裏日本は裏原宿である、と高木新平は言った
昨年秋に、福井県敦賀市でとあるトークセッションをモデレートしました。タイトルは「ウィズコロナ時代に、都市と地方の関係はこう変わる」。北陸新幹線の敦賀延伸(開業は遅れそうですが)にからんだイベントで、不動産コンサルタントの長嶋修さんや青森大学の櫛引素夫さんなどが登壇しました。
私の以前からの友人でニューピースという会社をやってる高木新平も参加してくれたのですが、富山出身の新平がこのとき言った言葉が非常に面白かった。
「日本海側は以前は『裏日本』とも呼ばれ、これはネガティブな用語だと思われていたけれど、これを『裏原宿』みたいなイメージでとらえなおしたら、また新しい発想が生まれてくるんじゃないかな」
「裏原宿」というイメージが持つ深い可能性
さすが当代きってのビジョナリーだけあって、発想が斬新!と感動したのですが、これは単に「ウラ日本」「ウラ原宿」を並べたという目新しさだけでなく、かなり深いビジョンを潜ませていると思います。
コロナ禍の以前から、観光客が多すぎて大混雑するオーバーツーリズム公害が取り沙汰されていました。
このオーバーツーリズムへのアンチテーゼとして、「アンダーツーリズム」という言葉も登場してきていました。観光地をめぐったり土産物を買ったり、「旅の恥はかき捨て」で去っていくのではなく、その土地の住民になった気分に浸り、まるでその土地に暮らしているようにして滞在するという新しい旅のスタイルです。
コロナ禍で旅のスタイルも変わりつつある
コロナ対策としてどんちゃん騒ぎの宴会を避けるように言われている中、この方向の旅が今後は世界的に定着していくかもしれません。そうなっていくと、旅行というものの意味が変わってくる。それは「行ったことのない珍しい場所」をただ観るだけの従来の旅行から、行った先の土地や人々との関係性を重視するような旅への概念変化です。
そもそも景観を観に行くということ自体、これだけネットが普及している時代には「インスタグラムで見た写真を確認しに行くだけ」という答え合わせ的なものになってしまっているということは、以前から言われていました。もはや私たちには絶景にはあまり感動できなくなってしまっているのです。
そうではなく、行った先の土地やそこの人々への愛着を大事にするような旅の新しいスタイル。そうなると受け入れる土地の側から見ても、やってくる客は一期一会の通りすがりではなく、よりエンゲージメントの強い関係の人たちに変わる。これは地方創生用語で言えば「関係人口」という言い方にもなるわけですが、さらにもう一歩踏み込んで、やってくる観光客が「仲間」であり「内輪」でもあるということになってくる。
ネットワーク化される観光客
つまり仲間たちがネットワーク化され、ネットワークが核となって、土地の人々や都会から来た人々はそのネットワークにぶら下がるという構図に変わっていくのではないかと思うのです。そしてこれはまさに裏原宿、ウラハラ的なビジョンではないでしょうか。
ウラハラ的とはどういうことかと言うと、マス向けに大々的なキャンペーンを展開するのではなく、「わかってる人たち同士」が路地裏の店に集まり、ショップスタッフも客も同じサブカルチャー的な文化を共有する。モノを売ってるんだけど、モノを売ってることを「売り」にはしない。文化的な価値観の共有こそが大事なんだとアピールする。このウラハラ的なビジョンが、実は今後の地方のありよう、地方と都市のつながりの可能性として見えてきているのではないかと思います。
「都市」と「地方」の定義の変更が求められている
その地平では、都市と地方の関係も大きく変わるのは間違いありません。都市vs地方という対立軸ではなく、たとえば「流動的なありよう」と「固定的なありよう」というあらたな対立軸で、自治体や人々のスタイルの違いを考えていくことも必要になっていくのではないかと私は考えています。