日本の住宅事情は、サステナブルで働き方の多様化にふさわしいか
空前の低金利が続くことを背景に、銀行が積極的な住宅ローンの貸し出しをしていることも手伝って、住宅価格が上昇し家計における住宅ローンの返済負担が増えているという。
いうまでもなく我が国は人口減少を迎えており、空き家が問題が深刻化していることはたびたび報じられている通りである。この問題を解決するための様々な取り組みがあり、それ自体は素晴らしいし、もっと増えてほしいと思う。
一方で新たな住宅は、マンションも含め着工件数は減少傾向であるとはいえ、供給が減ることもあって、中古も含めた都市部の住宅価格は下がる要素に乏しいということで、住宅ローンの負担は増えているということだろう。
同じ国土の広さに住む人の数が減り、これまで住んでいた家が使われなくなって空き家が増えているのであれば、住宅価格は下落するのが一般論だろが、そうなっていないのは、住宅が必要とされている場所と空き家がある場所が一致していないというミスマッチの問題はあるだろう。
一方でサラリーマンの平均年収は伸び悩んでおり、女性が働きに出ることによって世帯収入を増やすことにより、住宅ローンを返しているのが実態ということだ。今では定年後も住宅ローンの返済が残っているという人が決して珍しくない状況になっている。
この状況は、どうしても不健全だという感想をもたざるを得ない。冒頭の記事が指摘する、家計におけるリスクが増えているということもそうだが、今回は働き方の多様性とSDGsやESGの観点からこの問題を考えてみたい。
まず働き方の多様性に関して。COMEMOでもお題に取り上げられたように、2拠点居住など、働き方の多様性と、住まい方ひいては暮らし方の柔軟性は密接に関係している。
1ヶ所に縛られずに働くことによって生産性を高めたり、一人の人が多様な役割を果たすという観点からは、住む場所が1ヶ所であるより複数である方がそうした取り組みをしやすくなるはずだ。
一方で、2拠点居住にはどうしても移動が伴い、その移動費用もかかるし、また住む場所が2ヶ所になることによって、住む場所・滞在する場所に関する費用が1ヶ所の場合よりも多くかかってくる。この課題を、我が国の人口減少や住宅のだぶつき(空き家)という状況を生かして、住まうことにかかる費用をなるべく抑えることで解決するのが2拠点居住や多拠点居住のリアリティ・実現性だろう。
こうした働き方が、住宅価格が上昇することによって阻害される可能性はないだろうか。もちろん住宅が高い大都市を避け、比較的安い地方都市を中心に居住するやり方も、もちろんあるだろう。しかしこうした働き方にお金を払う会社が大都市に拠点を置く大企業だとすれば、どうしても大都市に居る時間を作らなければ、仕事にならない・仕事を得にくいということが考えられる。
テレワークが普及したと言いながらも、多くの企業で、オフィスでの勤務にプラスして、いわば例外としてリモートワークが認められているというケースが少なくない。こうした企業を取引先として仕事をしていくのであれば、やはり対面で、打合せの実施や人間関係築を図ることは必然的に必要になってくると思われる。そうなると住まう費用が高い大都市滞在を組み入れざるを得なくなる。
都会での給与水準や経済の成長を上回る住宅価格の上昇は、こうした新しい働き方の可能性を狭める方向に作用しているのではないだろうか。
もう一つの懸念は、こうした日本の住宅のあり方が、SDGsやESGの観点で見たときに、果たして時代に即したものかどうかということだ。
新しい住宅が建てられることは、それを建てる工務店・建設会社や不動産会社、そして買う人に融資する銀行などの金融機関にとっては大変良いビジネスということになる。
しかしこれは終身雇用の時代に、社員を自社に囲い込む手段の一つとして機能した部分があるといわれ、また戦後の産業復興の一環として住宅関連産業や金融機関を成長させるためにも大きく寄与したスキームであったと思うが、果たして今の時代にこうしたビジネスモデルがふさわしいものなのだろうか。
空き家があるにも関わらず新しい家を建てることは、言ってみれば家を「使い捨て」にしているという捉え方もできる。日本の住宅の耐用年数は、地震など災害が多いということもあるだろうが、一般的に30年程度と言われる。裏を返せば30年程度しか持たない家の作りになっているということだし、実際そう感じることも多い。
建て方や気候風土などの違いがあるとはいえ、欧米を中心とした海外の築年数が経った建築物は、リノベーションしてまた新たによみがえらせることに対して想像力が刺激される部分があるが、日本の建物にはなかなかそうした想像力が動きにくい、というのが個人的な感想だ。その理由には、使い捨てを前提に建てられていることがあるのではないだろうか。
また、現在建てられている住宅の作り自体も、これからの時代を十分に反映しているものかと言うと疑問が残る。訳あって、引き渡し直前の新築住宅をこの数年で数十軒以上見ているが、新築なのに、間取りや設備が時代に即したものではない、と感じてしまう。コロナ禍以前に設計されたせいもあるのかもしれないし、特定の住宅メーカーに偏るせいかもしれないが、例えば、現在そして今後は在宅で仕事をすることも前提で住宅が作られなければいけないと思うのだが、そうしたことに対応する間取りの工夫を感じたことがない。またこれはコロナ以前から1人が複数の電子機器を就寝時に枕元で充電することが一般的になっていると思うのだが、寝室と思しき場所にそれに対応した数や配置のコンセントやUSBのジャックが備えられている住宅も少ない。さらには、各部屋にテレビのアンテナの配線は来ているが、インターネットに関する配線の配慮が行き届いている住宅も限定的だ。
こうして、時代に即したスペックではなく、耐用年数がさほど長く作られていると感じない買い捨て的な仕様の割に、住宅価格が上がっているということに個人的には大きな違和感を感じる。
世界的に環境問題が取り沙汰され、限りある資源を有効に活用しようというサステナビリティの志向が SDGsやESGの根底にあるだとするなら、今の日本の住宅の設計思想ないしその販売戦略は、サステイナブルなもの、時代に即したものと言えるのだろうか。どのような住宅を建て、それをどのくらい長く使うか、ということは SDGsやESGの観点でも非常に重要なポイントではないかと思う。
高度成長期に地価が継続的に値上がりし、中古住宅が買った以上の値段で売れたという「住宅すごろく」時代の名残で、住宅に対する費用のかけ方が十分ではなく、見栄えは良いかもしれないが時代に即した十分な性能がない住宅に住み続けているのが我々日本人の現状なのだろうか。そうだとすれば、そろそろこうした古い住宅に対する考え方を見直して、サスティナブルで働き方改革にも見合った、新しい住まい方と住宅のあり方に転換する時に来ていると思う。