見出し画像

「理想の家族像がある人」とは結婚したくない、という話が聞こえてきた。

あなたは「冬彦さん」という人物を知っているだろうか。

今から30年前の1992年、TBSの「ずっとあなたが好きだった」というドラマで佐野史郎さんが演じた役名で、当時は彼の名が社会現象になった。

その盛り上がりっぷりは、昨今で言う半沢直樹を想像してもらえると、わかりやすい。

私は当時9歳で、大人の女性たちが彼の名前を連呼して盛り上がっていたことを、うっすらと覚えている。

冬彦さんは当時「モテる男」の代名詞だった3高(高学歴、高身長、高収入)だがマザコン、という設定だった。

そんな彼の奇行とも言える振る舞いが話題となり、マザコンは当時「結婚したくない男の条件」として筆頭に躍り出た(ような気がする)。

あれから30年。

すっかり冬彦さんのことは忘れていたが、先日入ったファミレスで彼のことを思い出すきっかけがあった。

隣に座っていた女性2人組が、30年前の大人たちと同じように「結婚したくない男の条件」について盛り上がっていたのだ。

Aさん「○○な人じゃない!?」
Bさん「うーん、私はそれ許せるかも」

Bさん「××な人は?」
Aさん「それは確かに微妙だけど、付き合う時点でナシかな」

など、議論が白熱していたので、つい聞き入ってしまった。

しばらくして、2人が「わかるーー!」と共鳴した瞬間が訪れた。

その条件とは「理想の家族像がある人」だった。

今日はそんな話。

■マザコンの構造

もちろん、先ほどの意見はたった2人の一意見に過ぎないし、女性代表の意見ではない。

ただ僕にはそれが引っかかって、彼女たちがなぜ「理想の家族像がある人」を結婚相手として直感的にNGとするのか紐解きたくなった。

とは言え、隣の席から「それってどういうことですか?」と話しかけるわけにもいかない。

なので、ここからは僕の勝手な想像による構造整理となる。

最初に頭をよぎったのは、やはり冬彦さんのことだ。彼女たちの反応は当時の「冬彦さん」に向けられた視線と、どこか似ている気がした。

ただマザコンだって「息子が母を好きであること」が、悪いことではない。

30年前は少し珍しかっただけで、友達のように仲の良い母と息子なんて、今では当たり前だ。

母が好きなことは特に問題ではない

マザコンの本質は、そこから「理想の女性像」が爆誕することに起因する。

「母は母、パートナーはパートナー」で切り分けられればよかったのだが、「母 ≒ 女性像」になった瞬間に、マザコンの弊害がはじまる。

この瞬間、親子という「縦の関係」と、パートナーとの「横の関係」が混同しはじめる。

そして最終的に、母をモデルとした女性像と「私」が比較される

これが、マザコンが「結婚したくない男の条件」として挙げられる構造だ。

■ファミリーコンプレックスという拡張

こうして構造整理してみると、冒頭の「理想の家族像がある人」はやはりマザコンの構造と似ている気がする。

やはり第一に「家族愛が強いこと」自体は特段問題ではない。

家族愛は特に問題ではない

問題は「理想の家族像」だ。

マザコンも母が好きなこと自体は問題なかったが、そこから「理想の女性像」が爆誕してしまったことに問題があった。

ではなぜ「理想の家族像がある人」は、それを爆誕させるのか。そこに実の家族はどの程度関わっているのか。この辺りが、今回の肝になりそうだ。

まず「実の家族の関係こそ、理想の夫婦だ」というパターンA。
次に「実の家族みたいになりたくない」というパターンB。
そして「なんか映画で見たあの家族の感じになりたい!」など、その他に該当するパターンCが考えられる。

パターンCも、その偶像(映画やドラマ)に憧れる要因に実家族が影響しているとも予想できるので、やはり多くの場合「理想の家族像がある人」は、実の家族が起点となっていることが、多いのではないだろうか。

こうなってくると、その構造はマザコンと近くなっていく。

つまりマザコンが母を起点にしたコンプレックスなら、このパターンは家族を起点としたファミリーコンプレックスとでも表現できるだろう。

直接的ではないにしろ、ゆくゆく「私」はパートナーの家族と比較されていくことになる。

■コンプレックスとは、ベクトルが自分に向いていること

もちろん育ってきた環境は自分の好みに大きく影響するし、それを排除することはできない。

ただそれがコンプレックスと呼ばれるまでになるか、そこには1つの線引きがある気がする。

相手を「個」として尊重しているか。

という視点だ。

マザーコンプレックスは、相手の中に「自分の母」を見ている。ファミリーコンプレックスもまた、相手の中に「自分の家族」を見ている。

それがポジティブな感情だとしても、ネガティブな感情だとしても、受け手は自分という「個」と向き合ってくれていない、と感じるだろう。

つまりコンプレックスとは、自分の中に複雑に絡んだ感情を相手に投影してしまうこと。相手を見ているつもりで、本当のベクトルは自分に向いているということ。

それは結婚という1対1の関係をはじめる上で「前提が揃っていない状態」と言えるのかもしれない。

だから冒頭の彼女たちは「理想の家族像がある人」を、直感で「危険だ」と感じたのかもしれない。

いつかまたファミレスで遭遇することがあったら、正解を確認してみたい。


サポートいただけたらグリーンラベルを買います。飲むと筆が進みます。