小室哲哉(TMN)になりたかった高校生は、平凡なサラリーマンになったけど、30年後にYMOと仕事をすることになった話。
音楽、聞くだけですか?演奏もしますか?
僕は、両方です。
本日のnoteは、まずはこちらを聴きながらどうぞ。
親がビートルズに影響された世代ということもあり、レコードやギターが家にありました。自主的に、音楽を選んで聴くようなったのは、僕が15歳の1994年4月21日から。その日は、TMNが「終了」宣言をした日でした。
その告知を新聞広告で目にした日から、TMNのFANKSになり、過去の彼らの音楽の歴史を辿っていきました。そのプロセスの中で、小室哲哉を知り、シンセサイザーという楽器の存在に出会いました。利用楽器の遍歴はこちら。
小室哲哉さん・シンセサイザーにハマったら、当然YMOも経由する。
高橋幸宏さん、細野晴臣さん、坂本龍一さん。
社会人進路を検討するにあたり、エンタメ業界も志望した時期もあったけど、結果、商業ディベロッパーという職種に。ただ、そこが、エンタテイメント性溢れる企業だったので(専門部署もある)、一般的なサラリーマンよりは、エンタメには近い職種だったかもしれない。
建て替え前の渋谷パルコには、高橋幸宏さんのショップもあった。
人生・キャリアって面白いもので、30年経って原体験に寄り添う案件に、思いかけず、関わることになるもんです。
冒頭の「RYDEEN」の再生を終了して、こちらの動画を音楽付きで、どうぞ。
こちらのサウンド。松武秀樹さんの描き下ろし楽曲なんです。
一般的な認識だと「YMO」はフロントの3人で、高橋幸宏さん、細野晴臣さん、坂本龍一さん。実は、そこに、“YMO第四の男”がいて、それが松武秀樹さんなんです。マニュピレーターなんて呼ばれたりもする。
TMN・小室哲哉さんでいうところの、浅倉大介さんや、久保こーじさん。演者としてのミュージシャンの裏を支える、シンセサイザーで楽曲の「打ち込み」や「音色(おんしょく)」作成をする方。
デジタル・マーケ界隈でいうと、「エンジニアさん」に近いかもしれない。彼らがいないと、マーケターは、アプリ運用もデータ解析整備も、アクションができない。
今回、僕は、この企画の、裏側の一部をちょこっとだけ、担当しています。
不思議なものです。
音楽やクリエイティブ界隈とは、縁がない職種についたはずなのに。
僕は今回メイン担当ではないので、日々の内部関係者打ち合わせでも、この歓喜を表の表情に出さず、冷静を装っているが、実は、めっちゃアガってる案件であるw
2/1企画初日には、なんと御本人と対面できる、という、2024年最大の嬉しみ企画が到来。もう2024年、仕事しなくていいですか(違)。
昨年、2023年は、高橋幸宏さんと坂本龍一さんが相次ぎ亡くなった年だった。
この数年、世界・社会情勢が、大きく動いている。
2024年年始からも、悲しい事件・事故・天災が続いている。
商業・音楽・エンタテイメントができることなどは、わずかかもしれない。
古来より「花火」は、願いを込めて上げるものだったそう。渋谷の夜空に「未来への願い」を込めています。(なので、企画名は「Mirai Hanabi」。)
今回、松武秀樹さんのサウンドと花火に乗せて、新時代のクリエイター、KAORU NAITOさんともご一緒する。
PARCOの役割って、インキュベーションてのもあって、当時YMOが大きくなるプロセスに、パルコがあったように、デジタル界隈で活躍されるクリエイター・アーティストさんの飛躍の元でもありたいと思っています。
僕は小室哲哉になれなかったけど、これまでの僕の仕事は、マーケティング・ビジネスのマニュピレーター的な役割を果たしてきたのかも、とも、30年経って思い返す。
界隈では「著名なマーケター」が日々目立って見えるが、その裏には、それを支える仕事があること、その彼らの裏仕事がないと「著名なマーケター」は表で踊れないのある。
(人によっては、僕が表で踊っているように見える方もいるかもしれませんが、実は、裏仕事の人なんですよww)
基本的に会期中の平日は、渋谷パルコ10F屋上の会場にいるつもりです。来場予定が見えている方は、DMにてご連絡ください。会場アテンドさせていただきます。
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