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西洋絵画の見方を変えられるのか? ー 倉敷の大原美術館で考えたこと(日本滞在記1)

日本に来ています。

今週、倉敷にでかけ大原美術館を初めて見学してきました。結論からいうと、予想以上に興味深く、「西洋美術の新しい見方を提示できるのでは?」と一アマチュア鑑賞者として思いました。

大原コレクションは20世紀初め、倉敷紡績の大原孫三郎(1880 - 1943)が同世代の画家、児島虎次郎(1881– 1929)を欧州に送りこみアート研鑽に励まさせ、同時に児島がキュレーター的目線でフランスなどで活躍し評価されていた欧州人の作品を買い集めたコレクションがスタートになっています。児島の孫の塊太郎さんが陶芸家になっているのと直接の関係はないからもしれませんが、虎次郎は絵画のみならず、中東の陶芸品も含め沢山の作品を日本に持ってきました。

20世紀初頭の西洋美術コレクションといえば、松方造船の松方幸次郎(1865 - 1950)がやはり似たような時期に欧州で買い集めた松方コレクションがありました。この作品が現在の国立西洋美術館の骨幹をつくりましたが、大原美術館は地方の民間の美術館として西洋絵画への窓を開いたのでした。

今回、ぼくが思ったのは、「日本で最初に西洋美術を紹介した」(1930)ことに20世紀前半はもとより、後半においても大いに意味があったが、21世紀における意味は別のところにあるだろう、ということです。そのことを考えること自体が知的遊びとしても面白いのです。

児島虎次郎の作品展示ルームが最高によい

現在、一般に公開されているのは本館と工芸館・東洋館です。本館は19-20世紀前半の欧州絵画、日本人による西洋絵画、児島虎次郎自身の絵画と彼が集めた工芸品、20世紀後半から21世紀の日本人の現代絵画です。例外的とでも称すべきなのが、エル・グレコの『受胎告知』(1590)です。一方、工芸館は民藝運動の主要な役者たち(英国人のバーナード・リーチを含む)の作品があり、東洋館には古代オリエントや東洋の作品です。

抜群に目を惹いたのは、実は児島虎次郎自身の作品群です。彼は日本で描いていた時点で既に光を意識していました。その児島がフランスやベルギーで前世紀からあった光の強調のもとで欧州人を描き、いわゆる印象派的な影響を日本に戻ってから日本の風景に適用していくのです。異文化交流とその結果としての文化変容が想像できます。

また、彼が欧州から日本に戻る船のデッキで描いた中東やインドの人のおぼしき姿は、ゴーギャンの着想を想起させるのです。

大原孫三郎の息子、總一郎は日本人の西洋画家にも注目していったので、藤田嗣治や20世紀の代表的な作家の作品が、やはり本館に展示されています。順序でいくと、欧州人の西洋絵画を一通り見た後に、こうした日本の作家の作品をみることになります。

正直言うと、最近、ぼく自身、このジャンル、即ち、西洋を学びつくそうとした、あるいはその反動から逆へ行った時代の人たちへの関心が薄れていました。美術にせよ、文学にせよ、あまりにドメスティックな現象に見えていました。

20世紀的なレンズの限界を感じていたのです。しかし、そこに知的刺激の源があったのを再認識しました。

日本の作家たちが、西洋のレンズで西洋と日本をみた、あるいは、その延長線として自分自身のレンズとは何か?を問いながら、西洋のレンズを意識的に外していくプロセスを21世紀の視点から見直す素材が、ここにはあります。そのときにヒントになるのが、児島虎次郎や松方幸次郎の集めた作品の出自であるフランスの現状です。

フランスが芸術大国ではなくなった今・・・

拙著『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義』の第8講「アートのもつ意味」のなかで、『巨大化する現代アートビジネス』(ダニエル・グラネ、カトリーヌ・ラムール)の一部を紹介しています。まとめると、以下のようになります。

フランスが芸術大国と称されるのは20世紀前半までのフランス人を中心としたアーティストが世界的に評価されたからである。だが、後半以降、殊に今世紀に入ってからのアーティストの主人公は米国や英国におり、しかも市場規模も米国、中国、英国の後塵を拝している。その一方、市場で流通できる作品としては第二次世界大戦後に生まれたアーティストの手によるものが主流になっており、オールドマスターや印象派の作品は表にでてこない。したがって、グローバルアート市場においてフランスの存在感は低下した。

今世紀に入り現代アートの語り手が美術史の専門家だけでなく、コレクターたる投資家やビジネスパーソンなど範囲が広がります。この拡大されたエリアにフランスのアーティストもギャラリーもあまり入ってきていなかったのです。フランスの文化予算が他国と比較してGDP比率が高いのは知られているところですが、そのわりにフランス人のアートの才能(商才もあわせ)の存在感が低下してきています。

