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親が学校教育を終えた子どもにできること。

親が子どもの学校教育終了後の進路にどこまで相談にのれるのか、あるいはのった方がよいのか、案外の案外、一筋縄ではいかないテーマです。

ぼく自身の例を話しましょう。

息子に「大学を休学して写真家の可能性を試してみたい」と言われたとき、即答はできませんでした。仕事上、写真家の世界をまったく知らないわけではないですが、長い間、どうやってサバイバルし続けるかは勘がつきません。

ただ、仮にぼく自身がプロの写真家であっても、即答はできないだろう程度には想像がつきます。

2つのポイントがぼくの頭にはありました。

一つ目。現代においての社会的な成人は30歳とぼくは考えています。20代で子どもを完全に突き放すのではなく、社会人としての伴走する意識はもっておいた方が良いこと。学校教育を終えた以降の人生へのフォローアップ役が見当たらない限りにおいて(大学の先生は「社会のことは知らない」、会社の先輩や上司は「およそ会社についてしか知らない」)、親が子どもに広範なことに意見を求められる心積もりはしておいた方がよい、ということです。

二つ目。人には、机の上での学びで自走するタイプ、何らかの実体験がないと本での学びに実感がもてないタイプの2つがあると思います。ぼくは息子は後者のタイプだとみていました。同時に、イタリアの大学の新入生の平均年齢は19歳ですが、北欧諸国では25歳周辺であるとのデータから、職業経験を積んだうえで大学教育が自分に必要だと気づいたら復学すれば良いと考えていました。逆に25歳くらいまでに写真家としてある程度の仕事をまわせなかったら学校で勉強しなよ、との意図です。

以上から、パンデミック中ということもあり1年に2回しかキャンパスに行かず、2年生になる段階で息子は休学しました。そのとき、ぼくは彼にリンクドインのアカウントをつくらせ、彼もポートフォリオを色々なスタジオに送る準備をしていました。

要するに、古典的なアプローチとして、名のあるところに入り込み、今あるシステムのなかでネットワークをつくり、仕事の仕方を学びお金を稼いでいくことを想定しました。それなら、ぼくも微々たるものとはいえ貢献できる部分がありそうだと思いました。

しかし、そんな旧態依然なやり方は無意味だと知ることになります。

それを知るに、さほど時間がかかりませんでした。息子のtiktokのフォローワーが一気に3万近くになったとき、いろいろな依頼が飛び込むようになったのです。それでさまざまな仕事をこなしていくようになりました。

ここで決定的だ、と判断したエピソードがあります。20代の同世代のモデルの女の子たちが息子に撮影して欲しいと思う理由が分かったのです。

「30-40代くらいのカメラマンの古臭い感覚で撮って欲しくない。同世代の感覚をもっているあなたに撮って欲しい」

エスタブリッシュされた大人のビジネスの世界への導き方を教えるのは不要だけでなく、邪魔なのです。

もちろん、仕事をしていくうちに、安定した商売をしているエスタブリッシュされた企業をクライアントにもつのは有利であるのも彼は知ります。それでも、同世代のなかでまわるビジネスの仕掛けを知っていること自体が、それ以外の世界でも役に立つと気づきます。

3年以上を経て、まだまだ学ぶべきことは沢山あるし、多くのことに振り回され過ぎている。でも、まだ敗北宣言は出ません 笑。つまり、復学したいとは言ってきません。今年は自営業者の登録を税務署に出しました。

というわけで、親が子どもと共に歩く、または走るというのは、親も常に学び直す契機であると実感し続けることです。だからこそ、子どもに軽々しいアドバイスなどできないこともよく分かってくるのです。

子ども離れとは、子どもの歩む道に率直に敬意を払えるようになることなのでしょうね。


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