新たな教育の姿を「たそがれ清兵衛」に見る

テレビで久しぶりに映画「たそがれ清兵衛」を見た。江戸末期の下級武士の高潔な姿を描き、日本アカデミー賞などを総なめした山田洋次監督の名作であり、真田広之も宮沢りえの演技もすばらしかった。

下記のやりとりが印象に残った。
娘は家で『論語』を素読している。江戸時代には論語や儒教を学ぶことが「学問する」ことで、そこで論語が説くのは「人生をいかに生きるべきか」であった。

そこで娘には疑問が浮かぶ。そこで父、清兵衛に聞いた。

娘「お父はん。針仕事ならって上手になれば、いつかは着物や浴衣が縫えるようになるだろう?んだば、学問したら(即ち論語を学んだら)、何の役に立つんだろう?」
 
父「学問は針仕事のようには役だたねえかもの。」(沈黙)
 「学問しぇば、自分の頭でものを考えられるようになる。考える力がつく。この先、世の中がどう変わっても考える力、持っていれば、何とかして生きていくことができる。これは男っこも、女んこも同じことだ。わかるか?」

清兵衛は、幕末という激動の時代を予感してか、針仕事のような直接役に立つことではなく、自分の頭で考える能力をつける学問の重要性を説いた。これは今の時代に我々に必要なことでもあると思う。

今、世界はますます予測不能に変化する。この中で、直接役立つようなスキルではなく、生きるために自分の頭で考える力をつけなければならない。その核心の問いは「人生をいかに生きるべきか」である。そしてこの問いの根底には「幸せとは何か」を問うことにつながる。

小手先のスキルを学ぶことを超えて、今、人生をいかに生きるべきかを問い、そして、幸せとは何かを問うことが必要である。

そのような動きが下記のように始まっている。


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