部活は自律型人材を生む最初の場所になるかもという話
こんにちは。Funleash志水です。いつもNoteを読んでくださり、ありがとうございます!梅雨が明けたと喜んだ期間も束の間、また雨の日々に逆戻りしてしまいました。太陽との再会が待ち遠しいものです。
今日のテーマは部活。今、学校の部活がピンチだそうです。
記事によると、スポーツ庁の有識者会議が、休日の指導を民間人材などに委ねる「地域移行」を2023年度から3年間で進める提言を公表したそうです。
さらにスポーツ活動のみならず、吹奏楽部など文化部活動も地域移行を検討する有識者会議が開かれ、25年年度末までに段階的に地域移行を行うことが決まりました。
少子化と指導する教員不足、あるいは教員の過重労働や長時間の拘束などがこれらの改革を促す原因のようです。
部活動に関連するニュースといえば、体育会系の部活における指導者からの体罰、閉鎖された文化、部内の暴力やいじめなど・・ネガティブなワードとともに紙面を騒がせることが多いですよね。最近では平日・休日ともになかなか部活を休めないことからブラック部活など揶揄されることもあります。
皆さんは部活に対してどんな印象をお持ちでしょうか。
記事を読みながら自分の中高時代の部活を思い出しました。
中学で吹奏楽に魅せられ、全国大会出場の記録を持つ高校に入り、「全国大会に出てみたい」。そんな邪な理由で地元の強豪高校に進学した私は、入学すると勉強はそっちのけで部活一色の学校生活。寝ても覚めても吹奏楽の日々。高校生活3年間は、エネルギーのほとんどを部活に注いだといっても過言ではありません。
平日は2時間程度でしたが、夏休みともなれば早朝から夕方まで学校の近くの河原で猛練習。全国大会への切符を手に入れるために九州地区大会を目指していました。練習が終わったあとに先輩が奢ってくれたかき氷。
今でも田舎に戻ると河原で練習している生徒(おそらく後輩)に自分の姿を重ねてしまいます。
今思い返すと、嫌なこともありました。すぐに思いつくのはやはり、「部活独特の文化」でしょうか。
・メンバーシップ型・・細かい規律があり、同調圧力が働いて集団行動が求められる。部活を辞めると「裏切者」と見なされてしまう。
・年功序列・・上級生は絶対的な存在であり、逆らえない。雑用は下級生の仕事。毎日、床を磨き、上級生の楽器をピカピカに磨き上げる。私がいた吹奏楽部は上下関係が厳しく、上級生の前では歩いてはならないという謎のルールがあった。(迅速な行動の象徴。走る文化部と言われてましたw)
・部活が最優先・・週末どころか年間に休日は元旦だけ。中間や期末テスト前でも毎日活動。具合が悪くても休めない空気。部活が何よりも優先され、自由な時間はほぼなし。
当時は当然のことだと受け入れていましたが、今の時代には考えられないと思います。さすがに今では部活もかなり進化しているでしょうし、時代錯誤な、変てこなルールのほとんどは消滅したのではないでしょうか。
一方で、現在は教員の負担の大きさが問題となっています。平日のみならず週末にも部活の指導を強いられたり、本業の残業も加わり、家族を犠牲にしている教員、長時間労働で心身の不調を訴える教員の増加が増えているとか。これは深刻な問題です。
価値観の多様化、少子化、教師への負担など社会の変化を考えると、今のままでは持続可能どころか部活の存続が危ぶまれています。
企業の働き方改革と同様に部活も昭和型の運営から抜け出して、時代にあった活動にアップデートする必要がありますね。
冒頭記事の「地域移行」の決定はその解決に向けた一歩ですね。方針については賛同します。
ただ、部活のアップデート=「教員の働き方改革」という文脈で議論されていることにやや違和感を感じています。そこには、「教員の本業は生徒に授業をすることで、部活は余計な仕事である」という前提があるような気がしています。
でも生徒の自律を助けるのは教員の役割ですよね。働き方の課題解決と同時にこの役割は維持してほしいと考えます。
記事にもあるように、学校教育法には部活を規定する条文もなく、「生徒の自主的、自発的な参加により行われる」と短く言及されているのみ。教員も生徒も半強制的に「部活をやらねばならない」とされてきた側面はあるかもしれません。
けれども、民間に委託する、『地域移行」さえすれば問題は解決できるかは懐疑的です。
他の政策同様、「制度設計」のHow(方法論)が先行しているように思えます。(なぜ?ではなく、どのようにが先行するのは日本組織の特徴です)大事な論点は見落とすべきではないと考えます。
部活は誰のためのものなのか?
