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マイナス金利を擁護するECB~論文を発表~

ECBの金融政策を巡ってドイツ憲法裁判所がECBの運営する公的部門購入プログラム(PSPP)の一部について違憲判断を下したことが話題です。


本欄では詳しい解説は割愛しますが、現状では①パンデミック緊急購入プログラム(PEPP)が量的緩和の主砲であり、②PSPPにおけるドイツ国債の購入割合は控えめであることなどから喫緊の問題にはならないと私は思っています。そもそも万が一、3か月後にECBが適法性を証明できなかったとしてもドイツ国債が買えなくなるのはドイツ連邦銀行(ブンデスバンク)ですので、他の加盟国の中銀がドイツ国債を少しずつ余分に購入すれば良い話です(解釈が誤っていたらご指摘下さい)。


本件はあくまで「加盟国の司法判断」と「EUの司法判断」が対立した時にどのように処理するのが適切かという法律問題であって、経済・金融情勢への影響を懸念する問題ではないと思われます。とはいえ、PEPPはあくまで緊急的なツールであって常設が期待できないものであることを思えば、アフターコロナの局面まで見通せば、ECBは厄介な問題を将来にわたって抱え込んでしまったというのは事実でしょう。

マイナス金利の有効性を説くECB論文
さておき、ECBは5月13日、『Negative rates and the transmission of monetary policy』と題した論文を発表しています。本尊から発表された論文ですから、当然、マイナス金利政策の有効性を主張する内容です。しかし、上述したような法律的問題が量的緩和に対して持ち上がっていることを思えば、「次の一手」としてのマイナス金利深掘りという論点が今後浮上してくるかもしれません。それだけに論文は注目です。

現金シフトはさほど起きていない
元々、マイナス金利の副作用としては、現金の非負制約(現金はマイナス金利にならない)を考慮し、預金から現金への需要への大きな需要シフトが発生し、これが銀行収益を劣化させるとの懸念がありました。また、仮に現金を貯蔵する動きが、マイナス金利を受けたポートフォリオリバランス効果(より期待収益の高い資産クラスへ資金が押し出される動き)を上回れば、政策効果も薄れるとの懸念も当初からありました。


しかし、これらの副作用を論文は否定しています。例えば、現金へのシフトに関しては「今のところ、そうしたタイプの大規模な流動性漏出(liquidity“leakages”)の兆候はない。これは決済や貯蓄の手段としての中銀準備預金や民間銀行の普通預金が提供するサービスを放棄するコストに起因するものと考えられる」と指摘しています。現状では副作用はなし、という見方です。

確かに、ユーロ圏の貨幣流通高を見ると2014年6月のマイナス金利導入を境に加速度的に伸びたといデータはなく、それ以前以後では変わっていません。この点、リテール預金へのマイナス金利は法的問題への懸念(国による)そして預金流出への懸念もあって基本的に実施されていないのでマイナス金利を嫌気した現金シフトは無くても当然という考え方はあるでしょう。ユーロ圏の多くの加盟国では法人預金に対してはマイナス金利が合法化されており、その動きは徐々に拡がっているようですが、リテール預金にはそのような動きが拡がっているわけではありません。

しかしながら、リテール預金に明示的なマイナス金利を課すことがなくても、手数料などを踏まえれば実質的にマイナス金利になっているケースもあるはずです。にもかかわらず、銀行預金が著しい流出に見舞われているという兆しは見られてないことについて、論文は「名目マイナス金利はリテール預金者の行動をわずかにしか変えていない。これは貨幣錯覚や何らかの行動バイアスの結果と考えられる」と結んでいます。いずれにせよ、マイナス金利があるからと言って銀行から資金逃避が起きるような動きには未だ至っておらず、この意味で副作用は現時点で押さえられていると論文は指摘しています。問題なし、というお話です

銀行収益の影響は「無視できる(negligible)」・・・
片や、注目される金融機関収益に対する影響分析ですが、これは「実証的問題(empirical questions)」であるとしています。しかし、最後まで読むと、結局のところは「問題なし」と結論付けており、議論を呼びそうです。論文は長短金利差を源泉とする銀行収益がマイナス金利によって圧迫されていることは認めつつ、資産価格の押し上げや、(マイナス金利で)マクロ経済が支えられていることで収益が押し上げられているとポジティブな効果も強調されています。とりわけマクロ経済環境の好転によって銀行が携わる金融仲介の量は増加し、純金利収入(net interest income)はサポートされたはずと指摘され、低金利環境による借入需要の押し上げ、保有有価証券の含み益増大なども言及がありました。

ですが、これらのポジティブな効果に関する分析には違和感もあります。そもそも「マクロ経済環境の好転」がマイナス金利を大前提として起きているものかどうかは断言できないでしょう。常にそうですが、政策は「それをやらなかった時」のシミュレーションができないため、政策を擁護する側は批判する側に比べて圧倒的に有利です。マイナス金利のお陰で景気が安定していたという前提に依存しながらポジティブな効果を謳うことには危うさを感じざるを得ません。これに対し、マイナス金利導入による長短金利差の消滅(ひいては銀行収益の圧迫)は紛れもなく因果関係があるものです。だからこそ「実証的問題(empirical questions)」と述べ、判断を保留しているのでしょうが、最終的に論文として示している結論が「マイナス金利が銀行収益にもたらす影響は中立的なものである。

全ての効果を考慮すれば、現状、マイナス金利政策は銀行収益に対して無視できるほどの影響(a negligible impact)しか持たない」というものであることに関し、異論は少なくないと思われます。

「次の一手」は利下げなのか?
こうした論文は「次の一手としてのマイナス金利深掘り」を予見させます。しかし、論文は「さらなる緩和拡大やマイナス金利深掘りの際、金融政策の波及経路を阻害しかねない潜在的要因を注意深く監視すべきである」との一文も見られていますので、現状から「次の一手」を導くことには一応の慎重さはありそうです。筆者は個人的には、3月の「悲観の極み」とも言える状況下、FRBの大幅利下げの直後で期待が高まっていた時ですら利下げしなかったことを思えば、引き続きマイナス金利深掘りは有力なオプションではないと思っています。

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