SNSで心がけたい「暴力とのディスタンス」と「引力」時代のコミュニケーション
お疲れさまです。uni'que若宮です。
今日はSNSで心がけていることについて書きたいと思います。
SNSでは日々大小様々な炎上や分断が起こっています。僕もときどき、そうした事に巻き込まれることがあります。
SNSでの言葉の暴力
上記のツイートにあるように、このところとくにSNSで心がけていることとして、「暴力から距離を取る」というのがあります。
具体的にいうと、
・自ら粗暴な物言いをしないように気をつける
・ニ往復くらいコミュニケーションしても粗暴な物言いの方はブロックする
という二点です。
一点目については、自分が発信する時の心がけで、たとえば政治や社会に対してどれだけ不満があったとしても、できるだけ粗暴な表現にならないように最近気をつけています。
「死ね」や「殺すぞ」などの暴力表現は論外ですが、呼び捨てや人格を否定する言葉、また〇〇だろとか〇〇しろというような命令口調の押し付けの言葉もなるべく使わないように心がけています。
そしてこの一点目をkeepするためにも二点目、つまり「粗暴な方のブロック」を割と早めに活用しています。以下になぜそうすることにしたかについて説明します。
粗暴な物言いの方をブロックする理由
1)自分の粗暴さから距離を取るため
粗暴な物言いの方と会話をしていると、売り言葉に買い言葉的にやりとりがどんどん粗暴になっていき、自らの暴力性が出てきてしまうことがあります。
古い知り合いの方や身近な方はご存知かもですが、僕はもともとそれほど心が広いわけでも温厚でもありません。いや、過去の経験からいうとむしろ根っこの性向としては狭量で暴力的な方だと思っています。これは生来のものかもしれませんし、いわゆる「ヤンキー文化」が残る田舎で「男とは力」みたいな空気をたばこと一緒に吸って育ったことも影響しているかもしれません。
本当に心が広い人なら、無駄な争いになる前に引くことができるのでしょうが、マウントされることがあると「引いたら負け」みたいなうっすいプライドが顔を出してしまい、マウント仕返したくなり、そのうちにどんどん暴力性が出てしまいます。
こういうモードに入るとエスカレートしてしまうので、「自制」の予防策として強制的に会話を停止することにしているのです。ある種の緊急避難として。
2)粗暴な方と話しても学びが少ないから
二点目の理由として、粗暴な方の話に付き合ってもあんまり学びにならないから、というのもあります。
こう言うと「自分に対して耳障りのいい意見しか聞かないのか?」とおっしゃる方がいます。たしかに「異質な意見」を聴くことは大事です。それによって自分が気づかなかった視点を得ることもできますし、しばしば「耳が痛い」意見こそが自分の間違いを正してくれます。
しかし、自分に気づきを与えてくれる「耳が痛い意見」と「粗暴な物言い」もしくは「言葉の暴力」はまったくちがう、もっといえば真逆だと僕は思います。
以前こちらの記事でも書きましたが、「暴力」はむしろ「多様性」や「異質性」を殺すものだと思うからです。
粗暴な方の反論
粗暴な物言いをする方たちから以下の3つの反論をよく聞きます。
1つ目は
1)あなたのために言っているんだ!
という詭弁です。僕自身、子供に対して強く叱ったりした時、よくそんな風に自己弁護してしまうこともあります。
しかしこれは「暴力」や「粗暴」の理由にも言い訳にもなりません。
本当に相手のことを思っていっているのであれば、最終的に相手の意思を尊重するはずです。相手の意思に反してさせることはこちら都合の強制でしかないのですから、説得というのは最終的には、敬意をもって相手と相手の意思に委ねるしかありません。
ですから本当に相手のことを思うなら、なるべく自分の意図を相手によくわかってもらうべく丁寧に伝えるはずです。そうしないと「あなたのため」という最終目標が達せられないからです。
逆に、暴力的に振る舞う人は、相手のことを思っているのではなく、自分が思い通りにしたいだけなのです。相手がこちらの意思に従うことを望み、自分の思い通りではない選択肢は奪いたいから、暴力で「強制」するわけです。DVでもよく「お前のため」というすり替えの論理がありますが、暴力で強制している時点で「自分のため >>>>>>>> 相手のため」ですし、大体が相手のためにはなっていませんよね。
2)議論から逃げるのは卑怯だ!