なぜ部活をやるのか?
どのような効果が得られるのか?
これらの問いに戻って考える必要があるはず。議論を見ているとこのあたりがあまり見えません。
主役である生徒を中心に、教員やOB、自治体など幅広い人たちを巻き込んで議論してゆく必要があります。
自分の部活を思い出してみました。
幸いなことに私の学校には「自主創造」という校訓があり、そのおかげで、運営は生徒が自発的に行っていました。予算管理から年間の練習計画、遠征などの手配なども、生徒主導で学校に提案・実行していました。指導教員はコンクールや大会の前は毎日来ていましたが、通常はたまに顔を見せる程度でした。その代わりOBや音楽関係者などがアドバイスをしたり、コーチ的な役割を担っていました。
中高生の部活はある意味「プロジェクト」とも言えます。チームの目標を目指し、与えられた役割をそれぞれが遂行し成果を出す。各自でPDCAを回しながら、成功や失敗を内省して、次につなげてゆく。
いま振り返ると、「自律性」「主体性」を身に付けることができたのは部活のおかげ、そしてそれは社会に出たときに必ず役立つと断言できます。(面接のときにも部活の経験はアピールできます!)
本番で勝つための日々の練習、チームのメンバーとうまくやる、途中であきらめないでやり遂げる、個人ではなくチームで目標を達成する、障害をともに乗り越える・・社会で働くために必要な多くのことは部活で学ぶことができます。頭も心も逞しく鍛えられます。
デジタル化の発展により、授業そのものはYouTubeなどの動画やオンラインによるインタラクティブなコンテンツに置き換わっていきます。もっと加速するでしょう。部活において教員の負担が増えるのは問題ですが、その部分はテクロノジーで改善できるはずです。(学校運営そのものを抜本的にDXする必要はありますが)
私の知っているある高校ではテクノロジーを導入して部活自体の成果、および、生徒や教員の参加時間を大幅に改善することができました。
今、学校が果たす役割そのものが大きく変化しています。
コンテンツの進化だけを見れば民間の塾やオンラインの学びの方がはるかに充実しています。
学校にわざわざ行くのは、仲間が集まってリアルに活動することに価値があるからでしょう。文化祭、体育祭などの学校行事はもちろん、部活は最も意義のある活動の一つではないでしょうか。
「地域移行」として①地域にある民間のスポーツクラブの活用②外部指導員の配置・補填、③教員による「兼業」などが検討されています。教員の負担ばかりに焦点があたっていますが、最も大事なことは部活の本来の目的に立ちもどることではないでしょうか。
「生徒が自分たちで考えて主体的に運営する」
これが実現できるように、学校関係者だけではなく、社会の多様な大人たちが関わって支援していくことが最も重要だと思います。
生徒たちの手によって自主的に運用されれば、授業では得られないかけがえのない経験を得られる素晴らしい機会になります。
専門家による支援、スポーツ選手・アーテイストのセカンドキャリア、あるいは経験のある社会人OBの副業で関わってもらう。素人?の教員に丸投げするのではなく、生徒の活動を地域の大人が支援することが要だと思います。
そして部活改革は、管轄する文科省だけの責任ではなく、自治体や地域の民間企業など複数の関係者が協力する。多様な関係者とともに新しい部活を模索する動きが不可欠でしょう。
「地域移行」を進めるだけではなく、「地域のまちづくり」にも生徒を巻き込んでいく。部活の地域移行をきっかけに、地域が抱える課題解決の動きがおこれば一石二鳥、社会の仕組みが大きく変わるかもしれないですね。
自律型人間は企業に入って育成するものではなく、学校の部活で最初に育むことができる。
生徒の自主性を引き出すことができる部活改革に大きな期待を寄せています。