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パーパスだとか、カルチャーだとか

昨今、企業の向かう方向性や大切にしている価値観を再定義、言語化しようとする動きが出始めている。

もちろん、その理由は企業によってさまざまだと思うが、上記の記事では、多様な人たちが活躍できる組織にするためには、理念をしっかり言語化していくことが必要だと語られている。

似たような環境で育ち、似たような言葉を使い、似たような働き方をする人達で阿吽の呼吸をとる。

そんなやり方が難しくなってきた今の時代だからこそ、自分たちはどんな方向を目指しているのか、そして、どんな価値観を大事にする集団なのかを、しっかりと言葉にして共有することで、チームとしての成果が出しやすくなる、というわけである。

かくいうサイボウズも、企業理念(PurposeとCulture)を重視している会社である。今回は、組織の存在目的や文化などを言語化する意味や、どうすれば、そういった言葉が形骸化してしまわないのかについて考えてみたい。

言葉は、言葉でしかない

サイボウズでは、企業理念をPurposeとCultureの2つに分けている。

「チームワークあふれる社会をつくる」というPurposeは、サイボウズの存在意義を表現したもの。Cultureは、理想のチームワークに必要な要素を詳しく言語化したもので、「理想への共感」「多様な個性を重視」「公明正大」「自立と議論」といった言葉が並ぶ。

パーパス、カルチャー、ミッション、ビジョン、バリューなど、呼び名はさまざまだが、会社の目指す方向性、あるいは、その会社の中で大事にしている価値観を言葉にすること自体は、何も目新しいことではない。

そもそも、サイボウズの企業理念に使われている「公明正大」という言葉は、1933年に制定された「松下電器の遵奉すべき5精神」から拝借してきたものだそうだ。

考えてみれば、寧ろ、伝統ある大企業ほど、会社にとって重要な価値観を冊子などにまとめて社員に配っていたりもする。

会社を、ある目的を達成するための集団と捉えれば、そもそも会社が目指す方向性や、その中で重要とされる価値観が言語化されていない、というのは逆におかしな話なのかもしれない。

しかし、正直なところ、こうした言葉は形骸化しやすい。

会社によっては、そういうものを言語化していたとしても、誰も意識していなかったり、そもそも社員が知らないということもある。

また、企業の存在目的や文化というものは、それを言葉にしたからといってすぐに生まれてくるようなものではない。

大切なのは、実際にそこで働く人が日々、仕事をする中でどんな想いを持っているか、あるいは、どんな発言、行動をしているかということであり、そうした1つひとつの事実を振り返って見た時に、結果的にふさわしい言葉が生まれてくる、というのが本来の姿に近いのだと思う。

組織の目指す方向性や、風土を改革していきたいからといって、言葉を無理やり作っても、それによって、組織内にいる1人ひとりの人間の行動が変わるほど甘い話ではもちろんない。

言葉が、共通認識をつくる

とはいえ、まずは言葉にすることで、企業の目指す方向性や文化が変わっていくという事例もある。

サイボウズも、最初から今のような企業理念を掲げていたわけではない。

創業時の企業理念は「情報サービスを通して世界の豊かな社会生活の実現に貢献する」だったし、「多様な個性を重視」するといった風土はなく、寧ろ、全員一律、ハードな働き方をするのが当たり前だったという。

しかし、2005年の離職率28%、二度の業績の下方修正といった、経営の危機をきっかけに、社長の青野が大きく方針を転換することになる。

多角化していた事業をグループウェア事業一本に絞り、「世界で一番使われるグループウェアメーカーになる」というミッションを言語化したうえで、今の企業理念にもつながる「サイボウズあるところにチームワークあり」というスローガンを掲げた。

また社内向けには、「より多くの人が、より成長して、より長く働ける環境を!」という人事制度のポリシーを明確にし、多様な人が働いていける組織にしていく方針を打ち出した。

その後、人事制度の選択肢を多様化していく中で、「公明正大」「自立」といった組織としてのキーワードが見えてきたことから、企業理念をアップデートしていく形で言語化が進んでいった。

そこで生まれた言葉は、次第に社内の共通言語として機能するようになり、現在、社内でコミュニケーションをとる際には、上述したような言葉は、日常的な業務上のやりとりにも出てくる程だ。言葉にしたからこそ、社内の共通認識がまとまっていった、という側面があるのは間違いない。

これだけ聞くと、企業理念を言語化すれば、その方向に組織が変わっていくかのようにも思えるが、当時から社内にいたメンバーに話を聞いてみると、変革には他にも幾つかのポイントがあったという。

「意思決定」と「情報共有」が組織を変える

サイボウズの過去の決裁資料や、現在の社内コミュニケーションを見て思うのは、組織変革のポイントは、会社における重要な「意思決定」とその背景も含めた「情報共有」だったのではないか、ということである。

