脳内グルメとフットケア
ウォーキングと医療費削減
一般社団法人ライフロングウォーキング推進機構という組織があります。医療費データ分析に基づいた健康施策とアウトカム評価、活動量計とクラウドシステムによる運動量の定量、参加者へのフィードバック、地域ボランティアを育成し協力して健康を守る健康マイスター制度、などの活動を行なっています。
この記事のウォーキング施策に対して、2020年から同社団のプログラムを提供しています。
歩くことは健康につながる。常識のように言われています。
実際に、ウォーキング活動と医療費削減の関連性を示すデータもあります。
僕自身、こうした情報に感動し、この活動の社会実装に貢献できることがないか、と理事として関わらせてもらっています。
歩きたくとも、歩けない
そうは言っても、なかなか歩くことができない場合があります。
その原因のひとつに、足の状態が歩くことに適していない場合があります。爪、足裏、足や足首の形状などで、歩くと痛みを強く感じる場合などです。
顔は丁寧に洗ってケアをしているのに、足裏はかなり荒っぽく扱ったりしていませんか。足は、一日中、体重を支えていられるくらい丈夫な部位だと思っていませんか。僕は、そう思っていました。雑に扱っても大丈夫だろうし、手の指先に比べても繊細さに欠けるだろうと思っていました。
でも、考えてみれば、ほんの小さな石やゴミが靴に入ったり、靴下に入っただけで、その異物感をとても強く感じます。これって、ものすごく繊細な感覚だと思います。
実際、こうした繊細な感覚が、バランス感覚を支え、転倒防止にもつながっていたりするのだそうです。
巻き爪や深爪によって、指先に痛みや不具合があれば、歩き方にも影響します。足指の柔軟性を気にしたことなんて、ありませんでした。足指をぐっと曲げたとき、足指の付け根(手指だと拳にあたる部分)に拳骨が出ますか?
歩くためには、まずはフットケアが重要です。歩くための準備ができていない状態では、歩きたくとも、歩けない場合があります。フットケアは、専門家による支援が必要な場合もありますが、足裏のマッサージや正しい爪の切り方などを学ぶだけで、改善できることもたくさんあります。
こどもの足の発達
当然ながら、ウォーキングは、中高年や高齢者だけのものではありません。歩くための基礎となる足のケアは、発達段階にある子供時代の方が、より重要です。
ある小学校では、高学年女子の3割が外反母趾リスクが高いというような調査データもあるそうです。(詳細は上記の動画にて)
爪の切り方、靴の選び方、こういった日常のあたりまえの行為は、正しい知識を学ぶ機会がなく、各家庭内での常識が世界の常識になってしまいがちです。
脳内グルメ
今から25年ほど前に『脳内グルメー現代風俗<'96>』という本が出版されました。「いかに食パンをたべきるべきか」「食べ物の切り方ー極私的好み」など、日常の食行動の中にある、その人にとっての常識を調べ、他の人の常識との違いに驚きと感動を覚える、というような内容でした。
食パンを食べるとき、どのように食べますか? 角から食べますか? 角を食べた次には、どこを食べますか? また角ですか? 並びの角ですか? 対角線にある角ですか? それとも角から角ではなく、耳を食べ進みますか? それは右方向ですか? 左方向ですか? この本には、真ん中をくり抜いて食べる人や、くり抜いたものをボール状にまるめる人なども書かれていました。
カレーライスは、どのように食べますか? ルーとライスの配置は、どうですか? ライスは自分からみて左側に置きますか? 右側ですか? ルーとライスの境界線は、自分に対して垂直ですか? 水平ですか? 斜めですか? スプーンはライスから差し込みますか? ルーからですか? この本には、ぐちゃぐちゃに混ぜてから、ラグビーボール型に整形しなおしてから食べるという人もいました。
健康に対する極私的常識にもとづく介入
先ほどの、爪の切り方や靴の選び方について、自分を振り返ると、ごくごく個人的な常識にすぎないにも関わらず、まるでそれが世界標準の正しいものであるかのように思い込んで、子供のころからそうしてきて、それを当たり前のこととして次世代に伝えていたことに思い至ります。これは、この脳内グルメに書かれていた、食べ方と全く同じだと思うのです。
自分の体、自分の健康というものについて、驚くほど、ごくごく個人的な経験にもとづいた、思い込みのような私的常識に立脚して、選択や介入をしています。
これだけヘルスケアという文脈でセンサーやAIによる解析が進んできている21世紀にも関わらず、介入という点において、極めて個人的な、僕などは昭和時代の知識と経験に基づいていたりします。
世界を変えていくためには、介入そのもののアップデートが欠かせないと思うのです。サービス設計は、介入を起点に設計すべき、というのはカンブリアナイトでも繰り返し伝えているメッセージですが、改めて自分でも、そこを大切にしていきたいと思いました。