米国の弱体化は、世界の「たが」を外す
イスラム組織ハマスによるイスラエル攻撃は、2001年の米国を標的とした同時多発テロとなぞらえられる。強国がテロリスト集団に不覚を突かれるパターンは同じだが、2001年との決定的な違いは、背景にある世界の規律が格段に不安定を増していることだ。
既にウクライナ情勢が始まって1年半以上がたつものの、終わりは見えない。今回のイスラエル・ハマス衝突やその余波が、ロシアや中国の指導層へどのようなメッセージを送るのかが注視されている。
そもそもなぜ世界がここまで不安定化したのか?その答えは、米国覇権の相対的な弱体化にあると考えるのが妥当だろう。第二次世界大戦、そして冷戦後の国際的な平和は米国の繁栄とともにあり、米国発のワシントンコンセンサスが世界に規律を施していた。
それぞれ固有の歴史とさまざまな思惑のある国が集まるこの地球を、いろいろな家庭事情のある生徒が集まるクラスに例えてみよう。いわば「学級委員」である米国が隆々とし、にらみを利かせることで、いじめっ子も問題児も大きな文句を言わずクラスの規律に従ったのが、私たちがなじんだ地政学的な環境だ。
では、学級委員たる米国の国力は何を源としていたのだろう?まず、民主主義こそが国を豊かにし、その典型例が米国であるという実証。次に、米国は常にモラル的に正しいことをするという実績に基づく自信。そして、前向きなオプティミズムとハリウッドに代表される文化のソフトパワーが想起される。私が東海岸に住んでいたのは2000年代前半だが、まだこれらの要素は健在で、それを信じて疑わない精神こそが米国の神髄と思われた。
しかし、米国覇権を支えたこれらの前提はどれも、この20年で相対的または絶対的な衰退が激しい。まず、中国の急速な台頭により、民主主義だけが国家繁栄の答えではないという理解が広がった。モラル面では、2001年同時多発テロに端を発したブッシュ政権によるイラク戦争は後にその正当性を疑われることになり、米国の信用に大きく傷をつけた。
最後に、国内で貧富の格差が急速に拡大し、政府をはじめとしてエスタブリッシュメントに国民が置く信頼が地に落ちてしまった。米国発のソフトパワーは健在とはいえ、インターネットによる接続のおかげで、小国を含め各国のソフトパワーはいまや百花繚乱(りょうらん)である。
このように米国という「学級委員」の力が落ちると、これまでなんとかおとなしくしていた生徒が騒ぎ出す。米国とそもそも相いれない思想を持つ国々が、戦争や侵攻を含めたアクションを起こす素地(そじ)ができてしまったわけだ。その表れがウクライナ情勢であり、イスラエル・ハマス衝突と捉えることができる。
そうであれば、残念ながら、こうした「想定外」のイベントは短期的には増えていくと予想せざるを得ない。米国が世界にはめてきた「たが」が外れているのだ。長期的に、世界がさらなるカオスに突入するのか踏みとどまるのか、その分岐点となるのは2024年大統領選挙だろう。
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