言語化された存在目的や文化が顕著にその力を発揮するのは、やはり組織にとって重要な「意思決定」をする瞬間である。

その事業に投資することは「チームワークあふれる社会」につながるのか、その人事制度に変えることで本当に「多様な個性を重視」できるのか。ある意味、意思決定する際に、その組織の中で優先すべき価値判断軸を言語化したものが存在目的であり、文化である。

だからこそ、特に経営層のレベルで行われる意思決定が、企業理念やその会社で大事にしたい価値観に沿ったものになっていることは、非常に大きなメッセージになる。

サイボウズでは、多様な人が働ける組織にしていく、という方針を言語化したあと、実際に人事制度としても働き方の選択肢を増やしたり、公明正大というカルチャーを体現するため、経営会議の動画も公開するようになったり、社内で使われた費用を全社公開するアプリをつくったりと、とにかく、理念に沿った施策を打ち出してきた。

もちろん、そうした対応をしていくには、仕組みを構築するため、ヒト、モノ、カネといった資源をつぎ込まなければならないし、最初はコミュニケーションコストもかかるだろう。

それでも、会社の向かう方向性を言語化したのであれば、(大前提としてそうした方向に進んでいくことが中長期的にはチームの生産性と個人の幸福を両立させると信じているわけだが)短期的にはコストがかかるとしても、ちゃんと、そこの優先順位を上げて投資することが大事なのだろう。

たとえば、「どんどんチャレンジしていこう」と言っているのに、そういう人を評価する仕組みが整っていなかったり、「多様性を尊重する」と言っているのに、一向に社内に選択肢が増えていかないとなれば、「結局、言ってるだけか」と白けてしまうことにもなりかねない。

また、ここでもう1つポイントだと思うのは、その意思決定に至った背景が、解像度高く、情報共有されているということである。

サイボウズでは、特に大きな意思決定になればなるほど、なぜその意思決定が行われたかの記録が、詳細な議事録とともにすべて公開されている。

そのため、「この判断は『多様な個性を重視』することから逆行するんじゃないか」「『自立と議論』を重んじるサイボウズにおいて、そこまでルールを細かく決める必要があるのか」などといった経営陣の(サイボウズは誰でも経営会議に出れるので、経営陣じゃない人が発言している場合もあるが)生の会話に日々触れることになる。

また、こうして細かく背景の議論が共有されていることは、特に、理念に沿った意思決定が難しいときに効果を発揮する。

ある起案が、どんなに目指す理想に沿っていたとしても、それをやることが、組織にとって耐えがたいほどのコストがかかったり、リスクがあるような場合は、一旦、見送られるというケースは沢山存在する。

多様な個性を重視するために、それを支えている人達の対応コストが倍増して、体調を崩すようなことが起きては本末転倒だ。

しかし、ここで重要なのは、どういう理由でその起案が却下、保留になったかという情報がオープンになっていることである。

なぜそのような意思決定が行われたのか、もし何かボトルネックがあって、その起案が承認されなかったのだとすれば、それは将来的に技術的に解決することができないのかなど、細かい意思決定の背景がちゃんと可視化されていれば、もし理念に沿った意思決定が一時的にできなかったとしても、そうしようという意思があったことは社内に必ず伝わるし、再度、気運が高まった時に、再びその起案を復活させることもできる。

もちろん、過去のアイディアが復活した際には、過去に議論した内容を引き継げるため、意思決定のスピードも上がるだろう。

常に企業理念に沿った意思決定が行われていること、そして、意思決定を行う際の議論が、徹底的に情報共有されていること。

この2つが揃って初めて、言葉だけでなく、本当に組織の文化というものができていくのではないだろうか。

逆に言えば、重要な意思決定の場面で価値判断の基準に出てこないような言葉は、実は組織として本当に大事にしたいものではないのかもしれない。

理念を石碑に刻まない

ここまで企業の存在目的や文化を言語化する意義、そして、それが形骸化しないようにするにはどうすればいいかを、サイボウズという会社の事例を参考に考えてきた。

ここで注意すべきなのは、存在目的や企業文化は一度、言葉にしたからといって、ずっとそのままでいいわけではない、ということである。

人が常に変わり続ける以上、社会も常に変わり続ける。

世間で必要とされる価値の形も変わるだろうし、そうなれば、企業の存在意義や、それを達成するために必要な行動、価値観も少しずつ変わっていく。

パーパスだとか、カルチャーだとか、その呼び方は様々あれど、チームが目指す方向性を、お互いに確認し続けるという営みに終わりはないのだろう。

参考文献:
青野慶久『チームのことだけ、考えた。』

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