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AI、ゲノムと、我々はどこに行くのか? 〜「機械仕掛けの神」と「遊ぶ人間」

皆さんメリークリスマスuni'que若宮です。今年もサンタは来ませんでしたが本当にいるんですかねあれ

さて、日経本誌連動「テック2050」の#30年後あったらいいな という企画で未来に関するお題をいただいたので、大きすぎるテーマですが「人間の未来」について思うところを書きました。

題材として与えられた未来予想図は下記の10点。

① AIが人間の能力を超えるシンギュラリティが起こる(2045年ごろ)
② 世界の人口は97億人に(世界の4歳以下の子ども人口の約4割をアフリカが占める)
③ 2041年から100万円以下で宇宙旅行できる時代が訪れる
④ iPS細胞の普及で男性同士でも実の子どもができるようになる
(男性カップルのiPS細胞を始原状態に戻し、精子と卵子を作りだして受精させる)
⑤ 世界の新車販売の約90%が自動運転車になる(2050年頃)
⑥ 脳とコンピューターが接続され、言語を介さず脳の電気信号だけで気持ちや感情をやりとりできるようになる
⑦ 汎用人工知能(GAI)が普及すれば日本の全人口の1割程度しかまともに働いていない社会になっている(早ければ2045年ごろ)
⑧ 2050年にはキャッシュ(現金)がなくなっており、生体認証や超小型の電子機器で決済される。
⑨ AI政治家が誕生している
⑩ ゲノム編集によって免疫能力が強化されたり老化が抑制され、実年齢と見た目年齢で10~30歳の差が出てくる

今日はこの中から特に

① AIが人間の能力を超えるシンギュラリティが起こる(2045年ごろ)

⑩ ゲノム編集によって免疫能力が強化されたり老化が抑制され、実年齢と見た目年齢で10~30歳の差が出てくる

の二点について書きたいと思います。この二つの未来は、人間をどこにつれていくのか?


人間は「神」に進化する?

ユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』が話題になりましたね。

え???まだ読んでない???


安心してください、僕もです。なんせ上下巻。積読として積んどくにはぴったりの厚さ。そんなあなたも慌てなくても大丈夫。こちらをどうぞ!

はい、めっちゃわかりやすいです。nogacchiさんありがとうございます。むしろnogacchiさん神。ノガッチ・デウス現る。


生物工学とサイボーグ工学、AIによって、人間は「不死」と「至福」という神の属性を実現し、「ホモ・デウス(神たる人間)」へと進化する。

遺伝子操作によって老化はとまり、損傷・劣化した身体のパーツは人工器官で置き換え可能になります。そしてAIやロボティクスが進歩することで人間は働く必要がなくなり、最適化された快適な環境でただただやりたいことをして過ごせるようになります。

勿論、すぐ社会の全てがそうはならないでしょうし、当初はAIや先進医療の恩恵受けられる人は一部の富裕層に限られるでしょう。しかしAIが本当にシンギュラリティを超えれば、先進技術のコストはものすごい速さで低廉化し、国民皆保険対象のセーフティネットのようにいずれはインフラ化するはずです。そうすると人類全体として、たしかに神に近づくことになるかもしれません。

「不死」と「至福」を手に入れる。それは果たして幸せでしょうか、不幸でしょうか。その未来はユートピアでしょうか、ディストピアでしょうか。


「無時間の神」のいびつさ

個人的には僕は、このような「不死」と「至福」にそれほど興味はありませんし、ワクワクしません。むしろ何となくつまらないものに感じてしまいます。なぜかというとそれが無時間的だからです。

「神」というのは基本的に「無時間的真理」たる存在です。全知全能、誤ることもなく、あらゆることを瞬時に実現できてしまいます。

AIは、人間が何年もかけて考えたり、失敗したりして学ぶ試行錯誤の何万通りもを、たった何万分の一の時間ですることができます。これまで時間をかけて漸次的に進捗してきたことが一瞬で成し遂げられ、最適解に収れんします。そしてさらに、老化や時間の経過までをコントロールできるとしたら、人は最高のタイミングで停止する、ということが出来るようになるかもしれません。

人生の”最高のタイミング”に瞬時に到達でき、止められる世界。これが叶えられた時、もはや「永遠」と「一瞬」は変わらなくなり、「成長」や「進歩」という過渡的・時間的なプロセスには意味がなくなります。これが「無時間」ということの意味です。神は常にすでに最高の存在なので、神にいま何歳か、と尋ねることはあまり意味がありません。


しかし、ヘラクレイトスが「万物は流転する」といったように、自然の本質natureは「変化」だと、僕は考えます。生き物や宇宙は常に変化をしています。成長し、老いさらばえて、いつかは死にます。この変化を停止させ無時間化してしまうことは、僕にはなんだか”歪んだ夢"であるようにも思われます。

