「個人」として働くにあたり、私が根こそぎ捨て去った思考
社会のジョブ型雇用化が一気に推し進められている昨今。
様々なニュースを見るなかで思い出したのですが、会社組織に雇用される従業員から、個人で働くギグワーカー/フリーランス的な働き方へシフトするにあたり、色々とゴミ箱にダンクシュートしないといけないマインドが多数あったなと感じています。
私はもともと個人で働くことを想定せず、会社に骨を埋めるつもりでプロパーな正社員としてIT企業で普通に働いていた末、紆余曲折あり現在は個人のメディアアーティストとしてフリーランスの形態で働いています。ただその過程においてはスムーズにスパッと気持ちを切り替えられたわけではなく、企業内での務めを真面目に果たしていく組織人としての自分と、業の深い自我を抱えた個人としての自分の狭間で様々な内面の葛藤がありました。
この前の記事ではギグワーカー化に際しての具体的に必要な準備やノウハウについて書いたのですが、もともとスーパー安定志向だった自分としてはそれ以上に心情的なもののマネジメントの方が難しかった記憶があるので、本日はそういった面についてもお話させていただきます。
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「周りの要望や期待に沿っていけば大丈夫」という惰性や、会社が用意するキャリアパスへの依存
会社員の頃、特に新卒時代は会社や上司が用意してくれるキャリアパスに自分を無理やり当てはめようとしていました。その結果、「管理職に最適化したマネージャーか、デザインのスキルを極めたエキスパートか」という二択しか当時の自分が想像できるキャリアパスがなく、ただ正直どっちもピンと来ないし全然イメージわかないな……と人事面談でいつも違和感を抱えていました(ひとつの技術を極める職人タイプじゃないし、かといって中間管理職が向いている気も全然しない)
が、今思えばそもそも社内に事例のない働き方やあり方を潜在的に目指していたんだろうと思います(さすがに『メディアアーティスト』なんて社内のキャリアパスに用意されていない😂)。
いくら会社が大きかろうが、やはりあるひとつの会社にはある程度似通った性質や価値観を持つ人が集まるし、自分が本当にありたい姿や働き方がいま所属している会社にないということも全然ありえます(現に自分がそうだったし、規模の大きな会社にはそもそも安定志向・ブランド志向の方が多かったりも)。
そういう時に、「用意された器にあわせて自分の生き方や価値観を変える」ことをしていると、サイズが合わない靴を履いてるようなチグハグな状態に。
↑当時のことは、こちらの記事でも少し話してます(自分がなりたい姿≠周囲や会社が期待している姿、の箇所)
「世間的にちゃんとしていること」「周囲の期待に応じること」を最優先し、周囲が望むキャリアを歩んでいると社会的な立場や表面上の自己効力感は高まるかもしれませんが、そのまま頑張り続けると心を病んだり、自分の資質とあわない働き方を続けることで空虚さが生まれてきたりすることも。
気づけば自分が心の底で望んでいることとズレが生じてきたりもするので、気付いた時に軌道修正していく必要があります。
自分の感覚や信念への不信感
会社員時代は薄々「本当はこっちがいいんじゃないかな……」「これはうまくいかないのでは」と思うことも、様々な指示や方針がトップダウンで降りてくるがゆえに、自分個人の直感や判断はいったん脇において、指示されたやるべきことを粛々とこなしていました。
仮にそれで失敗しても、自分個人として全ての責任を果たす必要はなかったので(上司だったり、組織全体の責任になる)まあ致命的なことにはならないし、いいか……とは思っていました。
ただ逆に、個人ですべての意思決定をして自己責任で生きていかなければならないフリーのような立場になると、他でもない自分自身の直感というのがサバイバルの道標になります。
直感や第六感というのはそれを信じて使えば使うほど研ぎ澄まされていくし、自分の感覚を信じて意思決定する機会が増えるほど自己信頼も増していくので、「嫌な予感がするけど、まあ一見条件が良さそうだしいいか」とか自分の違和感を無視して意思決定していると「クソッ、こんなはずじゃなかった」とドツボにはまったりしがち。自分にとって大事なことは、自分が薄々気付いていることが多いものです。
また、会社組織として「我々の会社はこれからどうあるべきか」「企業としてのブランドマネジメントをどうすべきか」という議論があるのと同様、個人で働くようになると自分自身という等身大の存在のブランド・マネジメントをしていかねばならなくなります。
