見出し画像

2020と、小さな街の「おわり」のはじまり 〜「生きられた街」の死生学

明けましておめでとうございますuni'que若宮です。本年もCOMEMO書いていきますのでどうぞよろしくお願いいたします。

昨年を振り返ろうかと一瞬おもったのですが、紅白での布袋寅泰さんの「天城越え」のあまりの衝撃にほとんど忘れてしまったので、やはりここは気持ちも新たに、これからについて書いていこう!と思ったら、元旦から「おわり」の話になりました笑。そういえば「平成」も「おわり」ですしね。


今年は2019年。そして来年はいよいよ2020年、そう、オリンピック・パラリンピックがやってきます。実はこの華やかなイベントに向けて、沢山の「おわり」が始まっています。


「裏参道」の「おわりと、」

去年から個人的に注力していきたいテーマとして、「アートとビジネスをまぜる」というのがあります。

ビジネスにアートの創造的思考を活用する「アート思考」やアーティストを新規企画の現場に巻き込む「アーティスト・イン・ビジネス」などの形でビジネスにアートの観点を入れ、

一方で、アート側にビジネスやマーケティングのノウハウをお返ししています。その一環でいま手伝っているのが、こちらのアート・プロジェクトです。

『裏参道フェス - おわりと、』と名付けられたこのアート・プロジェクトは、東京都渋谷区神宮前の、通称「裏参道」と呼ばれるエリアのアパートを一軒まるまる使って行われ、能楽師・安田登さんを始め、うたやダンス、ジャグリングから落語まで色々なアーティストが「おわり」をテーマにパフォーマンスします。

渋谷区神宮前「裏参道」と呼ばれるエリアにあるアパート「ビラ青山」。次回公演の会場を探していたmizhenが、裏参道エリアの再開発にあたり築42年の歴史を終え2019年2月に取り壊されるこの建物に出会ったのは、まったく偶然のことでした。mizhenはこのアパートに運命的なものを感じ、アパートを舞台に自殺を図る女性2人にまつわる新作『渋谷区神宮前4丁目1の18』を上演することにしました。
人生のおわり、がテーマの新作公演と、公演の翌日には取り壊されるアパートの「おわり」。せっかくならば、アパートの「おわり」を最高のかたちで見送りたい。そこで「裏参道フェス」と題して、mizhenが大好きなアーティストたちと「おわり」をテーマに、2月9日(土)〜2月17日(日)の9日間、おわりのお祭りをすることにしました。


実はこのアパートの北側の、「都営青山北町アパート」を含む一帯は、2020年に向けて大規模な再開発が進んでいます。

「裏参道」を実際に訪れてみるとわかるのですが、表参道の駅から徒歩数分にもかかわらずとても閑静なエリアで、ヒューマンなサイズの街並みがとても落ち着きます。

ここが2020年には整備された緑地と高層ビルになる。

プロジェクト終了の翌日から取り壊しがはじまり、この建物は文字通り「おわり」を迎えてしまう。失われもう二度と見ることの出来ないその風景を、映画監督・早川千絵さんが「おわりの記録」として映像作品化します。

時を同じくして代表の藤原が『カメラを止めるな!』の大ヒットをきっかけに受けた取材インタビューで、同じくENBUゼミナール出身の早川千絵監督と再会します。もともと早川作品の大ファンでもあったmizhenは、この再会に強烈に運命的な縁を感じ、アパートが取り壊されたあとは二度と同じ環境で体験することのできない、この「おわり」のフェスを、早川監督の手によって映像作品として残したい、と思うようになりました。


たくさんの街の、「おわり」のはじまり

実は2020に向け、東京では沢山の再開発が計画されています。東京駅周辺や渋谷、品川などいわゆるインバウンド向けの「顔」や「玄関」だけでなく、小さな街も沢山再開発されていきます。

一方、JR北千住駅西口周辺地区や東池袋五丁目地区、西新宿5丁目中央南地区、武蔵小山駅前通り地区などでは、木造住宅密集地域の解消といった地域の抱える課題に対応し、安全安心なまちづくりと地域活性化につなげるための事業も着々と進んでいる。
20年のオリンピック・パラリンピック競技大会、そしてその後を見据え、首都・東京はどのような姿に変わっていくのか。

老朽化の対策や避難時の見通しなどを考えれば、整備された街はおそらく住みやすく「安全安心」な街になることでしょう。

しかし一方で、生活の息づきを感じる街並みやひっそりと落ち着く一角が、「緑地と高層ビル」のような、よく似た「新品の街」になっていくことには少し寂しさも感じます。


「生きられた」街?

