ロジハラで休職させてしまった後輩が訪ねてきた話。
17年間勤めた電通で、私がトレーナーを担った新入社員は1人だけだ。
何度か打診はあったが、すべて断ってきた。
理由はその1人にある。
その1人を仮に「A君」として話を進める。
私がA君のトレーナーになったのは10年以上前のこと。当時の私は6年目で、A君は新入社員。慶應義塾大学出身で、ピカピカした経歴の男の子だった。
同じ部署に配属された彼の面倒を、私が1年間みることになった。
しかしA君は1年を待たずに休職することになる。
要因の1つは、私の指導だった。
今日はそんな話。
(A君に許可をもらって書いています)
◾️自分と向き合う「10枚の企画書」
新入社員はミスをする。
それに寄り添ってフォローするのが、トレーナーの役割だ。
A君も例外ではなく、最初の1ヶ月はあらゆる種類のミスをした。
・遅刻をする
・課題を持ってこない
・居眠りをする
などなど、私も身に覚えがあるミスだ。
「まだ学生気分が抜けていないんだな」
最初はそう捉えて、軽く注意をする程度に留めておいた。しかし2ヶ月経っても、3ヶ月経っても、Aくんのミスは続いた。
「以後、気をつけます!」
というセリフを何度も聞いた。「『気をつける』ではなく、具体的な改善策を考えるように」と指導もしたが、あまり改善は見られなかった。
また、周囲からもAくんを問題視する声が挙がりはじめた。「Aくんを指導した際の態度が悪い」との声が、私の耳にも入ってきた。
いわゆる縁故(コネ)採用ではないAくん。かなりの倍率を突破して入社しており、仕事ができないわけではない。節々に見せる企画にもセンスがある。
それ故にいわゆる大人のADHDの可能性も考えたが、それ以上に引っかかっていたのは、Aくんの「以後、気をつけます!」というセリフから感じる「怒られたくない(から、とりあえず言っている)」というニュアンスだった。
そんなことを考えている間に、またAくんは同じミスをした。
さすがに私も、堪忍袋の尾が切れた。
ただ、頭ごなしに怒鳴るわけにはいかない。何よりAくんに必要な経験は「自分のミスと正面から向き合うこと」だと思った。
私はAくんを呼び出して「ある企画書」を書くように伝えた。
「私たちの仕事は、クライアントが抱える課題の本質を捉えること。そのためには、創業まで立ち戻って考えることもある。だからAくんも、自分が子供だった頃まで立ち戻って、自分がミスを繰り返す要因はなんなのか?自分で考えて、自分に改善策を提案してほしい。その企画書を10枚で書いてくるように。」
当時からAくんには、ロジカルシンキングの訓練として企画書を10枚で書く経験をさせていたので、その延長で「自分を変える企画書」を書くように指導したのだ。
■よくできた「10枚の企画書」
数週間後、Aくんが企画書を持ってきた。実際の表紙がこれだ。
結論から言うと、とてもよくできた内容だった。
「今までAくんが書いた企画書で、いちばんよくできている」
そう褒めたし、実際にそう思った。
企画書には1つ1つのミスを振り返って、自分と向き合った形跡が書かれていた。
これで本当にAくんは変われるかもしれない。そう十分に期待できる内容の企画書だった。
そして、この企画書提出から1週間後。
Aくんは会社に来なくなった。
私のトレーナー生活は、わずか3ヶ月で終わった。
■ロジハラだった「10枚の企画書」
それから数ヶ月後、Aくんは職場に復帰した。時短勤務からはじめて、復帰プログラムに入った。
もちろん私は、もうトレーナーではなくなっていた。
Aくんに企画書を書かせたエピソードは、マネジメントから「やり過ぎだ」と言われた。
当時は名前こそなかったが、私の指導は相手をロジックで心理的に追い詰める「ロジハラ」だったし、人格否定になっていた可能性もある。
復帰した彼からは「休んだのは小島さんの企画書のせいだけじゃないです。他の先輩からも色々あって…」と言われたが、大きな要因の1つだったことは、間違いなかった。
このことがあってから、私はトレーナーという役割を辞退している。
そしてあれから12年。私は電通を辞めた。
その噂を聞きつけたAくんから、久しぶりに連絡があった。
「小島さんの自宅の1階にある酒屋に行ってもいいですか?」
もちろん歓迎して迎え入れたのは、先月のことだ。
■書き足された「10枚の企画書」
当日は酒屋の角打ちで、Aくんの近況を聞いたり、昔話に花を咲かせたりした。
何杯か飲んでほろ酔いになった頃、AくんがおもむろにPCを取り出した。
「小島さんに一番褒めてもらった企画書、覚えていますか?」
Aくんはあの「10枚の企画書」を持ってきたのだ。それを2人で見返して、1枚ずつめくりながら「これあったねー」と笑い合った。
しかし企画書には11枚目があった。
「今日はあの続きを書いてきたんです」
そう言ってAくんはスライドをめくりはじめた。
そこにはまず「あの改善策を実施したことでミスが格段に減った」と書いてった。
「自分の指導も(やりかたは間違っていたが)意味があったのかな」と安心したが、次のページで私は凍りついた。
「ミスをしない丁寧なAくん」になれた引き換えに「仕事って楽しくない」と感じるようになった、という告白だった。
その後のページでは「仕事って楽しい」と思いたくて、クリエイティブへの転向を目指してたが、うまくいかなかった話が書かれていた。
「小島さんの指導で、僕は可能性を潰された」
Aくんはそう言いにきたに違いない。そんな思いが頭をよぎった時、次のスライドに進んだ。
Aくんの丁寧な仕事振りと、(もちろん)企画力が評価され、念願の異動につながったらしい。
Aくんは恨み節(も一部あったと思うが、笑)を言いにきたのではなく、私に感謝を伝えにきてくれたのだった。
追加された企画書は、こんな風に締めくくられていた。
あの日のお酒の味は、一生忘れないと思う。