ブルネッロ・クチネッリとスローフード
今月はじめ、高級ファッションブランドであるブルネッロ・クチネッリのイベントに出かけてきました。世界各国から500人のメディア関係者を招いたイベントで、彼らの本社の周囲の「風景を整え終えた」というお披露目です。同社はエルメスと同等と評価されるブランド力をもった株式上場会社ですが、このイベントは創業者家族の財団が主催しました。
場所は本社のあるイタリア・ウンブリア州のソロメオという村です。ブルネッロ・クチネッリは1979年に創業して数年後、丘の上の建物の壁も崩れ落ちていた中世の街に本社を移し、街を再生。そこに劇場・文化センター・職人のための学校などを作ってきました。
そして次に行ったのは、本社を丘の上から平地に移し、その周囲の環境・風景を整えることでした。本社近くにあった高度成長期の安普請の他社工場を土地ごと買い取り、「この建物は風景を汚す」として解体し、「次世代が考えるための」緑地としたのです。それだけでなく、子どもたちのためのサッカー場、ワイナリーと葡萄畑、広大な自然公園・・・と手掛けてきて、丘の上からみると、それは見事に美しい風景になりました。
創業者は貧しい農民の子でした。高校生の頃、自分の父親が農民からペルージャ郊外にあるセメント工場に勤めるようになり、その父親が工場の機能的なシステムのなかで人が人として労働できない苦悩を抱えていることを知ります。それが後に「倫理的資本主義」と称される企業経営として結実する動機となります。そして今や、世界中のプレステージあるメディアの表紙を飾るに至ります。
彼の経営を具体的にいえば、本社100キロ圏内の小さな家内手工業的な工場のネットワークをつくり、機械大量生産ではない手仕事による中規模生産のシステムを実現。従業員の給与を国の平均レベルより高く設定し、社員食堂では土地の材料で作ったマンマの料理を1時間半かけて食べる「余裕を標準」としたのです。都市郊外にある「寝て帰るだけ」の住宅地が現在、コミュニティとして崩壊していることをクチネッリは問題視しています。
さて、クチネッリが自らスローフードに言及しているインタビュー記事を、ぼく自身は読んでいませんが、彼が見ている方向は明らかにスローフードの方向とダブります。 スローフードは1989年、ピエモンテ州のブラで生まれた活動で、いわゆるグローバル巨大食品企業が世界の農業生産を牛耳り、環境破壊にばく進し、ライフスタイルの質の低下を招いている現況に何とかストップをかけようと試みています。「大企業と中小企業」「大都市と地方」「工業と農業」という対比でいえば、常に後者の存在の意味を探ってきました。そして「田舎の風景」の重要さを説きます。
そこで、プレシディアという土地にある農産品やそれを作る環境の保護を促進するプライベート認証制度を世界中に広げています。EUや各国政府の原産地呼称制度が巨大企業から中堅企業とリンクしやすいことをスローフードは問題と見なし、プライベートな制度の運用に踏み切ったわけです。
ぼくはスローフードの幹部にブルネッロ・クチネッリについて意見を聞いたことがないし、クチネッリにスローフードへのコメントを求めたことはありません。もしかしたら、お互い、口ごもるかもしれません。しかし、遠目に見ながら「切磋琢磨する仮想パートナー」くらいには考えているのではないか、と想像しています。