手続きを続けさせてしまう要因になっていることも。ですので、「民民の話」と割り切ってしまうのではなく、こうした細かい障壁をなくしていくことで、業務の効率化やデジタル化に近づいていく必要があります。

慣習など私たちが変えられる・変えなければならない部分と、政府や自治体が定めるルールを変えなければならない部分が混在しているわけですね。まずは自分たちが変えられるところを徹底して見直すだけでも、大分減らせるのだろうと思います。そもそも”認印”なんて、なんの意味もありません。

規制の部分については、私も委員として参加している「規制改革推進会議」でも、一つ一つコツコツと改善するために議論しています。ものすごい時間と体力を要して辛いのではありますが、(このハンコ問題については微妙ですが)規制には規制の意味があることも多く、何か規制を無くせ!という雑なやり方では他のリスクをあげてしまうので、丁寧にやるしかないのだろうと思っています。

そして、政治家の中にもこうした問題にコツコツ取り組んでくださっている動きもあります。(小林史明議員は「デジタル規制改革」を提言してくださったとのこと、ぜひ実ることを祈っています。)グロービスさんは社内で完全廃止、これを機に、GMOも印鑑廃止に動かれるとのこと)

さて、この風潮の中ですっかり悪者になってしまっているハンコですが、初めて「自分のハンコ」を持たせてもらったとき、皆さんはワクワクしませんでしたか?私は小学生の時にお年玉を貯金するため、郵便局の口座開設用に親が作ってくれたのですが、急に大人になった感がしてとても嬉しかったのを覚えています。家族と同じ苗字ではあるけれど、他とは違うデザインの「私だけのハンコ」。
そう。ハンコは私たちの文化であり、とてもcoolだと思います。
今の議論は、手続き書類に“個人や組織がその当事者であることを証明する”のはハンコ以外でもできるし、そうした代替手段も認めれば楽になりますよね、という話なのです。
そして、そもそもその手続き書類が本当に必要なものかを見直して廃止できたら、合理的になりますよね、という話なのです。

「手続きとしてのハンコ」ではなく、自分だけのデザインの印鑑を楽しむことを文化として残していかれればいいなと思います。SNSでスタンプを多用するように、友達への手紙やメモ書きにちょっと自分だけの印を押したりして。

ハンコと印鑑の違いなんて、今まで不勉強で知りませんでしたが、これは「コロナに教えてもらったこと」かもしれません。
 ハンコヤドットコム“印鑑とハンコの違い”

それにしても「ハンコは文化」というと、「不倫は文化」という流行語を思い出しますね。
石田純一さん、早く回復されますように。

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