ピカソとイノベーション 構造主義の芸術に学ぶ
タイトルを見て何のこっちゃ?と思った人もいるでしょう。
イノベーション人材育成の話です。
今回は、アートの観点から見ると、Googleがやってることとピカソがやってることは本質的に同じだというお話をしたいと思います。そこから、今のイノベーション人材、AI人材育成に欠けている視点という話に繋げていければと思います。
早速ですが、アートの歴史の中には、構造主義と言う考え方があります。構造主義というのは20世紀のアートを基礎づけた大変重要な哲学の考え方なのですが、実はこの構造主義から考えるとピカソとGoogleがやっていた事は本質的に共通する部分があります。
そしてこの構造主義の視点を持つことが、これからイノベーションを起こしていく上で極めて重要だと考えています。
それではまず構造主義とは何かと言う事から考えていきましょう。
言語の構造を明らかにする
構造主義の起源は言語学、のちに記号論と呼ばれる分野から出てきています。人がモノや概念を名前で呼ぶときに、その名前と実体の間にはどのような関係があるのか。そういったことを考える学問です。19世紀末から活躍したソシュールという言語学者がその基礎を作りました。
ソシュールは記号が実態があるからこそ、それを表すものとして生まれたものではない、むしろ記号と実体は全く無関係に関係づけられたものであるということを示しました。
例えば、犬を指し示す時に英語では「dog」と言って、日本語では「犬」と言ったりしますね。つまり「dog」と「犬」は全く違う記号なのに、同じものを指すわけです。そこからわかるように犬の実体と記号のあいだには必然的な関係は無いのです。
そのそのような中でなぜ「dog」が犬を指し示しているかと言うと、それは例えば英語という言語世界では、catでもないしmonkeyでもないということを意味しているにすぎない。そのような、他のものではないということを示しているだけで、実体と記号の間には何も必然的な関係はないのだということを明らかにしたわけです。
こういう分析の系譜には、マルセル・モースの贈与論や、レヴィ=ストロースの人類学研究などに引き継がれ、発展していきます。このような、表に見えている現象の裏側にある構造なりメカニズムを明らかにするものが構造主義の特徴です。
特に構造主義の場合には人が社会のシステムをどのように認識しているのか、それが本当の構造とは違うのではないかといった批判的思考に基づいて、分析を行っていきます。
ピカソが探求した物事のエッセンス
ソシュール以降、このような、現象の裏側にある構造を理解して、人の認識を問い直すような一大ムーブメント起こったわけです。
ピカソは明確にそのことを自覚していたわけではありませんけれども、構造主義に基づいた作品を作ったと言われています。例えば「雄牛の頭部」と言う作品があります。
この作品は、実は自転車のハンドルとサドルでできた作品なんですけれども、まぁ普通に見て雄牛だということがわかるわけです。これは人間がオスの牛であると言うものはどのようなシンボルとして理解してるのかということを突き詰める作品なんですね。必ずしもそこには実体を伴った牛である必要はないわけです。人間が牛であると認識するための最低の条件は何なのかそういったことに挑戦する作品です。
要するに、実際に今見えている実物に惑わされずに、人の認識から見たエッセンスを抽出しようということです。
広告のエッセンスを抽出したGoogle
ひるがえって、Googleもまた表に見えている現象の裏側でどのような構造があるのかということを探求してきました。その上で、人の認識やニーズはどこにあるのか、をギリギリまで探求している会社です。
例えばアドセンスは、広告を作ってマス媒体に出稿するというやり方に代えて、その人のニーズに合った広告をカスタマイズして提供するという方法に転換させました。しかもそれをオークションのような形で入札して行うことで、広告のニーズとシーズをマッチングして最も効率の良い広告が提供できるようにしたわけです。広告を出したい人と、広告を見ざるを得ない人との間の構造を極限まで解明して、それぞれのメリットになるように、新しいメカニズムで実現したわけです。
まぁ実は、Googleだけではなくてアップルなんとかも同じような発想に基づいています。人が音楽を聴きたいときに別にそれまでのようなレコードやCDを買いたいわけではない。聴きたい音楽が聴ければ良いわけです。そこでオンラインでその音楽を変えるようにする。あるいはサブスクリプションでどれだけでも好きな音楽を聴けるようにする。
そういった形で従来の構造の裏にある本当の構造や人のニーズを見極めて、それを全く今までと違ったメカニズムで再構成する。イノベーションを起こすには、そのような発想力が必要なってきます。
イノベーション人材育成の議論に欠けていること
ここから言える重要なことがあります。
いま、日本ではイノベーションが起きない、世界に対してITのイノベーションの分野で遅れている、だからIT人材を育成しなければいけないということになっています。しかし、ここから見てわかるように、単にプログラミングができればイノベーションが起こるわけではありません。AIがわかればイノベーションが起こるわけでもありません。
むしろ、世の中の現象の裏の裏まで考え抜いて、その裏の構造を見極め、同時に人の認識やニーズが何なのかを追求し、大胆に新しい構造を作り出す。そのような洞察力、分析力、発想力といったものが求められているわけです。したがって、疑問を持ち、問いを立て、世の中の現象を批判的に分析していく。そのような思考能力がイノベーションの肝になるのではないでしょうか。そのような能力は、歴史であれ、数学であれ、あらゆる科目で取り入れていくことができるのではないかと思うわけです。
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(参考文献)
尾崎 信一郎ほか翻訳『ART SINCE 1900:図鑑 1900年以後の芸術』(東京書籍)
橋爪 大三郎『はじめての構造主義』(講談社現代新書)