僕が離婚をするとき、子どもに伝えたかったこと。
6年前の話になる。
僕は32歳、息子は3歳だった。
僕は離婚することになり、それを息子に説明することになった。
きっかけは、姉の言葉だ。
姉は大学で心理学を学び「家庭裁判所調査官」として働いていた。
調査官とは家庭裁判所に勤め、主に家庭紛争や非行問題の当事者、つまり子どもたちと会って、心理的な分析をする仕事だ。
そんな姉の見解はこうだ。
・子どもはきっと混乱している
・子どもは自分を責める傾向がある
・つまり父と母が離婚するのは自分のせいではないか?と考える
・だから親は「きみのせいではない」と説明しなければいけない
ごもっともだ。
ただ、息子は3歳。
「どうやって説明しようか」
「どうやって説明すれば、理解してもらえるだろうか」
「どうやって説明すれば、離婚の意味がわかるだろうか」
仕事中も、ずっと考えていた。
そして手元のパソコンで、11枚のスライドをつくって伝えた。
今日はそんな話。
■けんか べっきょ りこん
当時の僕は、妻・子どもと別居していた。
離婚を説明するには、別居から説明しなくてはならない。
そしてもちろん、家族についても説明する必要がある。
最初はこんなスライドからはじめた。
「だいじなお話があるんだ」
面会の日に子どもにそう呼びかけて、パソコンを開いた。
そして3本の線について、説明をはじめた。
「よーく覚えて。青はなかよしのコト、緑はいっしょに住むコト、灰色はふうふ、つまりパパとママのこと。覚えた?」
うん!
と頷いた子どもに「じゃあ青は!?」など、ゲームのようにクイズを出して、覚えられたことを確認してから「おはなし」をはじめた。
まずは僕と妻のなれそめから。
「パパとママは学校にいた時に会って、仲良しになったんだ」
スライドをめくった。
そして続ける。
「なかよしになって『一緒に住もう』ってなったんだ。」
「これがさっき話したどうきょ。つまり一緒に住むことだね」
スライドは次で4枚目。
「同居していたら今度は『家族になろう』ってなって・・・
そのあと、きみが生まれたんだよ」
スライドには、息子が登場した。
「パパとママの子どもは『かぞく』って言われるのは知ってるよね?」
「ちょっと前まで、3人は一緒に仲良く暮らしていたから、線はこうなるね」
そう話して、少し前まで子どもにとって「あたりまえ」だった状況を説明した。
スライドはここで折り返す。
「ここから少しさみしい話になるね」
と伝えて、後半をはじめた。
「きみも少し見ちゃったけど、パパとママはちょっとけんかをしたんだ」
と伝えて、青の線を減らした。
「もともと仲良しで一緒に住んだから、たくさんお話をして『同居はやめよう』ってなったんだ。これが今なんだよ」
子どもは黙って聞いていた。
僕は淡々とスライドを進めた。
「それでね、またママとお話をして『りこん』をしようと決めたんだ。りこん、っていうのはこういうことね」
「かぞくの線が1つなくなったね。これが『りこん』なんだ。けど、きみとパパはかぞくだし、きみとママがかぞくなのは変わらない」
そう説明して、スライドを冒頭に戻した。
「同居していること。家族であること。それも大事だけど、パパはこれから青い線を大事にしたいだ。」
そう伝えた。
「だって、一緒に住んでいても、仲良しじゃないのは嫌だよね。家族でも、仲良しじゃなかったら嫌だよね。」
「だから、これからはこうなりたいと思うんだ」
スライドは最後の1枚だ。
「パパとママは『かぞく』じゃなくなったけど、きみとパパは『どうきょ』じゃなくなったけど、3人がまた仲良しの線でつながっている。これからはそうなれるといいな、とパパは思うんだ。」
そう伝えて、パソコンを閉じた。
「どうだった?」
恐る恐る息子に聞いたら
「ちょっと悲しいお話だった」
と彼は答えた。
ちゃんと伝わったことを感じた。
■なかよくなるための、りこん
あれから6年。
単独親権である日本で、僕はまだ子育てに関わらせてもらえている。
そして今は、最近建てた家に1人で住んでいる。
家の1階には、酒屋がある。
そんな家には、9歳になった息子が頻繁に泊まりに来る。
時には、彼のママと3人で1階の角打ちカウンターを囲む。
そんな3人の関係が珍しがられ、先日、関西の毎日放送で放映された。
確かに3人の暮らしは珍しいのかもしれない。
ただあの時、息子に説明した「これから」には少しずつ近づけている気がする。