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長期間の皿洗い修業も悪いわけではない

小学校時代の友人は、高校卒業後に東京に出てきて、すし職人として修業を始めました。

最初の3年間は皿洗いや賄いづくりなどの裏方に徹していて、その後に少しづつ付け場に立つようになりました。

そこからまた数年してお店を任せられるようになり、一通りの仕事を責任者として率いられるようになってから地元に戻り、現在では独立して自分の繁盛店を切り盛りするようになっています。

何とはなしに「3年も皿洗いによく耐えられたね。意味あったの?」と聞いたことがありますが、その回答はとても前向きなものでした。

  • 最初は裏方の仕事でも手一杯で、一つ一つ覚えていくのには時間が掛かる

  • 余裕ができてくると、親方とお客さまとのやり取りや仕入れ業者さんとの付き合い方など違うものが見えてくる

  • お店は美味しい料理を出すだけの場所ではないことに気づけた

  • 視野を広げ、店舗を経営することを学ぶ機会になった

最初は疑問もあったが続けて良かったと、お店の方々にはとても感謝していることを教えてくれました。

堀江さんの見解から考える

堀江さんは記事の中で、以下のような見解を述べられています。

  • 下積みや修業への覚悟を否定はしない

  • 美味しいものは時間を掛けたから作れるようになるわけではない

  • 「時間をかけないとうまくならない」という考えは幻想である

  • 修業はスキル習得の絶対条件ではない

一見、私の友人の見解と矛盾するようにも見えますがそうではありません。

堀江さんのこれまでのご経験や実績から、常識を疑うことで価値を創出し、仮説を立てて実行し、失敗から迅速に学び、諦めずに前進を続けてこられたことがわかります。

堀江さんにとって3年間の皿洗いの修業は、費用対効果の悪い取り組みになりそうです。異なるやり方で、同じことをもっともっと早く学ばれるでしょう。

私はこの2つの話をまとめて以下のように解釈しています。

  • 成長するためには、努力や覚悟が必要である

  • 昔から続いてきたやり方には一定の意味がある

  • 特性や能力は各自で異なるため、全員にとって同じやり方が最適ではない

  • やり方の良し悪しは目的や状況によって変化する

  • より良いやり方は常に存在すると考え、模索するべき

そして、長時間労働が制限されるようになった現代は、強い目的意識を持って自らが行動しないと成長しづらい環境になっているようです。

古いやり方に敬意を払いつつも、常識を疑うというある種成熟した姿勢で、一人ひとりが意思を持って成長を目指せることが理想だと捉えています。

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