テクノロジーによって実現されるこの「神」は、ギリシャ悲劇の「機械仕掛けの神」のようにどこかとても不自然な神に感じられるのです。

「神」はたしかに、様々な個の生の悩みや混乱を解決し、我々の人生に大団円をもたらしてくれるかもしれません。しかしやはり、そこにはどこかある種のぎこちなさ、不自然さがある。その意味で技術の進歩とともになされる「ホモ・デウス」は、デウスはデウスでも「ホモ・デウス・エクス・マーキナー(機械仕掛けの神たる人間)」ではないか、という気がします。

人間の一つの未来、それは技術によって機械仕掛けの神になる、というあり方です。


ゴールがなくなる?

AIによって最適な環境が常に準備され、ゲノム編集やアンドロイド工学によって瞬時に望む能力を身につけられるなら、働いたり学んだりする必要や「目標」がなくなります。そして、不老が進み、死なない身体を手に入れられれば人生の「おわり」すらなくなる。

そう、それはいわばゴール(=目標、おわり)がなくなる時代だと言えるかもしれません。目標も、おわりもなく繰り返す世界。ニーチェの有名なアフォリズムを思い出します。

最大の重し。──もしある日、もしくはある夜なり、デーモンが君の寂寥きわまる孤独の果てまでひそかに後をつけ、こう君に告げたとしたら、どうだろう、──「お前が現に生き、また生きてきたこの人生を、いま一度、いなさらに無数度にわたって、お前は生きねばならぬだろう。そこに新たな何ものもなく、あらゆる苦痛をあらゆる快楽、あらゆる思想と嘆息、お前の人生の言いつくせぬ巨細のことども一切が、お前の身に回帰しなければならぬ。しかも何から何までことごとく同じ順序と脈絡にしたがって、──さればこの蜘蛛も、樹間のこの月光も、またこの瞬間も、この自己自身も、同じように回帰せねばならぬ。存在の永遠の砂時計は、くりかえしくりかえし巻き戻される──それとともに塵の塵であるお前も同じく!」──これを耳にしたとき、君は地に身を投げ出し、歯ぎしりして、こう告げたデーモンに向かい「お前は神だ、おれは一度もこれ以上に神的なことを聞いたことがない!」と答えるだろうか。もしこの思想が君を圧倒したなら、それは現在あるがままの君自身を変化させ、おそらくは紛糾するであろう。何事をするにつけてもかならず「お前は、このことを、いま一度、いな無数度にわたって、欲するか?」という問いが、最大の重しとなって君の行為にのしかかるであろう!もしくは、この究極の永遠な裏書と確証とのほかにはもはや何ものをも欲しないためには、どれほど君は自己自身と人生を愛惜しなければならないだろうか?(ニーチェ『 悦ばしき知識』341)

ゴールのない未来、それを人類に告げるものは、神でしょうか、それともデーモンでしょうか。

ここで少し、シンギュラリティ後の世界の思考実験をしてみましょう。あなたがいま時間をかけてやっていることは、AIがその数万分の一の時間ですませてしまいます。朝目覚めると、しようとしているto doや、しなければならない仕事は、ほとんどする必要がなくなる、あるいはすでに済んでしまっている。

もちろん、仕事以外にもすべきことはあります。たとえば恋愛とか。この未来には恋愛の意味もかわりその必要性は低下するかもしれません。2次元キャラとの恋愛はこれは今は少し倒錯もしくは不毛に思えますが、各種の医療技術で不死や単体生殖が可能になれば恋愛と生殖は切り離されますから、恋愛対象が生身の身体をもたないことも当たり前になるでしょう。VRとAIの技術が進めば、映画『her』のようにAIと恋愛する人は確実に出てきます。LGBTに生産性はない、と言った方がいましたが、異性愛者もLGBTやAI愛者やVR愛者と生産性としての重要性は変わらなくなるわけです。そうなると、恋愛や結婚をする「必要」はなくなる。


動物園は楽園か?

