次はアルゴリズムが来るって言うけど、どんな世界になるんだろう?
昨日、仕事上の大先輩と一緒にTwitterでスペースを開催しました。対象者は「写真を使った観光を仕事として考えている人たち」。その人たち相手に、3時間もTwitterで話していたわけです。常時200人前後が聞いてくださって、のべ1000人の方が聞いてくれたみたいで、なんて時代になったんだと驚きました。1000人の講演会って想像してみてください。その巨大さ!
それはさておき、そのスペースの中で、観光と切り離せない話題としてSNSについて話をしたんですが、その話の中で端折りすぎたのが「アルゴリズムの影響について」でした。今日はそれを改めて書いてみようかなと。前段として、この前書いたこの記事がありますので、よければそちらもご覧になってください。
ではここから今日の本題です。
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(1)アルゴリズムがやってきた、ヤァヤァヤァ
2022年に入って急激に「アルゴリズム」がキーワードになる現象が目につき始めています。もちろん、アルゴリズムというのは、そもそもは解答可能な問題に対する計算法のことを示すので、ずっと古代から使われてきたものです。一番古いものはギリシャのユークリッドの原論で示された互除法まで遡れるわけですから、古代から人間はアルゴリズムを使っていろんな物事を目に見える形で効率よく合理的に処理してきました。
もはや生活の全てに潜んでいるように思える「アルゴリズム」のはずですが、この2020年代、特に2022年になって急に目にするようになってきたのは、我々のデジタルライフラインにまでのし上がったSNSの文脈において、「アルゴリズム」の振る舞いが、これまでのように黒子ではなく、あたかもタイムラインを司る審判者のように目立ち始めてきたからです。
しかも、単純で目に見える形での計算式ではなく、複雑に絡み合い、動的に情報の入力と出力が書き換えられ、ブラックボックス化された複雑なアルゴリズムが、SNSのタイムライン表示を司り始めているようだというぼんやりとした認識が、2022年冒頭あたりからSNS上を覆うようになりました。
「アテンション経済」によって隅々まで人々の「可処分関心」を奪い合う現在の社会状況において、人から「関心」を奪取するためのメインツールがまさにSNSな訳ですが、その振る舞いが急になじみの薄い顔をするようになり始めたわけです。ちょっと前まで人類とずぶずぶ馴れ合い状況だったSNSが、ヤンデレ化したとでもいいでしょうか。とにかく出方がわからない。
その結果、企業からも個人からも「これ、なんか今までと違う?」という戸惑いがSNSに対して、まさにSNS上で表明される状況になりつつあります。そんな「アルゴリズムドリブンワールド」の前夜である現在、アテンション経済にいる我々は、次に来るであろう新しい状況に対して、さまざまな考察が言説化されつつあります。
(2)目に見える「ブラックボックス」
アテンション経済が、基本的には「フォロワー」というデジタル原資をレバレッジにして、「バズ」という桁違いのアテンションを個人や集団に集めることによって成り立っていたとすると、これからくるアルゴリズムドリブンのデジタル世界においては、もちろん「フォロワー」も「バズ」もある程度の力は残しつつも、それらは乱数の一つへとどんどんと格下げされていくことが予想されます。それは上の記事でも参照したように、「個人の力の持ちすぎ」を是正する「プラットフォーム側の反撃」とも捉えることが可能ですし、そのような是正は、SNSにおける数々の誹謗中傷への対策としても、ある程度必要になってくる施策になるでしょう。
では、来る未来はどんな姿を見せることになるのか。実際にはまだまだわからないことが多いのですが、鍵になるのはやはりアルゴリズムの複雑化とブラックボックス化になるんだろうと思います。
現在絶賛進行中のアテンション経済の中では、1の出力にアテンションを集めるためには、必死に「フォロワー」という「原資」を積み重ねて、自分の出力にレバレッジをかけててバズらせなくてはならなかったがのですが、来たるアルゴリズムドリブンの世界においては、最も重要な「原資」であるフォロワーの差は、アテンションを集めるという点においては、それほど大きな差は無くなってきます。その原因は二つで
この二つによって、これまで最重要視されてきた「フォロワー」というアテンション経済における原資の重要性が、いきなり低くなり始めました。アルゴリズムが「これは載せない」と決めた途端、10万人のフォロワーがいても、5000人程度にしか表示されないなんてことが起こり得るからです。
例えば僕のインスタグラムに投稿した2枚の写真のインプレッションを比較してみましょう。次の画像を見てください。
