日本から欧州が遠のき始めたタイミングは?
前回、日本の人たちにとって欧州が(心理的に)遠い存在である現実を指摘しました。 欧州文化そのものの権威下落や欧州ラグジュアリーブランドの日本での地位低下と関連付け、この現象を理解しようとする人もいるかもしれません。 例えば、ラグジュアリーブランドの日本への攻勢が始まったのは1970年代の後半です。 「1980年代、日本のバブル経済期に欧州はすごく近かった」と感じていたと思う人の割合も少なくないはずです。
しかしながら、それは全体の実情とやや違います。
2008年に出版した拙著『ヨーロッパの目 日本の目』に、本テーマに対する背景を書きました。 少々長いが引用します(一部、ここに掲載するに変更しています)。 八幡康貞さんという欧州地域研究家のメモです。 彼は1960年代初めからドイツに長く住み、日本に戻ってからは上智大学などで教鞭をとっていた方です。
下記は、「ビジネス上、欧州に注意しなければならない人たちが欧州を見ていないことに、大いに危惧を抱いています」と私が書いたメールに対する返答です。
同じことを、小生も、だいぶ前から感じています。多分、ヨーロッパの統合などは、経済的にさえ、うまくいくはずはないという意見が支配的だった日本の官僚や経済界には、EEC(欧州経済共同体)からEC(欧州共同体)に移行し、さらにEU、そしてその加盟国の拡大という、経済的のみならず政治的な統合が、つい最近まで戦争をし合ってきたヨーロッパで進行していることのロジックを理解できないでいる、という事が最大の原因だと思っています。非常に象徴的なエピソードがあります。1972年春、日本では田中角栄が通産大臣で、その数か月後に自民党総裁に選出されて、田中角栄内閣が成立する直前の事です。当時、小生は、ドイツの日刊国際経済紙の編集部記者をやっておりまして、2カ月ほど日本に取材に来ていて、通産省に取材に通っていた時の事ですが、通商政策局の課長補佐から、MITI(旧通商産業省)としては、EECがより高度な統合(EC)を実現できるはずはないと考えている、という見解を聞きました。その状況は、以下の通りです。それは、1967年にEECを含む3つの共同体が統合されて発足したECの行政執行機関であるEC委員会(Commission)の外務・貿易担当委員であったラルフ・ダーレンドルフ(既に高名であった社会学者。1969/70年にW・ブラント内閣外務政務次官、後にロンドン・スクール・オブ・エコノミクス学長、英国男爵、上院議員)が来日し、日本と西ドイツとの間の二国間経済協定の締結を提案したときのことです。それは、EC発足によって、メンバー国が独自に第三国との条約を締結する権利をブリュッセルに移譲する義務が発生する直前の、いわばドイツとしては最後の対外条約締結の機会におこなった提案であったわけです。もしも日本がドイツとの条約を締結すれば、日本はドイツを通じて「事実上の」EC加盟国として域内で自由な経済活動が出来る、というのがドイツ側の説明でした。しかし通産省の見解は、「そもそもECのいっそうの統合が成功するはずはないし、ドイツ政府は日本の事情を全く理解していない」という、えらく鼻息の荒いものでした。結局、通産省は突っ込んだ協議に入る事を避けるために、会談の場所を京都に移し接待漬けにし、「うるさい」話にならないようにして「追い返した」と言っていました。経済界を主導する権力と実力を保持していた通産省が、1972年の時点で、EEC-EC-EUというヨーロッパ統合の進展にたいする、「戦略的」な関心を持つことをやめて以来、日本経済EU圏の関係はあまり活性的でなくなりはじめたと思われます。EU側にも、よく分からない日本とよりも、韓国や韓国との取引の方が反応も早いし分かりやすいという印象が強まっていると見ていますが、どう思われますか。
1980年代に欧州に目が向いていたのもごく一部の現象であり、1960年後半から1970年代前半にかけ、日本の中枢では既に「戦略的」に考える対象とはなっていなかったのです。 その後、欧州への関心は浮き沈みが激しく、何かあればその部分だけを一斉に話題にし、その他との関連性を論じることはありません。
欧州を仕事上、視野に入れておかなくてはいけない人が、欧州を全体でみる必要性を感じていないのです。 2008年から10年を経た2018年でも、このあたりに殆ど変化はありません。 「○○が先端だ」「xxが今、注目」というキャッチーなコピーにビジネスパーソンが振り回されるのは致し方ないところがあります(それで良いとは思わないですが・・・)。 一方でアカデミックの人たちはあまりに後方のチェアに座りこみ、前方の景色が目に入っていません。 そのためEUがルールメイキングで「戦略的」に世界市場への進出を図ったことにもなかなか気が付かなかったし、GDPR(EUデータ一般保護規則)のバックグランドを容易に掴み切れないとの羽目に陥るわけです。 デザインやイノベーションの意味や解釈が米国と欧州で微妙に異なることを認識しないために、複眼的ではなく単眼的なアプローチに振り回されてしまいます。
欧州を戦略的に考えないということは、欧州の戦略を読む習慣も放棄したということです。 これを自覚するタイミングに来ているのではないか、もう一度思いを強くするのです、最近。