これまで人間は、種を守り広げるために、さまざまな課題を解決する工夫をしたり、道具を作ったりしてきました。アンリ・ベルクソンは「つくる」ということに人間の本質を見い出し、「ホモ・ファーベル(つくる人間)」と呼びました。

人間は道具によって空間や時間、そして五感を拡張しつづけてきましたが、それはある種生きる上での「目標」をもった工夫でした。しかしもし、すでに述べたように人間の生からゴールがなくなれば、人間はもう「つくる」必要がなくなります。

AIがシンギュラリティを超え、人間の代わりにロボットを操作してものを「つくる」ことができるようになり、そしてさらには、ロボットをつかってロボット自体もAIが「つくる」ようになったとしたら・・・。「ファーベル」はもう人間の本質から切り離されることになるのかもしれません。

あらゆることをAIやロボットが解決してくれ、かつ人間よりもはるかに速く上手くできるのだとしたら、人間はもう課題解決したり「つくる」必要はありません。死ぬ危険もなく、課題を解決しなくても快適に生きていける・・・それはある種柵に守られ、「えさ」をもらえる動物園の中のような生き方と言えるかもしれません。


こういうと、「いや柵の中の生活とはちがう、われわれ人間は自由なのだ!」そうおっしゃる方もいるでしょうか。

ですがすでに今日、人間はSNS疲れしながらもノイローゼのようにいいね!したりフォロワー数を気にし、「映え」のために今日の行き先を決める生活になっています。それは果たして自由意思なのでしょうか?われわれはもう、飼われはじめているのではないでしょうか?


「遊ぶ」ための能力

目標もなく、「ホモ・ファーブル」ですらなくなった時、人間に残るものは何でしょう。


僕はひとつ「遊ぶ」ということが鍵になると思っています。

ここでもう一つ、人間の定義をあげましょう。ホイジンガは人間の定義として「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人間)」というのを提案しました。


「遊ぶ」は目標のためにする営為ではなく、ある種"目標のない"非生産的行為です。

① 自由な行為である
② 仮構の世界である
③ 場所的時間的限定性をもつ
④ 秩序を創造する
⑤ 秘密をもつ

こういった「遊ぶ」のあり方が、もしかしたらこれからの人間の活動のヒントになるのではないでしょうか。実利とは離れてなされる想像の世界(=仮構)でなされる「遊ぶ」には、デウスの「おわり」のない生においても、「おわり」があります(=時間的限定性)。それは限られた場でなされ(=場所的限定性)、「秘密」をもちます。「目標」なしに集合と解散を繰り返す、非日常な秘密の集まり。人間は生の課題から開放された時、宗教のような、芸術のような「お祭り」をしていくのかもしれません。


そして「遊ぶ」ことにおいて、大事なのは「秩序を創造する」ことです。「遊ぶ」とは、スマホのゲームにハマって課金して廃人になることとは少しちがう。誰かが用意したシステムの中で遊ぶだけの遊びは、やはり「エクス・マーキナー」的だからです。

「遊ぶ」の本来的なありようは、自らルールをつくるということ。しかし特に日本人はこの、「秩序を創造する」ということのがあまり上手くないように思います。誰かがつくった秩序に住まうことになれてきた日本人にとっては、未来は「遊び」のないディストピアに見えるのかもしれません。

(ここで伊藤亜紗さんのインタビューをお読みください。)

そこで、既存のルールではない、自分だけのルールを新しく作っていく。そういう楽しさが、遊びには必要なんだと思います。これはきっと、子どもだけじゃなくて大人にも必要で。社会生活の中では外部のルールに従って動いていますが、そうではない場所を意図的に作るのが大人にとっての「遊び」になるんじゃないでしょうか。



「遊ぶ」コツは「遅延させる」こと

「遊ぶ」ためのルールを考えてみると、それらが効率性のためではなく、むしろ「遅延させる」ための制約であることに気づきます。

「遊ぶ」時、すぐ勝ち負けがきまったり、終わってしまうとつまらないのです。「遊ぶ」を楽しむためにはできるだけゴールにすぐ到達できないようにするのです。このようなあり方のためには、これまでの効率化や合理化のためのテクノロジーや科学とはまったくちがう発想が必要になります。パラダイムの転換が必要なのです。

大きく、普遍的な、速くするためのルールではなく、小さな、自分たちだけの、遅くするルール。人生を目標のための過程とみなすのではなく、人生自体を”遊び”にすること。

新しいパラダイムのヒントは、遊びや、宗教や芸術など、一見非合理・非効率な文化的営為にあるはず。産業社会の中では人文学や芸術は、「虚学(役に立たない学問)」として切り捨てられがちですが、AI時代にはそういう学びこそが重要になってくるのではないでしょうか。そしてそのために一番変わらなければならないのは教育だと思っています。


テクノロジーの進化により、「ゴール」がなくなる未来。その時人間はどう生きるのか?「機械仕掛けの神」か「遊ぶ人間」か。

このパラダイム転換のための新しい教育が、#30年後あったらいいな

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東洋経済「すごいベンチャー100」uni'que CEO、 ランサーズタレント社員 (最近の興味)編み物としての建築←コアバリュー、アート思考、新しい働き方、新しい教育 ←DeNAで新規事業 ←NTTドコモで新規事業 ←美学藝術学研究者 ←アート・音楽イベント主催 ←建築士