建築界隈の方はご存知と思いますが、多木浩二氏の著作に「生きられた家」という名著があります。

「生きられた家とは,居住した人間の経験が織り込まれた時空間である」

生活や土地と「建築作品」を切り離そうとしたモダニズム建築の理想と異なり、「家」は家人が住まい、生活の手垢がついてきます。手垢や生活感というのは、ある種の無秩序さや醜さでもありますが、しかしそこには暮らす、ということの愛着の積層がある。


ここでこちらを御覧ください。

これは少し極端な例ですが、日々使われる中で新品の状態とは変わっていく、というのはものの宿命でもあります。「新品の状態」こそが正しく、テプラを「汚れ」といい切ってしまうことはできません。テプラが貼られた後の方が明らかにわかりやすく、使いやすくなっているからです。デザインの本質が「用」なのだとしたら、どちらがあるべき姿か、そしていつの時点が本当の姿なのか、というのは実は自明ではありません。


「家」と同じく、「街」もそこに住まう人とともに変わっていきます。そういう意味で、再開発前の「手垢がつき、老いた」街は「生きられた家」と同じく、「生きられた街」と呼べるかもしれない。


「生きられた街」の「おわり」。そしてはじまり

人がいつかは死ぬように、街もいつまでも生きていくことはできません。老朽化したところは作り変えられ、建て直されてまた新しくなります。

ですから、「街は終わるわけではない」ということも出来るでしょう。街は「おわり」を迎えるわけではなく、形を変えて生き続ける。

しかし場所として「街」が続いていっても、そこにある「生きられた」痕跡は、やはり失われてしまうと思います。そういう意味では「続いていく」というよりは「生まれ変わる」という方がしっくり来ます。


そしてそれは、健全なことです。

僕は、再開発に反対しているわけではありません。もし商業論理が過ぎて画一的な街ばかりになるとしたら、少し寂しさは感じますが、たとえ小綺麗な新しい街が作られたとしても、街はその時点から不可避に「生きられ」ていくのです。

少しずつ時間をかけて、手垢がつき、ビラが貼られ、汚されたり壊されたりしながら、街は「その街」らしくなっていくでしょう。だから「おわり」はまた新たな「生きられた街」の「はじまり」に過ぎない。「おわり」は寂しいけれど、新しい楽しみでもあります。


けれど、今ある「生きられた街」は今消えてしまうと二度と帰っては来ない。

もしかしたら、あなたが住む街も、2020までに様変わりしてしまうかもしれません。通り道にある見慣れた古い家並みは、もしかしたらある日突然、白い仮囲いに覆われてしまい、もう二度とみることができなくなるかもしれない。

身近な地域に再開発の予定がないか調べてみる。たまには散歩にでかけ、街の姿をじっくり記憶にとどめる。iPhoneで写真を撮っておくだけでもいいかもしれません。

いつでも会いに行ける、とおもっていた身近な人が突然亡くなった時、ひとはもっと一緒に過ごしたり、語りたかった、と後悔します。けれどその時間はもう取り戻すことはできません。

気にもしていないうちに身近な建物が取り壊されてしまい、今そこにある「生きられた街」が突然「おわり」を迎えてしまう前に、「生きられた街」のストーリーに想いをはせ、その在りし日の姿を収めておきませんか?

この記事をきっかけに、2020に向けていろんな街の「おわりの記録」が企画されたらとても素敵だな、とおもいます。おわってしまう場所の記録・記憶として、それがもしかしたら50年後100年後に東京史の一部として紹介されることがあるかもしれない。そう考えるとワクワクしませんか?


---
住んでいた、働いていた、頑張っておしゃれしてデートした。表参道に愛着のある方は、ぜひ「ビラ青山」にも足を運んでみてください。ツタの絡まる、雰囲気のあるアパートです。そして愛着を感じたら、「ビラ青山」の「おわり」の物語も応援いただけたらうれしいです!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?