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「出会いがない」と嘆く人は「恥を恐れている」だけかも

マッチングアプリの「Omiai」がやらかしてくれました。

未婚化・非婚化の流れの中で現代のお膳立てシステムというべきマッチングアプリがこういうことをすると、また婚姻数が減るという声もありますが、それほどこれが婚姻数増に寄与しているというわけではありません。

そりゃ自社調べではなんとでもいえるでしょうが、マッチングアプリでいい思いをしているのは恋愛強者の男だけです。本当に出会いたい恋愛弱者の女は、そうしう強者男につまい食いされるだけだし、背水の陣で臨んでいる結婚したい恋愛弱者の男は、いつまでもマッチングされず、恋愛強者の快楽のセックスのために課金しているようなものです。

それについてはこちらの記事で明らかにしています。お時間あればお読みください。

そうなると脚光を浴びるのが「結婚相談所」です。既婚なのに独身を偽る男もいないし、単に遊び目的だと厳しい仲人さんのチェックにあいます。

結婚相談所は、もう後がない中年男女の最後の駆け込み寺のように思われがちですが、最近は若者の利用も増えているようです。

「そもそも出会いがない」

結婚以前に、恋愛相手と出会う機会がないというのが今の若者の問題なのでしょう。お見合い結婚が廃れ始めた1970年代以降、婚姻のきっかけとなったのは職場結婚です。つまり、会社の中に出会いはありました。

ところがその職場結婚も、例のセクハラ裁判の有罪判決以降なかなか同じ職場で声をかけられないという状況に変化し、職場縁での初婚比率が近年どんどん減少しています。結婚相談所に出会いを求めたがるのも道理です。

ところで、男女に限らず、非モテほど「運命の出会い」とか信じたがります。昔の漫画でありがちな曲がり角での偶然の出会いとか、本屋で同じ本を同時に取ろうとするやつとかそういう系です。

しかし、偶然は偶然でしかなく、運命だからその偶然が生じたなんて因果はありません。「この偶然は運命だからだ」じゃないんですよ。最初から用意された運命などない。いうなれば「偶然を必然にするほどその後に行動するから結果運命になる」だけ。何の行動もせずにぬぼーと「運命の出会い」を待っている人間には何も起きない。

というと、「どうせガツガツ行っても結果撃沈することが見えているんだから、誰とも付き合えないという運命が最初から用意されているんですよ」とネガティブなことを言う人もいます。

果たして本当にそう思っています?

一方で、「運命の出会いはある」と反論する人もいます。「今の嫁とは婚活パーティーで運命の出会いをしました」という方も。しかし、その方は、その出会いが運命だったかどうかは置いておいて、その後その彼女にガツガツいったそうなので、文字通り「行動の結果=運命と理屈付け」したに過ぎないと思います。

「運命」を否定したいわけではないですが、上手くいかなかった人も上手くいった人も双方「これは運命なのだ」と納得しようとする感情がおもしろいと思います。わかりやすくいえば、運命なんて幻想でしかなくて、「結果として生じた現実を人は運命なのであると思いたい」だけです。結局、運命を否定してますねw

とても読まれているこちらの過去記事でも、「非モテ男に足りないのは行動である」という趣旨の話をしています。


というと、必ず、非モテ男から「行動しても俺なんかじゃ無理なんだよ」という繰り返しの無限ループの反応が来るんですね。

では、モテとはなんでしょう?

 モテる男、つまり、恋愛強者の男=イケメンと勘違いしている人多いのですが、実は「マメで恥知らずの男」がモテるのですよ。「恥知らず」とは断られようが、キモがられようがめげずに、行動をし続けるという意味で、決して否定しているのではなく、むしろ褒めています。顔じゃない。恥への鈍感力なんですよ。反対に、恥に敏感な男がモテない、ということです。

これを現実の世界で体現しているのがこの方かもしれません。

この方が不倫しようが、三股しようが、興味ないのでどうでもいいし、この方を褒める気持ちは1ミリもないですが、少なくとも「男の恥知らず力」って恋愛関係構築に関しては大事な力であることは間違いありません。

「不細工にモテるのはモテるとはいわない」みたいな独特の理論を持っている人もいますが、相手の容姿美醜によってモテの定義が変わるなんてそれこそルッキズムの差別発言です。

モテるとは、他者が自分のことを見てくれるように仕向ける能力(見てもらえる力)であり、それは決して恋愛に限らない。仕事においても、友人関係においても、あなたを見てくれる人がいるという状態こそがモテるということです。

通常、人間は他人をそれほど見てはいません、視界に入っても見ている意識はない。それを意識させるには、相当のインパクトとリピートが必要です。最初は不快感があっても、人間は不思議なもので見慣れてしまうと不快ではなくなります。ザイオンス効果といわれる心理効果で、慣れると好意を感じるようになります。そして、いったん慣れてしまうと、それがなくなると今度は欠落感を感じてしまうわけです。

「最初、キモいと思っていたのに付き合ってしまった」なんて話はザラにありますが、あれはキモいという感情が消失したのではなく、単に慣れただけなのです。

それに至るまでには相当数の恥を覚悟しないといけません。恥に対して過敏な感受性なら耐えられないかもしれません。しかし、恋愛強者は「恥知らず」です。恥にとても鈍感です。だから結果として相手が振り向く可能性が高いといえます。もちろん、全部は成功しない。失敗して下手すればかえって大嫌悪される場合もあるでしょう。でも、それでも失敗を恥とは思わない鈍感力があります。

とはいえ、ストーカーなど犯罪行為にエスカレートして「人生の失敗」になってはいけません。しかし、そういう執着を生むのも「恥に敏感」だからなのです。「どうにもならん」と思ったらスパっと諦めて「はい、次」にいけばいいのです。

でも、鈍感力なんて先天的なものじゃないの?努力とか訓練で身につくものじゃないのなら、「それこそ運命づけられたもの」じゃないのという反論もあるでしょう。

鈍感力を能力としてとらえず、環境ととらえてください。対処すべき問題がたくさんあればいちいち些末なことまで気に留めていられません。大枠OKならそれでいいと思うはず。それが鈍感力となります。

恋愛においては恥に敏感なのは「俺にはこの人しかいない」とか「この人が運命の人だ」なんて勝手に唯一依存してしまうからです。行動の数を増やす、それが環境を変えるということであり、環境を変えれば自然と鈍感にならざるを得ません。結局は行動量の問題なのです。

界隈では、非モテ男のことを「キモくて金のないおっさん=KKO」というらしいですが、モテ男は「マメで恥知らずの男」なのでいわば「MHO」になるでしょうか。「ムホー」できる男とはそういうものです。

「どうせ失敗するから行動しない」ではなく「どうせ失敗するのだからチャレンジしてやろう」。そう思える力が恥知らず力です。所詮、大部分の男はキモいんですよ。

恥知らずがモテるということならば、俺はモテなくていい?そこまでしてモテようとは思わない?

そういう考え方もあるでしょうが、恋愛に限らず、人生なんて恥をかくことの連続だったりするものです。恥をかかないように生きるとは何もしないということを意味する。それってもうすでに死人と同然ではないでしょうか?

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荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。