上記の著者、カトリーヌ・ラムールにぼくがインタビューしたところ、「アートバーゼルのパリ版が今秋開催されるようにし、公的美術館の改装が行われ、私的美術館開設の後押しを公的機関は行ってきました。しかしながら、それらはグローバル市場での存在感に貢献しますが、地方の美術館や作家とは距離があり、そこには従来と同じように、公的資金がローカルなアーティストの作品を買い支えるとの構造は続くでしょう」とのコメントが返ってきました。

いわゆるウインブルドン現象を受け入れることになります。英国のローカルのテニス大会であったウインブルドンの世界的地位がレギュレーションの変更で向上しました。だが、ローカルのプレイヤーには恩恵があまりない。それと同じことが、パリがアートのエコシステムとして復活を遂げようとするなかで生じていきます。

アートのグローバル市場は年間7兆円あたりを天井に行き詰まり、それらをさまざまなプレイヤーが食い合っているのが現在です。若手やローカルの中堅レベルの作品が流通する金額は比率として低く(あるいは国際市場の特定の作家の作品が高すぎる?)、言ってみれば、経済的価値とは別の次元での意味があらためて追求されるわけです。もともとアートはそういうものであったにも関わらず、です。

工芸館みていて思った

本館で前述のようなことを思ったのち、工芸館に足を踏み入れます。そこには、ちょうど児島が欧州に滞在していた頃に柳宗悦、河井寛次郎、浜田庄司といった人たちがはじめた民藝運動の担い手の作品が陳列されています。手仕事をする職人がつくった生活用品の数々があり、英国の19世紀のクラフトの思想を伝えたバーナード・リーチの陶器もあります。

ロンドンのビクトリア&アルバート博物館のセラミック部門にも、日本の工芸家たちとの交流実績は展示されていますから、国際的な文脈にものっているものです。即ち、日本の画家たちが西洋のレンズをどう扱うかを試行錯誤していたとき、より日本の土壌のなかに嵌るべく工芸作家が何を考えていたかが並行して分かるのが、工芸館です。

そうすると、国全体として西洋に追い付こうとした日本のアーティストたちの思考の全体像がさらに見えるのです。工芸品そのものも、もちろん良いのですが、これらが当時の日本人アーティストによる西洋絵画コレクションの理解の助けとなると気づくと、今までぼく自身がもっていた「古くなった日本人画家の作品群」との先入観がひっくり返ったのです ーはい、お前が無粋な人間だったに過ぎないと言われれば、それまでです!

極めつきは旧大原家本邸の書斎の中身にあった

さらに、そうか!と思ったことがあります。總一郎氏の書斎にあった書籍の数々です。ここにはおよそ二千冊が展示されています。

ここにある本のタイトルを眺め、経済学はもとより、ドイツ哲学や各方面への知識欲を抱かれたことがわかります。もちろん、これらが蔵書のすべてではないのでしょう。が、仮にポストモダンの議論や南欧のやわらかい思想、または文化人類学方面の本をカバーしていれば、あの美術館の展示の仕方が変わっていたのではないか?と妄想するに足る書棚です。コレクションや展示の方向を判断するに、このような読書経験がバックにあると知るのは、とても良い参照になります。

当然ながら、集中して読書されたであろう時期と、公益財団に生きてきた時代とのずれがあります。1968年に逝去された方にポストモダンもないでしょう。ただ、美術館の展示と書棚の本の数々にまったく呼応するものがないはずはなく、逆に、どのような分野の本があると展示がこう変わるとのヒントになる限り、全体図をみせる重要な要素です。

現在、大原美術館の理事長は、總一郎氏の孫にあたる、大原あかね氏です。彼女の蔵書と展示の変化を拝見させてもらえると、さらに21世紀における大原美術館の意味を際立たせてくれるのではないかと感じます。

実のところ、上述したフランスの地方の美術館や作家の現状は、大原美術館がこれからを考えるに良い参照になるし、あるいはお互いがお互いのために議論しあえる材料が多いと思われます。

というのも、今、プライベートのアートコレクターは、新興国の場合であればその国のアーティストの作品、地方都市であれば、そのローカルの作家の作品を中心に集める傾向にあります。即ち、グローバル市場文脈から外れていること自体に意味があります。

大原美術館の場合、コレクションが欧州人と日本人の手による西洋絵画と民藝の両方にわたり、それを支える思想的背景の記述もある程度可視化されているのです。これからの方向がとっても楽しみな美術館・・・と素人ながらに思うのでした。

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