アーティストには「アーティスト・ステートメント」という概念があり、自分がどういった考え方のもと作家活動をやっているのかを明文化する習慣があるのですが(ちなみに自分はこちら、もっと練り直さねば)、ジョブワーカー化が進み会社という箱が流動化していくこれからの時代、むしろ全ビジネスマンが「自分自身の理念を決める」「ステートメントを持つ」ことが必要になるのでは?という予感があります。
そうなった時の寄辺になるのが、他でもない自分自身の信念や心の奥底で率直に感じていることだったりするので、「自分の心の声」のようなものを無視せず、愚直に耳を傾けることが必要になってきます。かすかな違和感、理由のない興味や憧れや熱中、幼少期に好きだったこと、そういったものは自分の理念を整理するうえで重要な道標になります。
「自己顕示欲は悪」という観念や、他者の挑戦を嘲笑する気持ち
協調性と謙虚さが第一の日本社会だと、自己顕示欲が強い人というのは「イタい」とネガティブに捉えられやすいです。
ただ正直、「自分のことを知ってほしい、覚えてほしい!」という自己顕示欲や目立ちたがり精神というのは、個人として活動していくにあたり自分を世に売り込む上でめちゃくちゃ大事なので、なんなら自分ももっと自己顕示欲がほしいレベル。「うーん、今日ここで頑張って目立つのダルいなあ」と面倒臭がるあまり営業チャンスや人脈開拓チャンスを逃したことが死ぬほどあるからです(もったいない……)。
適切な自己顕示欲のある人は、目の前に転がりこんだ営業チャンスをしっかりと200%活かしきっていることが多いので、そら売れていくわな……という感が。
また、個人として自分をブランディングして生きていくにあたり、その過程において「イタい」という時期は高確率で通らないといけないので(その後結果が出るとイタさを脱却できるけど)、
「あいつwww目立ちたがりでダッセwww」「すべってるしwwwププwww」とか普段から思っていると逆に自分が自己アピールせねばならないときに心理的な足枷になりとっさの動きを鈍らせるので、オススメしません。チャンスは一瞬なので、そういうちょっとしたことが、人生の重要な局面でジワジワと効いてくる気がする(まじで)。
こちらのnoteでも書いてるのですが、表現活動は基本的にすべからく恥ずかしいものなので、プライドとかはさっさと捨てておいたほうが吉です。
また、他人の挑戦や変化を笑う癖がついてしまうと、ゆるやかに自分がオワコン化していくので注意だなとも実感しています。
数年前に「あいつ、最近なんか新興宗教の教祖っぽいよねwうさんくさw」「IT芸人のままでいいのに〜〜www ゲラゲラ」と知り合いに陰口を叩かれて笑われていた方が今も最前線で活躍めざましく、逆にその当時に見下して笑っていた人たちがどこかに消えてしまった(様々なご事情があるとは思いますが、少なくとも表舞台からは消えて今なにをしているのか分からない)……という怪談のような事例をいくつか目にしてきました。挑戦し、変わっていく人を安全圏から見下しはじめるのは老害化や凋落の第一歩なのでまじでこわいです。自分も気をつけねば……。
大学時代の恩師から教えられた、「自分より優れた奴には、妬まず盗め。爽やかに、しかし貪欲に盗め」という金言は定期的に思い出して頭に叩き込んでいます。
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以上、雲をつかむような話ではあるのですが、組織の一員という安定した立場から、個人として働く際に自分自身が必要だったマインドセットの変化について書いてみました。
ただこの精神的な脱皮の過程はハードながらも、ものすごく楽しくて気持ちの良い、清々しいものだった記憶があります。組織の中にいながら、「なんだか違う気がする」と違和感を感じている方の参考になれば嬉しいです。
文:市原えつこ
メディアアーティスト、妄想インベンター。Yahoo! JAPANでデザイナーとして勤務後、2016年に独立。「デジタル・シャーマニズム」をテーマに、日本的な文化・習慣・信仰を独自の観点で読み解き、テクノロジーを用いて新しい切り口を示す作品を制作する。アートの文脈を知らない人も広く楽しめる作品性と、日本文化に対する独特のデザインから、国内外から招聘され世界中の多様なメディアに取り上げられている。第20回文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門優秀賞、アルスエレクトロニカInteractive Art+部門 栄誉賞、EU(ヨーロッパ連合)による科学芸術賞STARTS PRIZEノミネートほか受賞多数。
http://etsuko-ichihara.com/
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