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昭和流と切り捨てられる職場の行事の撤廃とは「恋愛や結婚の新自由主義化」

企業の新入社員や新任管理職などへの集団研修や、部署での飲み会など「参加したくない」という声も多い。かつては、企業では、運動会や文化祭、社員旅行などもありました。

そうしたものを「昭和の遺物」として古臭いもの、オールドタイプと切り捨てる風潮は多いのですが、そういった行動というのは、その時代にある種求められていたからこそ存在したのであり、今の価値観に照らして「無意味」なことでも、その時代にとっては「意味のある」ことだったということを忘れてはならない。

そもそも「古いもの=悪」という決めつけをするコンサルなどが存在し、そうした戯言を金科玉条のようにありがたがる経営者自体が、実は、年齢は若くても「古臭い価値観から抜け切れていない」のではないかと思うんです。だから、高いコンサル料だけ払わされて、本来その企業を持っていた本質的価値を「古臭い悪」と切って捨てたがために、そもそも会社の存続そのものを危うくした例もあるのではないですか?

温故知新ができない者は、愚かです。

昭和流といわれる、会社の飲み会や運動会、旅行ですが、「そんなものは必要ない。撤廃だ」というのは、一見よさげな、若者や時代の価値観に合わせたようなものに見えますが、これはこれである意味、企業共同体の新自由主義といえるものではないかと思います。

企業もひとつの共同体であることは、昔も今も変わりません。もちろん、時代環境や社会環境の変化に応じて、その共同体の意味付けも変化するのは当たり前です。

ただ、こうして企業の新自由主義化が進み、「小さな政府」ならぬ「小さな企業共同体」が進めば進むほど、間違いなく少子化は進みますよ。

何度でも言いますが、日本における少子化とは、基本的には「少母化」であり、婚姻数の減少が出生数の減少とリンクしています。これは疑いようのない事実で、いい加減メディアもこの部分にフォーカスしてほしいものです。

逆に言えば、理論上は、婚姻数が1増えれば、自動的に出生数は2増えるのです。

※「少母化」については、11/3テレビ朝日「グッド・モーニング」の「池上彰のニュース検定」でようやく取り上げていただきました。


「会社は学校じゃねえんだよ」と怒るおじさんもいますが、そもそも「昭和期の会社とは、結婚させて家族持たせて、その家族を人質に会社に忠誠を誓わせていた」ものです。

もちろん、だからといって、昭和流に戻せとも言うつもりはないし、現実的に戻ることもありません。が、言いたいのは、会社という共同体が担保していた「結婚の場」としての職場機能がなくなった分だけ婚姻は今後も減ったままという事です。

これも何度も言っていますが、婚姻数の減少は、伝統的な見合い結婚と職場結婚の減少と完全一致します。見てお分かりの通り、「友人を通じて」「学校で」「その他」は日本史上もっとも結婚が多かった1970年代と比べても、実数で減っていないどころか、逆に増えています。

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婚姻数が年間過去最高だった1972年の110万組と、2015年の64万組を比較すると、総婚姻数の減少は46万組ですが、その46万組減少とは、見合いと職場結婚の減少数と完全一致します。

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伝統的なお見合いが減ったのは致し方ないとしても、この職場で知り合って結婚するというものの減少こそが、前述した「昭和流企業共同体システム」の崩壊でもあります。

職場結婚が減った原因は、1992年のセクハラ裁判だといわれています。事実、1992年と2018年で「職場の異性を二人きりで誘ったことがあるか」という割合でみると、20代の比率がもっとも下がっています。これは未既婚混在なのですが、20代未婚率は高いので、ほぼ独身者が職場の異性を誘わなくなった(誘えなくなった)ということでしょう。

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一方、30代以上はセクハラなんのその、むしろ最近の方が増えてる。実は、浮気率も30%なのですが、それと数字が大体致しているところが実に面白い。

女性の方も同様に20代は誘わなくなっているのですが、40代と50代女性は1992年よりガンガン男を誘うようになっているという現実が浮き彫りになっています。

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これだけではなんとも言えないが、もしこれが女上司からの誘いなら、これはこれいで女のセクハラが増加しているともも言えるのではないだろうか。


いずれにせよ、職場で結ばれた結婚がどんどん減りつつある中で、会社は生産性・効率性を追い求め、無駄な飲み会も、面倒くさい運動会も中止にする流れになるのは、仕方ないことかもしれない。

仕方ないのなら、未婚化も少子化も仕方ないと諦めてほしいものです。一見、無関係な「風が吹けば桶屋が儲かる」的なことを言っているようですが、こう説明すれば、すべてつながっていることがわかると思います。

1980年代までの皆婚時代に結婚できた「今の60代以上の人たち」は、決して全員が恋愛能力が高かったわけではありませんし、恋愛に積極的だったからでもない。見合いがあり、職場というある種の「結婚の社会的お膳立てシステム」があったからこそ結婚できたわけです。

恋愛も結婚も新自由主義に組み込む、つまり自己責任化するということは、結局、ほぼ半数は結婚できない(しない)という事実になるだけです。そして、それは、僕が繰り返し著書の中でも書いている通り、その通りになっていくでしょう。

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11/13に新刊「結婚滅亡」が発売です!他著書「ソロエコノミーの襲来」 「超ソロ社会」「結婚しない男たち」等。東洋経済等でコラム執筆したり、テレビ・新聞によく出ます。独身研究家として活動させていただいてます。メディア出演・執筆・対談・講演のご依頼はFacebookメッセージから。

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本当の自分とか幸せとか、そういうのって全部幻想かもしれないよ。

コメント (1)
単純に時代の変化に対応できなかったから滅んだだけでは無いですか?
いずれにしろ昭和のやり方は非効率であることは変わりないし他人の時間を奪っている事に無自覚です。
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