これもよく聞く反論です。わざわざ暴力的な発言をしてきた上で、そこから距離を取ろうとすると「逃げるな!卑怯者!」といいます。これに乗ってしまうとついつい巻き込まれて暴力性が出てしまいますから、気にせずに距離を取るようにしています。
なぜなら、暴力はまったく議論ではないからです。
粗暴な方に限ってよく、「議論をしているだけなのに都合が悪くなると逃げるのか」といいますが、ちがいます。「議論」になっていないのです。
議論というのはそもそも、お互いの意見を聞くことで成り立ちます。ですが、先程みたように、粗暴な人がなぜわざわざ粗暴な物言いをするか、というと「相手を黙らせるため」なのです。そして、相手を一方的に黙らせることを目的としたやり取りは議論ではありません。
道で知らない人に「おおん?なにメンチきっとんのじゃわれえ???」といきなり因縁をつけて、相手の話を聞こうともせずに罵詈雑言を重ねてくる人を想像してみましょう。それをただ黙ってきくことが「議論」でしょうか?議論をしたいなら乱暴な言葉で相手を黙らせてしまうのは本末転倒で、むしろ相手の言葉を引き出す努力をすべきですが、実際には相手の意見を聞く前に結論が決まっているのです。粗暴な発言をぶつけてくる人は「議論」をしたいのではなく、因縁をつけた上で相手を黙らせて土下座させ、ストレス解消のサンドバックにしたいだけなのです。
3)排除する方こそ暴力だ!
これもよく聞く反論です。こちらの意見を聞かないで一方的に声を封じ排除する、それこそは「暴力」ではないのか、と。
でもこれも詭弁です。
たとえば、自宅に突然押し売りのセールスがきたとします。こちらは要りません、と断っているのにドアを無理やり開けて入ってきて、全く要らないものを次から次へと出してきます。「要りません、帰ってください」と何度いっても「買うまで帰らないぞ」と居座ります。(そもそも呼んできてもらったわけでもないのですが)押し売りのセールスを家から締め出すことが暴力でしょうか?むしろこちらの要望を聞かずに居座ろうとする(そしてそれによって思い通りにしようとする)ことはほとんど脅迫や暴力だと僕はおもいます。
暴力は多様性を殺す
さて、このように考えると、暴力とは「相手の意見を封じる」ものであるということがわかってきます。暴力は「相手のため」と言おうが「議論」のふりをしようが、実体はその反対で、相手の意見や繊細な声を押しつぶし、殺してしまいます。
冒頭で述べたように、僕自身も極力SNSで粗暴な物言いをしないように気をつけているのですが、それは日頃から粗暴な態度をとっていると、周りがそれをみて萎縮したり、敬遠したり、愛想をつかしたりして、やがて意見を言ってくれなくなることを恐れるからです。
さきほど、粗暴な人に限って「自分に対して耳触りのいい意見しか聞かないのか?」という主張をする、と書きましたが、実際に起こっていることは真逆で、粗暴な物言いをする人ほど異質な意見や反論を押しつぶし、「耳触りの良い意見」しか聞かないようにしてしまっているのです。
もし「耳が痛い意見」を本当に聞こうと思うなら、異論の小さな声を殺さないためにこそ、粗暴な物言いをしないよう細心の注意を払うべきです。
斥力や重力ではなく、引力の時代
残念なことにSNSでこうした「粗暴な物言い」をするのは、傾向として40代以上の男性が多いように思います。
そして、そういう方に限って自分が粗暴であるということを認めず、なぜ敬遠されるかにも気づかずに、上記のような詭弁的反論で自分を「正当化」しがちです。なぜ40代以上の男性が多いかというと、無意識に染み付いた年功序列や男性優位の古い価値観のせいで、「自分が上の立場」であり「自分が正解で相手は間違っているので是正すべき」ということをまったく信じ切ってしまっていて、その前提がおかしいということにすら気づけなくなりがちだからです。
しかしすでに時代は変化し、こうした価値観は通用しなくなってきています。
以前こちらの記事で書いたとおり、価値観のパラダイムはすでに変化しているのです。
原始的な時代には人々は地上で押しのけ合い、「縄張り争い」のために戦っていました。この時代は「押す力」が強い人が勇者だったのです。
やがて近代になると地上から垂直方向へと戦いの場は移り、今度は「高さの競い合い」になりました。「重力」に逆らって少しでも上にいくため、人は人を踏み台にします。これが「マウント」です。この場合、自分が上に立った時に「踏み台」がぐらついては困りますから、上から「圧力」をかけて押さえつけるのが正義だったのです。(それでも踏み台になると逃げ場が無いのがブラック企業でした)
しかし、その時代も終わりました。
組織はいまや開放系です。開放系の時代には「押し付け」やマウントによる「圧力」をかけると人が逃げていってしまうだけなのです。
これからの時代は「斥力」ではなく、「引力」の時代です。
SNSでも自分の意見を「押し付け」る人よりは、魅力で「引きつける」人がより多くの価値をつくっていける時代です。そのためには「粗暴」や「暴力」はマイナスにしかなりません。
自分の「暴力」から、そのために相手の「暴力」から、「距離をとる」ことはこれからの時代に必要なスキルです。オードリー・タンさんが提唱する「Humor over Rumor」のように、憤慨の代わりにユーモアで答える、というのも素敵ですよね。
いずれにしても、せっかくインターネットでつながれるようになったのですから、怒りや暴力ではなく温かいコミュニケーションの場になったらもっといろいろなことが進んでいくと思います。みんなで進めましょう。
投稿前に少し語尾や言葉選びに気をつける、1分もかからない本当に簡単なことからでも、今からでも、社会は変えていけます。
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