見出し画像

「女性政治家が少ない!」→「ではあなたやってください」→「嫌です」

第2次岸田再改造内閣の副大臣・政務官の計54人に女性はゼロだったことが、香ばしい界隈で話題になっているようだ。

これについて、案の定「批判することしかできない」党がこんなことを言っているわけだが…

なんでもかんでも女性の数を増やせばいいという問題なのか?頭数だけ揃えれば、その人材としての資質や中身はどうでもいいのか?

早速、「クオータ制にしろ」などということを主張する国会議員がいるわけだが、

立憲民主党の辻元清美・ジェンダー平等推進本部副本部長は、「女性も参画した方がバランスの取れたいい政治ができる」と述べ、クオータ制導入を求めた。

クオータ制に対してはこういう意見もある。

そもそも、女性は政治家になりたいのか?という話もある。誰もが辻元清美氏のように「政治家やりたくて仕方がない」女性ばかりじゃないだろ。

日本財団が2020年に全国18~69歳の女性1万に対して行った調査結果がある。それによると「政治家になりたい」割れ合いはたったの7.8%と1割にも満たない。「そう思わない」が9割である。

https://seijiyama.jp/article/news/nws20210104.html

なりたいと思っていないのだから、数が少ないのは当然であり、単に女性の政治家の数を増やしたいというのなら「やりたくもない仕事を無理やり強制する」ということにならないのだろうか?

というと「それは女性が政治家になることのハードルがあるからだ」とかいろいろ理由付けしてくるのがいるが、どうして「本音では多くの女性が政治家になりたいと思っている」などという勝手な思い込み前提で考えるのか?全くもって意味不明。逆で、大多数の女性が「そもそも政治家になんて何の興味もない」のである。

しかし、それでもこう反論する者もいるだろう。「日本は女性の政治家が少なすぎる。女性の政治家がもっと増える必要があると感じている人は大勢いる」と。

確かに、前述日本財団の調査でも「日本でも女性の政治家が増える必要があると思いますか」という質問に対して、「思う」と回答した割合は63.7%にもなっている。

しかし、問題の本質はここで、「女性政治家は増えた方がいいね」と思っている女性が6割以上いるにも関わらず、「じゃあ、あなたがやってください」というと「私は嫌だよ」というのが9割なのだ。

むしろ、見方を変えれば「政治家なんて面倒くさいだけで、無能でもできる事はジジイにやらせておけばいい。何かあったら袋叩きにすればいいから。自分らは自分らの楽しいことをやって過ごすし」と思っているのかもしれない。

これは別に女性だけではなく、人間として当たり前の意識である。

「NIMBY」という言葉がある。英語の「Not In My Backyard(我が家の裏庭には置かないで)」の頭文字を取った言葉で、公共に必要な施設だということは認めるが、それが自らの居住地に建設されることには反対する住民のことや、その態度を言い表す言葉である。

日本でも、港区に児童相談所などの機能を含む「港区子ども家庭総合支援センター」を作る計画に対して、近隣の住民が大反対した案件がある。

「子どもを守ることは大事だよね」なんて言っていたその口で「自分らの近くにそんなセンター作られたら迷惑だ。他でやれ」という。人間なんてそんなもの。

こうした意識の是非はどうでもよくて、一般論と自分がやらされることとは別なのだ。「女性の政治家は増えた方がいいかもしれないけど、そんなことは誰か他の人がやってくれ」というのが本音なのである。

個人的には、別に「政治なんて、やりたい人がやればいい」と思っているので、それが男だろうが女だろうが、年寄りだろうが若かろうがやればいいと思う。別に男女の数の問題ではない。

社長や管理職の割合の話でも同様である。やりたい人がやればいいし、能力と意欲のある人がやり続ければいい。向いてないから遠慮したいと思う女性に「数が足らないからお前やれ」と押し付けるものではない。
やりたくもないことを他人からやらされることは本人にとって地獄でしかない。同時にやる気のない者が数合わせで政治家になられても国民にとってそれも地獄だ。

いいなと思ったら応援しよう!

荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。