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将来の日本人をつくる幼児教育

10月から、3歳以上幼児教育・保育の無償化が始まった。消費税増税と同期して、子育て世帯の家計負担をやわらげる目的だ。母親の就職を促して人手不足の解消につなげ、あわよくば少子化をも食い止めようという意図が透ける。この目論見を否定するものではないが、折角の機会に「将来の日本人をつくる」視点から、これからの幼児教育・保育の中味がどうあるべきか、もっと議論をしても良いと思う。

幼児教育が、その後、大人になってからの人生に、長く大きな影響を与えることは学術的に証明されている。すなわち、これから20年後の日本を担う若い日本人成人の基礎は、いままさに保育園やこども園で作られている。この大切な時間の質を高めることは、将来の日本への正しい投資のはず。

ところが、幼児教育についての政治議論は、待機児童の数を減らすこと、すなわち目先の保育所と保育士の数を増やすことに終始しがちだ。親にとって、自分が働くあいだ、とにかく「子供を無料で放り込める場所」があれば良いわけはない。子供の将来に出来るだけ有益な時間を過ごしてほしいだろう。同様に、国家にとって、「いま働く親を増やす」ことだけが幼児教育の目的ではないはずだ。

日本の保育士の働き方については、明らかな問題が指摘されている。保育士の配置は児童福祉最低基準で定められるが、例えば3歳児の場合、日本では20人の子供に対して一人。英国の枠組みでは8人に対して一人だから、もし基準に従えば、日本の保育士は手一杯である。報酬待遇が悪く、キャリアパスが描きにくいことも保育士という職業が敬遠されがちな理由だ。

これらに加えて、女性が93%(2015年、厚生労働省資料)という保育士のジェンダーの偏りも問題だ。男女半々いる子供たちにとって、大人もバランスのある構成で面倒をみることが望ましいだろう。

また、保育士にとっても、小規模で閉ざされた職場において、極端な女性社会は「大奥」化を招きかねない。これは、日本の大企業における極端な男性社会の弊害を、鏡で映したような課題だ。極論すれば、「保育なんて誰でもできる。だから女性の役割」という口に出せない偏見の現れであり、極端な偏りはジェンダーロールの固定化をさらに進める恐れがある。

そもそも、20年後、私たちはどんな日本人に活躍してほしいだろうか?昭和から平成に育った反省を込めて考えると、自由な発想が出来、自分の意見を堂々と述べられて、しかも他人の痛みも思いやれる・・・と注文は多い。日本でも外国人と肩を並べて働くことが当たり前になると考えれば、多様性に対して寛容な価値観が欲しいし、男の子にも女の子にも、ジェンダーに中立な考え方をしてほしい。これらの種をまく場所は、家庭と教育機関の両方だ。

したがい、将来の日本をより良くしたいのであれば、いままさに、幼児教育の枠組みや保育士に求める資質をよく吟味し、必要に応じて更新することが大切だ。子供の有無にかかわらず、いまの日本を生きる大人全員の課題と言える。もちろん、幼子を預ける親にとっても、子供が良い教育を受けていると安心できてこそ、働き甲斐があるだろう。

幼児教育・保育の無償化は、消費税増税の痛みを和らげる目先のバラマキ施策であってはならない。この機会に、幼児教育の理想像と、その理想像に沿った、ジェンダーバランスの取れた保育士育成、施設の整備を長期的な視点で再考することが求められている。

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