多様性ネイティブの世界では、親が面倒な説明をサボらず、子が迷いなく決断し続ける

先日、ランドセルのセイバンの「天使のはね」の新しいWeb CMが公開されたことがSNSで話題になっていたのを見かけた。かくいう私も、既に2つのランドセルを購入してきた(うちは土屋鞄製)、2年後にはもう1つ購入予定と、このCMのバリバリ現役ターゲットな母親です。

「キミが好きなの、キミが選ぼう。」という企画で、ランドセルを選ぶところを親が別室でモニタリングしている。

親「黒を選ぶと思いますよ」
子(黒を選ぶ)
親「やっぱり」
セイバン「実はパパママが好きそうなやつはどれ?と聞きました」
親「えっ!」
セイバン「キミが好きなの選ぼう!」
子「これがすき♡(ピンク)」
親「本人が好きなの選ぶのが良いですね…」

というような内容のWEB CM。2月1日に公開されたらしき企画、私自身がこのCMを知った段階では、多くの方がこれを見てTwitterで感想がたくさん上がっている状況でした。2585件の引用リツイート(2月20日現在)や多くのリプライで、いろいろな人が「泣いた」「グッときた」といっている。

多様性へのアプローチの振れ幅

好きな色のランドセルを選ぼう!という企画に対して多くのこの声が書き込まれているのを見て、いろいろ思わざるを得ず珍しくモヤついた。

今月は下記のような議論と事件が嫌でも目についたので、多様性・多様性の教育を軸にテーマを深堀りしたい。

親はこんなにも罪悪感を持って生きている

ランドセルのCMへの反響には「自分で選べるほど大きくなったんだと思うと感動して泣ける」という意味での書き込みもあったが、多くは「思った以上に大人のいうことを子どもは察しているんだよな」「価値観を押しつけてしまってきたと思う。ごめんね…」という雰囲気だった。

親が子どもに対して持っている罪悪感が顕在化しているようで、なかなかショックな反応だ。いや本当に、全国の親の皆さん日々おつかれさまです。大人だって、右も左もわからないことばっかりですよね。ランドセル選ぶ子どもの親になるのも、通り越して大きくなってから振り返るのも、初めての経験です。

このタイミングで、コロナ禍において子育てへの漠然とした否定的な感情が増加したというアンケート結果も見た。

子育てへの肯定的な感情が減少した一方で、否定的な感情が大幅に増加した
15年から22年にかけて、母親の子育てへの肯定的な感情(「子育てによって自分も成長していると感じること」など)が減少した。その一方で、子育てへの否定的な感情が大幅に増加した。とくに、「子どもを育てるためにがまんばかりしていると思うこと」は20.5ポイントも増加し、約6割に達している。
第6回幼児の生活アンケート ベネッセ教育総合研究所-11p
15年から22年にかけて、現在の生活や子どもの成長に対する満足度が低下
15年から22年にかけて、「現在の生活に満足している」「子どもの成長ぶりに満足している」比率が低下している。これらを、母親の就業ごとに、子どもの面倒をみてくれる人がいるかどうかで比較してみると、いずれの働き方においても、面倒をみてくれる人がいるほど、満足度が高い。
第6回幼児の生活アンケート ベネッセ教育総合研究所-12p
11-12ページ

やはり、その都度後悔のない判断をできる瞬発的な決断力と、決断に対して肯定的でいられる自己肯定力は、子育てにおいても親にとって必要な力であると強く感じる。

多様性ってたぶんそういうことじゃない

今小学生の親である同世代の私たちはそれこそ、「目立たないよう、一人がみんなのために」と育てられてきたんだから多様性を認められた子どもであった経験が少ない。

それにも関わらず30年後、“多様性が当たり前な子ども”を育てなければいけない状況に立たされているのだから、多様性教育はまだまだ道半ばだ。多様性に対する多くの人の考えの現在地はまだここなのだ、ということも思い知らされた。

正直に言って、「自分の持ち物に好きな色を選べる」のは当たり前で、多様性ってそういうことじゃない。[セイバンさんは多様性という言葉を使われてないので、テーマが違うのかもしれないが、私としてはそう切り取らざるを得なかっただけの話ではあるが]あと何年かすればランドセルも洋服も、好きな色を選ぶなんて当たり前になる。今は過渡期だ。

私は、カトリックの女子校に14年通ったからか、中でも小学校低学年当時の校長先生が、「一人ひとりを大切に」という言葉を何度も掲げていたので、それを真に受けていつも意識していたこともあり、30年早く多様性の概念が身についていた。一人ひとりが大切、一人ひとり違う、違うから面白い、違いを尊重してチームになればひとりでできないことが出来てしまう、だから世界はすごい!と思ってきた。

誰かが自分と違うことを受け入れたくない人もいることは確かだが、誰かが自分と違うことを何とも思わない、私のようにプラスですらあると思う、という人も少なくなく、パラダイムシフトはもう起きているはずではあるが、現在地はいつも確認していたい。

めんどくさい説明、覚悟しての決断を重ねてこその多様性

今回のランドセル選びの話にはヒントが詰まっている気がしていて、好きな色を選ぶのは本当に自由だと思う。ただ、例えば白にすれば汚れるのは紛れもない事実だ。白を選ぶのであれば、親としては6年間汚れても使い続けるイメージができるレベルで伝えることができ、納得した上で選ぶということが重要なのである。

「考えて選ぶ」ことはとてもめんどくさい。何も考えないで、汚れは目立たないしみんなも持ってるし、黒でいいでしょ、という方が圧倒的に楽。親個人のレベルで選択肢のグラデーションをつくる[どういう方針で選ばせるのかルールを決める]のも、選ぶものはランドセルひとつじゃないので、それはそれは大変である。正解が何かもわからないし。

それでも汚れるものは汚れる、ダサいものはダサい。その事実を伝えてあげる必要は、先人として親がするべきことなので、やはり道案内は重要だがしかしめんどくさいのである。

そのようにして、全ての選択を[親のサポート/アテンドありきでも]それぞれが責任を持って遂行し、ようやく、フルカスタマイズの人間が出来上がるのでしょう。

「覚悟して本人が決断した集大成」としてぶつかりあいながら共存するのが、多様性が当たり前になった先で、一人ひとりを尊重し違うことを生かしていける世界線なのだと思う。

それが多様性の面白さだしそういう世界に早くなってほしいし、私はそういう世界だと思っています。

以上、多様性について考えさせられたことでした。

この話について思ったことをすぐ、stand.fmで話してます「#28 子どもを育てながら考える多様性その先」。我が家のランドセル選んだときの話、多様性に関するプライベートなエピソード、本当はこのnoteに入れたかったけど入れれなかったクセ強発想まで…。私の人となりがわかるのがしゃべりかなーと思うので、よかったら聞いてみてレターください。

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