フェイスブックはメタバース企業に本当になれるのか?
にわかに「メタバース」という用語がバズってきています。きっかけは7月、マーク・ザッカーバーグが「フェイスブックはこれからメタバース企業になっていく」と宣言したこと。これに呼応するかのうように、日本のグリーもメタバース事業に100億円を投資し、200人を超える開発者を採用すると発表しました。
メタバースというのは1990年代から使われてる古いことばで、インターネットに構築された仮想の3D空間を意味しています。細田守監督の名作アニメ『サマーウォーズ』に出てくる仮想世界OZも典型的なメタバースで、SF小説やアニメにはこのコンセプトは過去何度となく登場しています。
「セカンドライフ」もメタバースだった
現実的なメタバースとしては、ネット歴の長い人だと2007年に日本で一過性のブームになった「セカンドライフ」を思い出す人も多いでしょう。とはいえセカンドライフはパソコンの画面の中にしか存在せず(当時はまだスマホもありませんでした)、操作性も非常に良くなかったので流行りませんでした。
しかし高性能なVRが登場してきた2020年代なら、メタバースはかなり現実味が出てきています。フェイスブックはVRヘッドセットのリーディングメーカーであるオキュラスを買収しており、SNSをメタバースの中で実現する「ソーシャルVR」を志向していると言明してきました。「メタバース企業になる」というザッカーバーグの発言は、その方向性を追認しているものです。
この流れをわたしはまったく否定するものではありません。しかしアニメや映画で描かれるようなメタバースが、SNSのような社会のインフラとして実現していくためにはいくつかの大きなハードルがあります。
メタバースが「身体性」を持てるようになるためには
そのひとつは、身体性。VRになったことで視覚の没入感は飛躍的に高まりますが、触覚をともなうわけではありません。UXもジョイスティック的なUIのままでは、メタバースを自由自在に操られるようにはならない。メタバースが誰にでも楽しめるようになるためには、UIに革命的な進化が必要だと思います。
たとえばメタバースの中にボタンがあり、そのボタンを自分の仮想的な指で押し、きちんとボタンの反発があって「押した感」があるところまで進化すれば、それはメタバースUXの完成形となるでしょう。そこまで行くと、映画『マトリックス』の地平も見えてくるかも。
同期と非同期というコミュニケーションの難題
もうひとつは、同期と非同期の問題です。現在のSNSはフェイスブックにしろツイッターにしろインスタグラムにしろ、非同期です。これに対してリアルタイムチャットやYouTubeのライブ配信は同期です。同期サービスは同じ時間を共有することで盛り上がることができるメリットがありますが、同じ時間帯に同じサービスにいなければならないという制約があります。ニコニコ動画はこの制約をうまく回避し、非同期のサービスであるのにもかかわらず同期であるかのように錯覚できる非常に巧妙な疑似同期的しくみを持っています。
フェイスブックがメタバース企業になり、SNSをソーシャルVR化させていくのであれば、この同期の問題を乗り越えなければなりません。SNSは人間関係の社会的インフラとして成長してきていますが、つねに同期しなければ会話できないSNSというのは、けっこう使いづらいのではないでしょうか。
とりあえずはライブエンタテインメントとして流行るかも
これらのハードルを考慮すると、近未来のメタバースは社会のインフラとしてではなく、YouTubeのライブ配信に近いようなエンタテインメントとしての可能性のほうが大きいのではないかと私は考えています。