いくつか数字がある中で注目は「リーチ」の部分です。特に真ん中の円グラフの青い方「フォロワー」の部分。この2枚は投稿日がほとんど連続した数日内に投稿したもので、しかもタグはいつも僕が適当に使っている固定したもの。つまり、二つの写真はほぼ同じ条件に近い状態で投稿されています。もちろん近い日付の2枚の投稿ですので、フォロワー数もこの2枚の間には全く差がありませんでした。にもかかわらず、左の画像においては僕のフォロワーの6万人のうちの33%に当たる2万人以上に写真が届きましたが、右の画像ではわずか12%強の7421人のみにしか写真は届いておりません。フォロワーというのは、これまでは基本的にはある程度一定のリーチを期待できる、すなわち数字としては変動しにくい対象であったのですが、アルゴリズム化が進んでいるインスタグラムにおいては、タイムラインにおける表示は、こちらの全く預かり知らない法則によって、見えたり見えなくなったりします。そう、この「全く預かり知らない部分」が、ブラックボックス化された部分であり、我々ユーザーが如何に気を揉んだとしても、対応をできない部分です。というのは、対応できたと思っても数ヶ月単位でガラッと傾向が変わってしまうからです。
このように、入力に対する結果がどのようになるかの結果を決めるのは、アルゴリズムの振る舞いひとつにかかっているSNSの姿を最初はTikTokが準備し、Facebook&Instagramが急速に後追いし、そして今ではTwitterにおいても進んでいく事態となっているわけです。その振る舞いは、今後どんどん複雑化し、個人ではハック不可能な動的な姿を見せるようになるだろうことが予想されます。これまでももちろんそうだったのだけど、より一層、僕らと世界の間に横たわるコミュニケーションシステムとしてのデジタルプラットフォームは「ブラックボックス」としての側面を強く示すようになるでしょう。
そう、ブラックボックスって本来は黒子のはずなのに、僕らの前にまるで幽霊のようにぼんやりその姿を見せ始めている。不在証明ならぬ、「不可視の存在証明」のように、我々のタイムラインへの介入を進めているのが、現在のSNSというわけです。
(3)その向こうの世界
そんな風にSNSの全ての表示がアルゴリズムによってブラックボックス化していくと、今まさに「アテンションエコノミー」によって動いている世界が、一旦またゼロに戻る可能性があります。だからこそ、既存のSNSプラットフォームにおいて大きな力を持っていたインフルエンサーたちが、反対の声をあげているわけです。
一旦メタ(インスタグラムの親会社ですね。元Facebookです)はこの変更を保留したと書かれていますが、この流れは止まるものではないと思っています。そうなると、この10年をかけてアテンション経済に適応し始めた大企業は再びPRの方法論に大きな修正を加えなくてはならないでしょうし、SNSにおいて力を持っていたインフルエンサーたちは、2010年代の徒花として消えゆく可能性さえあります。彼らは「フォロワー」という原資を元手に、あらゆるところに顔を出す基盤を作り上げていきましたが、インプレッションが伸びない、アテンションを引けないインフルエンサーを呼ぶ時代は、少しずつ終わりを迎えていく可能性があるからです。
とはいえ、それは悪い事ばかりでもないのかもしれません。特に個人レベルにおいては、何を投稿したところで誰が見るのかもわからないとなれば、SNSの「いいね」に一喜一憂することも無くなるでしょう。そうなると、企業もまたSNSの数字に踊らされることも無くなっていくかもしれません。こうして「アテンション」の奪い合い、すなわち「人の注意」を皮切りにして「可処分時間」を奪い合ってきた20年は、緩やかに終わりを告げていくようになるかもしれません。となると、アルゴリズム化は、SNSの健全化にも資する可能性があります。というか、それが「錦の御旗」として振られるだろうことは予想されますね。本音はプラットフォーム側による管理の強化を目指したものであったとしても。
もちろん、一度「人のアテンションを奪うことがいかに経済にとって強力な意味を持つか」を骨身に染みて理解している企業は、今後も研究を重ねて、個人の可処分時間を集積することに取り組むはずです。またインフルエンサーたちも同じように、かつて自分に集中したアテンションを求めて、次の手を探し求めます。それほどまでに、「人の注意を集める」という行為は、企業にせよ人にせよ、中毒的に作用する機序だからです。
という状況を徐々に実感していくことによって、おそらくどこかの段階、ある一定数の人々が「ああ、こういうことか」と理解の落とし所がぼんやり形成された時が、本当の「アルゴリズムドリブン」の世界が始まるタイミングなんでしょう。みなさん、準備はいいでしょうか。僕もそろそろ次のステップを考える頃だと思っております。