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トークセッションの司会進行に「哲学対話」を応用してみた

新しい日常のなかで、活発にさまざまな専門知の交換がなされ、新しい概念や方法がつくりだされています。その「知の交換」の舞台として「シンポジウム」や「トークセッション」という手段が選ばれることが多いでしょう。

ぼくも、教育やアートに関わるトークセッションに、パネラーとして登壇させていただくこともあれば、モデレーターの役割を務めることもあります。

今日は、モデレーターを務めるときにある「ルール」を導入したらとてもうまくいったので、その方法をご紹介します。

モデレーターとして意識していること

トークイセッションのモデレーターの役割はとにかく難しいのです。そして、イベントの質的責任を全て負ってしまう重さがあります。

モデレーターが意識すべきことは複数あります。ぼくが意識しているのは、たとえば以下のようなポイントです。

1. パネラーの緊張・警戒をほぐし、ひとりひとりの想いや考えを引き出せているか?
2. 話題を発散しすぎず、収束できているか?
3. パネラーに均等に発言を割振れているか?
4. 観客の予想を超えるような語りは生まれているか?
5. 観客の期待と、語られていることのつながりはつくりだせているか?

理想のトークセッションとは?

たとえば、控え室の空気がガチガチに緊張感があり、トークセッションの時間も、事前に用意されたストーリーだけが語られる。そんな場では、面白いイベントになりません。

主催者とのメールでのやりとりや控え室での談笑など、空気を温める時間があると、パネラーのひとりひとりがのびのびと発言することができます。そのような空気のなかで本番を迎えられたら、ゲストから「今思いついたんですけど…」と、この場だから生まれるような語りが生まれます。

それでいて、特定の発話者に偏らせすぎず、観客のうなづきぶりやチャットの発言などをひろいつつ、観客の関心と語られていることが相互作用し、そこにいる全員で場がつくられている。そんな状態が一つの理想です。

いわば、観客のいる対話のワークショップのようなものだと捉えています。

全員で場をつくる「哲学対話」の手法

このような場をつくる責任を、モデレーターひとりで負うのはとても大変です。そこで、先日ぼくがモデレーターを務めたトークセッションで、こうした場作りの責任を分かち合う手法を試してみたので、それをご紹介します。

参考にしたのは、「哲学対話」という場づくりをされている押田一平さんに教えていただいた方法です。

押田さんは「うんことは何か?」「なぜ男は相談できないのか?」「血のつながりとは何か?」といった多彩な問いをたて、「真夜中の哲学対話」というイベントを主宰されています。

実施したトークイベントはこちらです。劇作家やダンサー、俳優、アートエデュケーター、プロデューサーらによる、舞台芸術と教育をめぐるトークセッションです。

問いをつくって、挙手+指名

やり方は以下の通りです。

1. 事前の問い出し:
直前の打ち合わせで「問い出し」をする。登壇者全員が話したい問いのアイデアを出す

2. 問い決め:
前半のプレゼンタイムの流れを汲み、出された問いのなかからモデレーターが聞きたいものを選ぶ(時間に余裕があれば、どの問いについて話すかを意見しあってもよい)

3. 順番に語る:
まずは、問いについての考えや感じていることを順番に語ってもらう(パスはもちろんOK)

4. ランダム:
その後は、挙手+指名制で時間が来るまで対話。発言は1人2分ほど。

事前に問いを出し、本番のながれのなかで問いを決め、最初は順番にマイクを回すが、その後は挙手制にする。このような対話におけるゲームルールを明示することで、モデレーターの現場仕事はぐっと減り、楽になりました。

まず、問いを出しあい、決めるというフェーズがとても大切です。話したいトピックについて、モデレーターが独断で決めるのではなく、トピック自体をみんなで出し合う。最終的に一つの問いに決まったとしても、決まった問いの背後には、みんなで出し合った問いがこだましています

なにより「挙手制+指名制」というルールが良いと思いました。発言した人が、次に話を聞きたい人にマイクを渡すので、モデレーターが指名する必要がなくなるのです。

それでも発言の数にかたよりがあるときは、モデレーターは自ら手を上げて、発言の少ない人に質問をすればよいのです。「次は誰に発言を振ろうかな」「発言をどうまとめようかな」などと考えずに済むので、観客の反応にも目を配る余裕が生まれます。登壇者の方にも、比較的自由に発言をしてもらえたように思います。

客観に「セッション」することは可能か?

押田さん曰く「哲学対話の場の面白さは、ファシリテーターの権威制がどんどん剥がれ落ち、いつのまにか1人の参加者になっていること」だといいます。これは、哲学対話という場が生まれた思想とも関わりが深いです。

モデレーターやファシリテーターは自分の主観を排して、客観的に場を分析することが仕事であるように思われがちです。たしかに、そのような客観性が必要な場合もあるでしょう。

しかし、本当に「客観的に場を見る」ことなど可能なのでしょうか?

交通整理役とされるモデレーターも「こんなことを言いたい、聞きたい、話しかけたい!」という、自分の中に沸き起こる衝動を止めずに場に飛び込んでしまい、ゲストもホストも客観も主観もないような交歓のなかで「なんかできちゃったー!」みたいな感じで新しいアイデアが生まれる場があってもよいのではないでしょうか。

そんなグルービーな場作りに、とてもよいゲームルールだったので、モデレーターを務める機会がある方は、ぜひお試しください。そして、お試しの際はぜひ哲学対話に関する文献をご参照ください。

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